2017年08月14日

木槿とお盆


木槿とお盆

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写真は花を活けたらすぐにとらないとだめになる
とりかたも結構むずかしい




なにかあれここに住みつき木槿かな

雨しとと石に木槿や田舎かな

夏燕水面に触れ飛び涼しかな

電車来て黒揚羽舞う田舎駅


姉と母なお我が家にともにあれ今争わず供養するかな

畑よりとりにしダリヤ霊前に備えてでで虫つきてありにし

のうぜんのなお残り咲き雨にぬれ散りけるかな夏はすぎなむ


今年の天気はおかしい,最初に早めに暑い夏が来て次に梅雨が長引いていま感じだ
だから季節の感覚がおかしくなる,こういうことがこの頃多い
蝉にしても夏に盛んに鳴くが実際はもう秋であり秋の蝉になるけどそういう感じがない
逆に秋が早く来すぎたともなる,季節感がこの十年間くらいおかしいのである。

お盆にふさわしいの木槿の花である。何か田舎的であり素朴な感じになる
花にはいろいろあるが何かを象徴している,俳句は短いなかに深さを現す
要するに俳句は作る方より鑑賞する方が試されているのである。
短いからそこに深いものをくみ取ることが鑑賞することが必要になる
そもそも木槿の花がどういうものか深く見ることが必要になる

そして人間はある場所に定着しないと深くなんでも見れない,旅では通りすぎるだけだからである。定着する場が必要なのである。それは故郷なくてもいいのである。
ただ田舎でないと定着しても何か自然の深さを知ることはできない

知っている人が畑からダリヤをもってきた,そのダリヤを見たらでで虫がついていた
こういうのが田舎ならではではでる,ただその畑では金がかかり収穫がほんどない
ただ草むしりしているだけなのかとなる

電車が来てく黒揚羽が舞う,黒揚羽がつくづく田舎の駅にふさわしかった
駅もお盆でにぎわっている

ともかく今年は季節感が狂った,そうなると俳句でも何かうまく作れないとなる
俳句は季節感を基にしているからである。ここ十年は季節感が狂う,すると俳句の文化すら影響を受けているのである。
5,6月辺りが真夏のような時がありその後梅雨が今もつづき秋になるとなると季節感が狂ってしまうからである。

タグ:お盆 木槿
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