蓮月が経験したことから歴史をふりかえる
(津浪や原発事故の動乱ともにていた)
生後すぐ、京都知恩院の寺士、大田垣伴左衛門光古(みつひさ/てるひさ)の養女となる。。文化四年(1807)、十七歳の時、大田垣家の養子望古(もちひさ)と結婚。一男二女をもうけたが、いずれも夭折した。文政二年(1819)、二十九歳の時、大田垣家に入家した古肥(ひさとし)と再婚し、一女を得たが、四年後夫は病没。養父と共に知恩院で剃髪し、蓮月を称す。二年後、七歳の娘を失い、さらに天保三年(1832)、四十二歳の時、養父を亡くすその後は岡崎・粟田・大原・北白川などを転々とし、急須・茶碗などを焼いて生計を立てた。やがてその名は高まり、自作の和歌を書きつけた彼女の陶器は「蓮月焼」と呼ばれて人気を博するようになる。明治八年(1875)十二月十日、八十五歳で逝去した。
京都の経済が大きな痛手をこうむりました。これ以前から,京都の最先端技術が地方に伝えられ,その地で生産された品が全国に出まわり,京都の産業を圧迫していました。桐生(きりゅう,群馬県)の織物や銚子(ちょうし,千葉県)の醤油はその代表です
この寛政二年に四か所の遊所が公許になる二年前、京都では天明の大火があり、京都の市街の八割を焼き尽くしました。当然京都の財政は逼迫しており、
京都の歴史をふりかえれば戦乱がありこうした大火もあった、鴨長明も京都の大火があって『方丈記』生まれた。
その天明の大火もそうだが天明の飢饉もありその時相馬藩の三分の一人口が減った
その減った分を越中の移民などが来て補って復興した。
この時各地の大名が京都に来て復興のために尽力した、そうして外部から人が流入して花街が賑わい生まれたのが蓮月だったという。
そういう動乱の中に生まれたのである。
津浪や原発事故でもそうだった、外部の人が大量に入ってきたのである。
それで韓国系のバーができたとか水商売の風俗関係の女性も外部から入ってきた。
何か歴史では同じようなことが繰り返される、大火というのは日本では木材の家だからどこでも起きていた、その記録はどこにでもあるからだ、一旦火事になると延焼しやすいから街ごと燃え尽くすのである。京都とか江戸になると凄まじいものとなる
関東大震災でも火事の影響であれだけの被害になった
神戸の地震でも火事になって燃えた時は恐ろしかった、その時アナウンサーがこれは人間の骨ですよとかいって手にもっていて放送していたから異常だった
経済的にも京都で発明されたものが地方に普及してかえって京都が経済的に衰退したというのも興味深い、それはグローバル経済で日本でも起きている、日本の電化製品が売れていたが今はまねられて中国とか韓国の製品が売れて日本の経済が衰退したからである。
何か必ず歴史では同じことが繰り返されているのである。
日本では自然災害が多く繰り返されていることである。
国内でも戦乱がありグローバル化すると世界大戦になる、そして日本では300万人が戦死した。
京都の寺の柱に応仁の乱の刀傷がついているのが残っている
京都は政治の中心だからそうした騒乱にもまきこまれる
蓮月が経験したことはそういう自己自身でも苦難があり悲劇があった、子供が三人死んだとかもそうである。全員死んだとなる、でもその頃子供は死ぬ子供が多かったのである。それだけの手当てができなかったからである。
それで必ず墓を見ればわかる、生まれてすぐに死ぬ幼児が多かった、童子の名前が記されているのである。子供が死ぬ率が多いから子だくさんになっていたのである。
それは蓮月だけのことではなかったのである。
人間は戦後は平和だったというけど70年生きると必ず動乱が生まれる、それは自然災害だったり昔だったら大火だったりする、現代でも自然災害はこの辺の津浪のように起きてくる、この辺では原発事故になった、その動乱は今でもつづいている
自分も書いてきたように家での介護とか自分の病気とかで惨憺たるものになった
そして外部でも動乱になったのである。
そういうことは何か人生70年の間には必ず起きてくる、平穏に70年を過ごせることはありえないのである。それが人間の歴史だったのである。
だから平和な時は長くつづかないのである。
日本の歴史でも明治維新が大動乱であり70年すぎて太平洋戦争であり大動乱でありそして70年くらいすぎるとまた東日本で津浪や原発事故の大動乱が起きた。
まず70年間平和でありえることはないのが人間の歴史なのである。
蓮月個人のことになると蓮月焼とかはたいした芸術性はなかった、でも売れたのは歌などを茶碗に記したことなど女性が作ったことなど話題性があったからである。
美人だということも影響したという。今でも女性の芸能人は美人を売りにしている
それでマスコミでとりあげる、話題性があるととりあげる、蓮月は美人である故に苦しんでいたというのもある、男が尼になってもいいよる男がいたのでそうなった
だから蓮月の焼き物や短歌はそれほど評価されていない
そして京都というとき京都で有名になると全国的になる、蓮月焼はその品物がたいしたものでなくても売れた、それで地方でもお土産に買っていったのである。
京都ではやるものは地方にも普及する、逆に地方ではやってもそれほど普及しない、京都は日本の都だからなんでも影響力が大きくなる
例えは検索でも京都と入れる人が多い、地方は検索に入らないのである。
俳句とか短歌でも京都とか鎌倉と検索で調べる人が多いが他は少ないのである。
それは京都とか鎌倉は古都であり知られているからである。
この辺はただ津浪や原発事故で世界まで知られたのである。
蓮月は明治維新の動乱にもかかわっていた、それで西郷隆盛に歌を進呈したという
あだみかた 勝つも負くるも哀れなり 同じ御国の人と思へば
このあだみかたというとき日本には敵味方塚とかあり敵味方も同じように葬っている
明治維新でも九州の藩の戦死者の墓が相馬藩でもあり東北にある
日本人にはそうした心情が昔からあった、これが大陸になると敵をそんなふうにはあつかわない、敵の墓を掘り起こしてまで侮辱を加えるのが中国だった
異民族との争いと徹底して過酷なものになる、人種差別などでもそういうことは引き継がれている。国内でも差別が厳しいのである。
逆に日本では異民族との徹底した戦いは太平洋戦争でしか経験していないのである。
世界の歴史では常時異民族との戦いが歴史だったからである。
これが江戸城無血開場に影響したという、そ真意は実際わからない、でも明治維新にもまだ生きていて歴史とかかわっていたのである。
ともかく一人の人間がこれだけの動乱の中に生きたのである
別に蓮月だけではない、大正生まれの人などもまだ90才以上で生きている
その人たちも動乱を生きたのである。戦争も経験しているからである。
何らか動乱を個人の人生でも歴史的なことでも経験しない人はいないのである。
人生の最後にきて自分も経験したしこの辺の人たちはそうである。
自分の母親も家が事業で破産して一家離散になったとか東京に女中にでて夫が事故で死んだ一人の子供交通事故で死んだとかそういうことは蓮月だけのことではない、そういう波乱を生きた女性も多いのである。だから蓮月だけが特別苦しい人生を生きたとはならないそういうことはみんな女性でも経験しているからである。
人間の一生をみれば聞けばそういうことは常にありめずらしいことではないのである。
一生平穏な人生などないのである。
いづれにしろ自分自身もここ十年は介護や病気で来た人が異常な人たちだった、苦しみに苦しみが加えられたのである。人格異常になった女性もいてそういう人が来ることの恐ろしさを味わった、家の中も認知症の人をかかえたら狂乱状態になった
そして外部では津浪や原発事故になったのである。
津浪では自分は被害はないから良かったが他の人は家族も死んでいるからまたこれも苦難だったとなる、この辺では家族が分離するとか地域が分断されるとか様々な混乱状態になったのである。一種の戦争状態にもなったのである。
それはまだ解決していない、混乱はつづいているのである。
そして今望むことは
静けさや窓にのぞきぬ夏の月事もなきしに夜もふけなむ
こんなふうになってしてまう。事もないことが幸福なことだった、30年間くらいは自分もそうだった、異常な家族でも自分にとってはそうだった
それが一転して事がありすぎて不幸になったのである。
それは自分だけではないこの辺ではみんなそうなってしまったのである。
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