2017年07月28日

野馬追い(鹿島村(北郷)で旗が立った家) (只野(ただの)系統は杉の旗印-菊の紋も南北朝の争いに由来か?)


野馬追い(鹿島村(北郷)で旗が立った家)

(只野(ただの)系統は杉の旗印-菊の紋も南北朝の争いに由来か?)

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ここになぜ旗が立ったのかわからない
勝手に旗はたてられないはずである
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ここはいつも立っている
ただ記録では鹿島村の旗印にはない
原町の北原に鷺の旗印があり他にもあるが鹿島村にはないみたい
だから他から移り住んで来た人かもしれない

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菊の紋が町内から出る
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これは霊山城炎上の時,落ち延びた者に由来する
桑折とかはの姓はそうだからである。
只野:桑折とか菊地の姓がそうなのかもしれない,南北朝の争いで落ち延びてきた
一団だった,杉の紋と天皇の菊の紋はそうだった



只野家について考察したが南北朝に由来して古い家系である。その元は郡山近くの多田野村だったのである。

平景政(鎌倉)までたどれる只野氏の由来
 (奈良の三輪山に野馬追いの杉紋は由来している)


南相馬市鹿島区に多い只野(但野)氏の謎 (お浜下りの祭りのおつづら馬の話ー野馬追いの旗印は杉紋)

この杉紋は古代の奈良の三輪山から生れたとするといかに古く由緒あるものかわかる
そしてこの杉紋を旗印とするのは鹿島村から他にも広がっている
この辺では電話帳を見ればわかるが只野姓というのが多いのである。
只野一族系統がこの地に根をおろして広がった,それは南北朝の霊山炎上から落ち延びた侍だった,その落ち延びたものが祭りとなったのが江垂(えたり)のお浜くだりき祭りである,只野家がその祭りで重要な役を受け継いでいたのである。

そのことは近くの同級生がいて教えられて知った,その人は脳梗塞になり九死に一生を得た,でも最近土手を歩いているのを見ないな,まだ生きているのだろうかともなる

杉の紋の出ている村

宇多郷(中村) 伏見

下栃窪村 只野六郎

岡和田村 只野津右衛門

小池村 只野三郎衛門

鹿島村 只野善衛門 只野仁右衛門

横手村 只野仁衛門

只野一族は鹿島区中心に広がった,宇多郷にもあったのは鹿島村を基にして広がったのである。

次に天皇の菊の紋が鹿島区の町内に旗がたった,これは何に由来するのか?
堀川忠三郎 菊地義兵衛 菊地重朗治 桑折利平治 遠藤八朗(北屋形村)が記録されている
これは天皇の御紋である,それはおそらく南北朝の争いのとき,天皇の旗印として使ったのもかもしれない,正当性を主張して旗印にしたのかもしれない。
なぜなら明治維新でも菊の紋の錦の御旗が作られたからである。
日本では動乱になると天皇の主導権争いになるからだ
そして桑折氏も霊山炎上のとき落ち延びた一族でありその系統も菊の旗印であることもつながる

つまり野馬追いの旗印は鎌倉時代にさかのぼり南北朝の争いからはじまっている
だから旗印を見るとき南北朝の争いも思い起こして見る必要があるともなる
相馬氏は南北朝の争いにかかわりこの地方を制覇したのである。

野馬追いの旗印は何を意味しているのか?また何に由来しているのかわかりにくい,一つの系統として南北朝の争いに由来しているものがある,それが一つの謎を解くものとなる

posted by 老鶯 at 18:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係
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