科学と政治の問題
(放射線量ですべては決まらない-汚染土の問題も)
再び温暖化問題(武田邦彦プログ)
武田邦彦氏の言い分だと科学はガリオレの例があるように科学の真理だけで決まるわけではない、それは今でもつづいているという、ガリレオが科学の真理を主張したのだがカトリック教会は当時の政治を支配していたから反対した
政治のために科学の真理がねじまげられた。
それは今でもあるというとき科学者を牛耳っているのは金をくれる国家だからという、科学には実験などで金がかかる、理系は文系の5倍とか金がかかる、文系は本さえ読んでいればいいくらいだが理系は実験をするから金がかかる
つまり金に支配される、政治でも官僚でも一番力があるのは財務省だというとき金をにぎるからである。家でも金をもつもの管理するものが一番力をもつ
なかなか金をもっているのもが次世代に譲らない、すると力をもたされないのだから何もできないのである。
遺産でも今や60代でようやくゆずりうける高齢化時代である。
それで実質的世代交代が成されないのである。
温暖化問題でも科学的には温暖化を主張する学者の割合は少数である。それが科学より政治化している、政治の判断で決められる、原発も政治がかかわっていた
科学的のものを判断の基準にはしていなかった。アメリカとかの核戦略もかかわり日本に古い型のマーク1が売りつけられた、それは商売であるから経済的な圧力で買わされたともなる、科学的に安全という前に政治や経済がかかわる
原発事故が経済的コストを優先したとき高く設置するはずだったがその高く作った土盛りしたのをわざわざ削って低くしたのである。それはコストからすると安くつくからである人間の成すこと科学がすべてに優先されることはない、佐藤栄佐久知事時代にプルサーマル問題が起きて指摘したがこれも拒否された、それで佐藤知事は政界から追いやられたとかされる、それも政治的圧力だから科学より政治化した問題になっていた
政治と科学の問題を考えるとき原爆を発明したのはアイシュタインもかかわっていた。
科学者としては核開発が危険なことを知っていた、それであとで反省した
それを使うべきではないとしても原爆として使われたのは政治の圧力だった
政治と科学の問題もあり政治と経済の問題もあり政治と宗教の問題もある
それは密接に相互作用している、それは歴史的にもそうである。
南相馬市の除染土のことでNHKで放送していた、公共事業に利用するという、高速道路の4車線化で道を広げるのでまずそこに利用するという、それに地元で賛成する人と反対する人がいる、科学的には害はないという、でも反対する人は結果的には地元で責任を負うことになるから反対だとなる
それが一方的に国でその事業を計画してはじめていた、それに自治体ではかかわることもできなかったのである。
それは原発と同じである。国家権力によって地方自治体は逆らうことができず相談も無く一方的におしつけられるのである。
そこに話し合いがあればと学者が言っていたがそれもないのである。
そして事故が起きたら地元が責任をとらされるのである。
それで不安だから子供たちは帰ってこないという、それは科学的には判断しにくい、でもあとの責任は地元がいやおうなくとらされる
この辺では水も土も森も空気まで汚染された、そしたら住めなくなるのである。
ここにも汚染土が大量であり早く仮置き場をなくしたいというのも地元でもそうである。これも景観を害しているからだ、経済的コストとしては高速や公共事業に使うのがいいとなる、でも何か何十年後かにあっても地元が責任をとらされる
だから国と地方自治体で地元で話し合いが必要だとなるが実際は国で一方的に決めて事業をはじめているのである。
それは原発でもそうして地元の人と自治体とも良く話し合わないで了解をとらないで作られていたのである。ただ地元では金になるからと許可したのである。
金になっても今回のように責任をとらされるのは地元なのである。
戦争でも戦争するということを国が国民に納得させてしたかとなると疑問である。
でも結局3百万人が死んだという重い責任をとらされたのである。
何か必ずこうして責任問題が人間の社会にはつきまとっているのである。
科学の真理があってもそれをすべてとして受け入れられない、社会的にも受け入れられない、医者にかかりたくても貧乏でかかれなくて死んだ人も現代社会にいる
それは経済的問題でそうなった、
武田邦彦氏が一ミリシーベルを一年の被爆量として提示してもそれも社会的には実行できない、それにみんな従うこともできない、みんな住めなくなるからである。
そしたらどこに住むのかとなる、それを用意してくれるのかとなる
だから老人ならもう先がないのだから故郷に住んで死にたいとなる
それでチェルノブエリで老人は細々として畑を作り遂に医者にもかかれずに死んでゆく
それでも故郷に帰り住んでいたいとなりそうなったのである。
だから科学によってすべてのことは決められない、三陸では明治にも大きな津浪の被害があったが海側に住んだのはそこが便利だからである。
そこが危険なことをわかっていてもそうしていたのである。、それは経済的コストもある原発にしても科学だけではない政治や経済や社会の問題がある
それを受け入れるとどうなるのか?生態的問題としてもあった
地方は生態的に自然の中で生活してきた歴史かある、そういう生態系とか歴史も関係していたのである。
国家とか科学の力が巨大化したときそうした地域は多国籍大企業によっても簡単に破壊される、東南アジアの森林が日本の企業でも破壊しているというときそうである。
オラウータンの住む場所がなくなるというのは生態系が破壊されたからである。
そのことはひいては人間が住めなくなるのである。
いづれにしろ老人の場合は山尾三省のようになる
- びろう葉帽子の下で
びろう葉帽子の下で
山に還る
その山がたとえチェルノブエリの灰で汚染されているとしても
わたしはほかに還る所がないのだから
山に還る
びろう葉帽子の下で
死期を迎えた動物のように
山に還る
飯館村に住んでいた老人も山菜までとって今でも食べているという、もう死期がせまれば放射能など関係ない、山に還る、そこが死に場所だとなる
科学的にどうのこうのというのは関係ないのである。
だから科学だけがすべてではない、ターミナルケアでもそうである。
もう科学的に医療の問題ではなく精神的な問題になる、どうせ死ぬのだから最期にその人の望むようにさせる、癌でも登山した人もいる、それで満足して死ぬということになる
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