2017年07月25日

地方の一新聞がピューリッツァー賞受賞 (報道は事実を伝えることー原発事故でも問われた報道)


地方の一新聞がピューリッツァー賞受賞


報道は事実を伝えることー原発事故でも問われた報道

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NHK国際報道


NHKの国際報道で3000部しか発行していない地方新聞がピューリッツァー賞を受賞したことで話題になった、それでも社員が十人くらいいた
そんな新聞社で給料が払えのかと見た
アメリカにもともとこうした小さな新聞社が多かったから伝統があるのかもしれない

この新聞社は地元密着であり狭い範囲でささいなことでも報道している
この新聞社で報道したのは農薬で川は汚染されていることに注目した
それはなぜか?それは毎日その川を見ているからである。
そうしたら地元の人だったら気になるのである。
例えばこの辺で屋形の家の裏の山の土がけずりとられたとき土がむき出しになっている
それを毎日見ているといい気持ちがしない、それはそこを通りすぎることができない、
嫌だなと思っても毎日見る、それは汚染された川を見ているのと同じなのである。

この新聞社では事実を伝えることにこだわった
まず事実を知ることだと事実を調査した
どこから金が支払われたかを調べた
そしたら化学肥料会社から農協のような自治体に支払われていた
それで公平な裁判は行われない
その事実を伝えたことが功績だった
しかし背後の化学肥料会社から金がでていることをつきとめることはむずかしかった
住民でも口を閉ざした、会社はそれだけどこでも権力をもっているからである。

結局人間は金には弱い、金はカルマであり責任であると書いたときここでもそうだった
一旦金をもらえば責任が生じる、それでこの辺では原発事故が起きても東電から金をもらっていたから責任を追及しにくくなった。
それは日本全体でもそうである。マスコミも東電から金をもらっていた
電事連から800億円という金が流れていたという、その額は巨額だったのである。
そもそもこのような一新聞社など簡単に買収できる金である。

この化学肥料会社はまだ小さい、東電は国家並であり国家もかかわっていたのだから
その事実を暴くことさえできなくなって「安全神話」が作られたのである。
例えば地元の新聞でも福島民報でも民友でも何も追及しなかった
福島民報は聖教新聞を刷っているし県で50パーセントも出資している官報と同じなのである。金をもらっているのだから何も追及できないのである
他の雑誌でも小規模だからそれだけの収入を得ることがむずかしい
すると東電のような国家並の会社からの宣伝費とかは経営を支えるものとなる

そもそもこの地方新聞が事実を暴くことができたのはまだ小さい会社だったからかもしれない、国までかかわる会社となると簡単にはできなくなる
原発は危険でもそういうものだったからである。国策として作られたものだからである。ただ今回の原発事故で一体地元を守るものは誰なのか?
それは地元の住民しかないのである。地元の住民が一番被害を受けるのだから無関心ではいられない問題だった、でも地元では金をもらえばいいくらいの意識しかなかったのである。ただこの一新聞社のように真のジャーナリズムがあれば違っていたかもしれない
それでも国家権力を相手にするととなる歯がたたないともなっていただろう。

ただそうはいっても一体地元では地元を自然でも何でも誰が守るのだろう?
それは地元の住民しかない、もしそれができなくなれば今回の原発事故のように地元に故郷にも住めなくなるのである。
そういうことを身をもって知ったのだから地元の人がもっと関心をもって地元を守ることをしなければ今回のように巨大企業や国家の言いなりになり住めなくなる
だから必要なのはこうした一地方新聞のジャーナリズムであることを示した

そういうことは日本でもあった、新潟の巻町は原発に反対して建てさせなかった
それを応援したのは新潟日報だと評価されているのである。
福島県では報道関係でそういうことはなかったのである。
そもそも自然が大事だとか自然を守れとかなると何かインパクトがない
現実に農民が土地を汚染されて農業もできないとかなると深刻に考える
この辺では土も水も空気まで汚染されたからその深刻さを身をもって知ったのである。

ただ原発は金になるからそれに抵抗するのは相当にむずかしい
金が入り豊かになればなんでもいいんだというのが現代だからである。
そもそも自然を大事にしろといっても景観を守れといっても金にはならない
だからソーラーパネルでも何でも金になるならと土地を売るのである
自分の場合は景観を重視しても地元の人は生活のために金が必要だとなる
ただ地元にも住めないとかなることを経験したから他とは違いここは環境破壊する原発には反対する、でも他の原発ではやはりここと同じように金が入るということで是認しているのである。ここでの経験を参考にしていないのである

いづれにしろ報道は何かというときネットでは常に言われている

事実だけを調査して伝えろ

その事実だけを報道してマスコミの報道する者は何か意見を添えるなと言っている
マスコミはNHKでも報道するというとき事実だけを報道するのではない
NHKで事実をそのまま伝えない、編集してこうあるべきだという方針のもと報道する
コメントするものもマスコミで選び、局の方針にそって意見を言わせられだけなのであるだから事実も作られフェイクニュースも流される
だから事実だけを報道している局はないのである。

歴史でも事実を基にしてあるべきだが小説家されドラマ化されるとそれが事実だと思い込む人が多い、それは事実だけだと面白くない、文献を調べたりするのは庶民にとって面白くないしめんどうだしわからないからそうなっているのである

報道というときインターネットはじめてから自分も報道にかかわるようになっていた
第一自分が報道する立場になるとは思っていなかった
それがインターネットだからできたのでするようになって報道を考えるようになったのである。
そしてインターネットでもマスコミと同じようなことが起きていたのである。
何かインターネットでは読まれること自体本当にむずかしい
すると何か目立つことをしなければ読まれないのである。政治家のプログでも読まれないから女性の議員がめだつためにサッカーのことで目立つことを言って炎上して読者の注目を集めるのである。
それはマスコミのしていることと同じだったのである。

インターネットで報道も変わらざるをえない、今までのマスコミの手法では時代についていけなくなる、インターネットはコストがかからないのが強みなのである。
でも読者を獲得することは至難だとなる
新聞はあと十数年で消えるという、そういう感じになっている
紙の膨大な無駄でありいちいち配達するためのコストもかかりすぎる、内容もない、住民のためにもなっていないとなると若い人はすでに新聞をとっていない、ただかえってこの新聞社のように生き残り策はあるのかもしれない福島県でも広いから福島県だけではない、相双地域とかいわき地域とか浜通りとか中通りとか会津とか三つに分かれた新聞などがジャーナリズムが必要になる
やはりより狭い範囲だと川が汚れているとか毎日見るからそこに関心をもち報道するから訴えるものとなる


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