2017年07月29日

相馬市の野馬追いの出陣式を見る


相馬市の野馬追いの出陣式を見る


出陣や法螺貝鳴りて朝の蝉

somashiro123.jpg

somashiro12.jpg

somashiro1.jpg

nomaoittttt1.JPG
去年見た疲れなのか何なのか倒れた馬



相馬市の野馬追いの出陣式を見てきた。
6時半き電車で行った:千葉県柏から何人か野馬追いを見に来る人がいた
その一人が駅前のすぐまえの角の家が実家だった
そこから学校に通った,便利な場所だった
相馬の出陣式ははじめて見た

和歌山県から来た夫婦がきた。

「和歌山県ですか,和歌山城には上りました,石段の坂が長い
いい城でした,ここは石垣しか残っていませんが・・・」

こうして日本はたいがい旅しているから話を合わせられるのである。
和歌山城の石段は長いのである。そこが印象として残っていたのである。
何かを旅では印象として残す必要がある
でも何が後で印象に残っているかはわからないのである。
和歌山城の特徴はあの城の石段だったのである。

出陣式には相馬市長と相馬市長が訓示した,鹿児島県とかの市長とかも他にも来ていた,挨拶はどちらも震災の復興と原発事故の復興を一丸として成すということを言っていた,まだこの辺はそうなっているのである。
復興のための野馬追いがつづいているとなる

雨が少しふっていた,それぼどの雨ではないから良かった
激しく馬が横転して落馬した,人の乗っていない馬が通りをはしりぬけた
こういうことは野馬追いに常にある,落馬するのは相当に危険である
この前は馬が倒れたりした
馬というのは実際に今はじかに見ることがない,競馬でくらいしか見れない
馬が何なのか実際はわからなくなっているのだ。
馬を使っていたとき落馬することは常にあった,馬はそれだけ乗りこなすのがむずかしいのである。へたすると大怪我をする

落馬止め天神

その安徳天皇の怨霊がずっと頼朝をつけ狙い、ようやく稲村ヶ崎で姿を見つけ、頼朝を落馬させたというのです。

毘沙門堂は南向きに建てられていましたが,東海道を通る大名が次々に落馬
毘沙門様を素通りしたためではないかと人々は噂しました

 上落馬橋(黒目川)

 「落馬橋」は旧小金井街道(鎌倉道)に架かっている橋です。
江戸時代、武士が橋のたもとで馬から落ちたのでこの名前がついたということです。

brakuba11.JPG


交通事故にかからないように今なら祈る,落馬は常にあった,自分が見たのは馬と一緒に横転したのである。競馬でも落馬は常にある,それが致命傷になる場合もある
競馬でも9頭が落馬した記録もある,馬に乗った経験があれば本当に落ちることが怖い
モンゴルの馬は小型だからそれほどでもない,日本の馬は大きいし高いから落ちることが恐怖になる

これだけ落馬することは恐れられていたことがわかる,それが神様とか仏と結びつき罰だとしている,そういうことは今でもカルト宗教団体とか他でも言う
何か不幸があると仏罰だとなる,ところがカルト宗教団体でもいつも不幸は他より起きている割合が大きいのである。
ただ当時は神様とか仏様にその原因を結びつけることが多かったのかもしれないさ

「東大寺の大仏を焼いた平家の味方をするな」となときこれは寺側の勝手な解釈である。日本は無宗教だとかいうけどやたら神社や社や祠が多い,寺も多い,それはこうして何か縁起が悪いとかなり結びつくのである。
ただ今でも交通事故なども落馬と同じように縁起が悪いともされるから同じことがつづいているのだ。

ともかく馬というのは実際の生活から消えたとき何かわからなくなる,競馬くらいでしか馬に接しないからである。馬と人間が暮らした歴史は長いのである。
それがまるで忘れられたとき馬についてイメージもできないのである。
馬が糞したりするし道は汚れる,馬が頻繁にいななく,そういうことも実感としてわからないのである。だから野馬追いではあれだけの馬が出るから実感する
馬は大きいから500頭も行列すると迫力がある

戦争でも馬の力は大きかった,義経のひよどり越えとか馬にかかわることはいくらでもある,馬は明治以降もずっと活きていた,荷馬車としても農耕馬としても使われていたからである。太平洋戦争でも馬が活躍していたのである。
日本でも南京とかに入場するとき馬で行列して入場している,仙台の寺には戦争で死んだ馬を供養しているのである。
野馬追いは旗とか甲冑とか見ることもあるのだが馬が蘇る時でもあるのだ
それは競馬とは違うのである。馬があった時代を偲ぶ祭りでもあるのだ
馬にしても何か競馬だけにギャンブルだけに使われるのは本意ではない
野馬追いは本来の馬として活かされる時なのかもしれない

馬を扱うことに優れている→国の力が強くなる

だから相馬藩では雲雀が原で馬を放牧して軍事訓練をしていたのである。それは平将門からはじまっていたのである。 
現代は機械を扱うことに優れていることが国力になっている
馬を知らなければ生きていけない時代があったのである。

出陣式が終わり今度は鹿島に電車で帰ってきた,駅前でタクシーを待っている若い女性がいた。その人は海老原さんの所に行くという,宇多郷と北郷(鹿島)が個々て合流する儀式があるからだ,その人はなぜ海老原という姓まで知っていたのか?
その女性は前も来ていたのである。だから詳しくなった
京都ならいくらでも祭りがある,でも野馬追いに魅力を感じる人もいる
歴女なども増えてきた,そういう女性なのかもしれない,
ただ野馬追いは一回見ると終わりだとも良く言われる:何回も見る魅力がない
それは決まりきったことの繰り返しだからである。
地元でもあきるということがある

ただプログなどで紹介するときこれも一応紹介するとういことでマスメデアの取材とにてくる,何か絵になる写真が欲しいとなる
取材するとは見方がただ漫然と見ているだけではない,何かを訴えるものを写真として出し面白い記事を書こうとするのである。

野馬追いは確かに相馬の城跡から出陣するのだが盛り上がるのは原町の方である。
そこに全騎馬が集結するからである。今年は430騎出場するという。
500のときもあったから多少少なくなったいる
今日はこれから鹿島(北郷)に宇多郷と合流する儀式がある
これも何回も見ている,ただ海老原さん所から街へ行列する所では撮影ポイントがある
田んぼの中を通るから絵になまるのでそこにカメラを構える人が多い
他は街中になるのでてかなかそういう撮影ポイントはない。
posted by 老鶯 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/180483581
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック