2017年07月24日

「飯館村の原発事故避難者による営農再開と展望」を読む (ソーラーパネルなどで景観が破壊される)


「飯館村の原発事故避難者による営農再開と展望」を読む

(ソーラーパネルなどで景観が破壊される)


原発事故避難者による営農再開と展望
―福島県相馬郡飯舘村の事例分-

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営農を再開するという決意の前提として非経済的動機,つまり「何が何でも再開しよう」という動機があったと言えるだろう。それは,避難先の狭い住居で無
為に過ごし,体調を崩している親を「見るに見かねた」こと(K 氏)であったり

全体で60 ha の水田があり,そのうちの20 haはNTT と20年間の契約をして太陽光パネルの設置に利用することが決まっている。残りの40 ha を利用し
て牛の放牧をするのである。

「個人化」とは,避難生活によって地域社会や家族が分断され,一堂に会することが
物理的に難しくなるということでもあるが,それ以上に選択を被害者「本人の自由」に任せることによって,事実上,責任を被害者に負わせ,自己責任を強いることを意味する。


これは自分がプログで書いてきたことであり一致する、やはり無為にすごすことに耐えられないということがあった、毎日パチンコやギャンブルではやりきれないとなってゆく
かといって何をするかというと今までしたことをする他ない
それは農業である。それで仮設の前の畑にカボチャの種を植えて実ったことで喜びがあったとなる、つまり農業自体に喜びがある
だから趣味で畑で農作業している女性は文句は常に言っているがともかく畑の方に関心があり自分の家のことには関心がないのである。
自主的に汚れたところも掃除もするきがない、皿二三枚しか洗う他なにもしない
それは見ていてわかる、畑の方が文句ばかりでいつも関心は畑にある
その人は根っから農業が好きなのである。

飯館村はやはり水田があってももう米作りはしないのだろう。無惨に表土が削られてフレコンバックの山になっている。表土が削られることによって栄養分も喪失している
すると米作りも簡単にはできないのである。もともと飯館は高地であり米作りには向いていなかっだ、それで常に冷害に見舞われていた。
すると田んぼがなくなるから蛙も鳴かなくなり鷺なども見えなくなる
自分にとってこの蛙が盛んに鳴いたときこの辺は復興したなと感じた
ただ山側は田んぼになっていない、小池辺りでは田んぼを草地にして牛の飼料にしていただから飯館村でも田んぼを放牧地にしてあとはソーラパネルにする
その風景も奇妙なものになる

草野では原町から川俣への幹線道路沿いに道の駅を建設中でありその脇にメガソーラーパネル場になった、何かそこに違和感を感じる、素朴な飯館村という感じは喪失した
ソーラーパネルは森とか山の風致でも破壊するし何か台風とか来たりすると危険にもなるそういうことは土手を削った所にソーラーパネルを置いたので水害になったということがあった、これから何が起きるかわからないのである。
そして景観を破壊するから昔の飯館村、森につつまれた村ではなくなってゆく
ただ飯館村は広いから全部ソーラーパネルにはできないが一部でも森の中にソーラーパネルがあると景観が破壊される
でも土地の利用が方法がないからそうなってしまう
膨大な土地がありその土地から収入を得るにはソーラーパネルくらいしかないからである。
家族が分断され地域が分断されて個人化したということも書いた
飯館村では牧畜でも牛を飼うにしても農業するにも人手は家族でしている
だから三世代とかが住んで農業に従事していた
それが分断された、地域も分断された
結果的にどうなったかというと個人化した、それぞれの個人でやりたいようにやれとなった、そのために補償金を払ったのだとなる、自己責任化したのである。

南相馬市でも避難区域の小高ではそうなった、いろいろな人がいても補償金をもらったことにより個人化して地域の一体感は喪失した
家族も分断されて地域も分断された、親の子供世代は放射能が危険として帰ってこない
そして取り残されたのが老人だった、でも小高では2300人が帰っている
それが多いとなるのか少ないとなるのかわからない、ただ半分は65才以上の老人なのである。
小高の人は金がある人は新地であれ相馬市であれ鹿島であれ原町に家を建てた
浪江の人も建てた゛つまり地域は個人化して分断されたのである。
個人化すればをとすればいいんだとなれば金があれば他で家を建てて生計をたてる他ないからである。

飯館村では仮設暮らしの無為に暇に耐えられなくなったとき農業をはじめたがそれが非常な困難をともなっていた。その場所を探すこと一からはじめることが容易ではないからだ農業はそれなりに設備が必要なのである。
飯館で有名だったトルコキキョウなどの花栽培でもそうであり簡単にできるものではなかった、トルコキキョウというと飯館のような涼しい地にあっていたのかもしれない
トルコキキョウと竜胆(りんどう)はにている、飯館村は何か花が美しく見えた
それはいつも不思議だった、やはり何か環境が影響していたのである。
飯館村は一つの桃源郷とかアルカディアの雰囲気があった
ただそういうものは原発事故後そこなわれたのが残念である。
それよりそういう所を破壊した原発に怒りをもつのである。
アイヌのカムイコタンとは神の村と言うときそういう側面が飯館村にはまだあった
森につつまれてあった神秘性もあった
だから峠を越えてゆくと何か別世界に来たような新鮮な感覚になっていたのである。
それで詩を書いたりしていた。

ともかく飯館村の農業の復興は至難である。放射線量が高いこともある、土も水も森も汚染されたからである。それが致命的になったのである。
はっきりいって自分はソーラーパネルが置かれる場所には行きたくない
大倉から峠を越えて入った場所は前は森におおわれていて人が踏みいらぬ神秘的な場所だった、そこが道になり喪失した、だから原発事故前にすでに自然が破壊されていたということがあった、ただ全体的には森につつまれた森を維持していていて飯館村が好きな人が多くいたのである。
だから残念だとというより自分は原発事故に対して怒りをもっている
なぜそうした森につつまれた村を破壊したのだとなる
ただ自分のように景観とか風致にこだわる人はそこに住んでいる人でも少ない
やはり金が入れば土地の人は景観など考えない
だから容易に今や利用されない土地はソーラーパネル工場になってしまうのである。

森深く月のみのぞく神秘かな

そんな神秘的な世界がまだあった、それが失われたのである。




posted by 老鶯 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村
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