2017年08月24日

なぜ復興ができないのか? (戦後の焼け野原からの復興と原発避難区域の相違)


なぜ復興ができないのか?

 (戦後の焼け野原からの復興と原発避難区域の相違)

戦後の焼け野原からなぜ日本が復興できたのか謎である。焼け野原になった写真を見たらあまりにも絶望的だからである。津浪の被害でも原発事故の被害でもあんなふうにはなっていない,津浪の被害も悲惨だったがまだ一部なのである。
そんなところからなぜ戦後の復興ありえたのか?ふりかえるとその当時を生きた人達は団塊の世代の親やその前の人であり死んでいる人が多くなった

ただ団塊の世代は子供時代の貧乏を経験している,みんな家には電化製品はなにもない,飯台一つしかなく炭であり竈でご飯を炊いていたから手間だったのである。
洗濯は近くの小川でしていたし洗濯板でごしごし洗濯していたのである。
そういう時代があったということが今になるとはるかに昔になってしまった
それは自給自足の生活の延長だったのである。
だから卵は贅沢であり玉子焼きが食べられるようになったとき豊かさを実感したのであるただその時農家は鶏を飼っていたら卵を食べていた,農家の方が贅沢だったのである。
物がない時代,自給自足しているような農家がかえって豊かだったのである。

日本がなぜ戦後焼け野原復興できたのかというとき朝鮮特需とか軍需経済から民間経済にシフトした,軍需に労力を費やすことをしなくて良かった,世界の環境でもアメリカがソビエト連邦とかを敵視するようになり共産主義の驚異を感じていたので日本をその防波堤としようとした,何かそうした世界情勢が味方した。
それにしてしもなぜあの焼け野原が10年とか20年で復興したということは驚きである。
日本の底力があったということになる,日本は戦争でも一丸になるし挙国体制では得意である。切り換えも早いということがある,日本の国民性が復興をできた推進力だったというのもわかる

それに比べてなぜ津浪とか原発被害地域が復興できないのか?
それはその当時の情勢とあまりに違う,なにもかも豊かになりできあがった社会が崩壊した,戦後の焼け野原も同じじゃないかというがその時は回りもみんな同じ状態だった
今は回りはみんなやはり同じように豊かな便利な生活をしている
するとゴーストタウンのようになった町や村を見て愕然としてしまうのである。
何か住めないという感覚になる,それは理屈ではない,実感である。

戦後焼け野原になったとき戦地から帰ってきた引揚者がこの辺だと町内から近い小池でも開墾に入った人を知っている,引揚者は浪江でも対馬とか飯館村でもそうだしどこでも不便な不毛な地域に入ったのである。
今ならそんなところに開墾などに入らない,でも仕事となるものがないからそうなった
食料も何もないとなるとそういう難儀な場に人は入ってゆくほかないのである。
もし今のように回りが豊かな生活していたら別である。
人はそんな所に入って行かないのである。対馬では中国人の嫁が夫を都会に出たいと鉈(なた)で襲った事件があった,あんな山の中だとは思わずそうなった

なぜ原発避難者が帰らないのかというときこうした時代の影響が大きい
何でもある便利な豊かな社会に生きていたときそれが突然ゴーストタウンになったとき
もう帰らないという選択をするのも当然だとなる
小高だったら隣の街に行けば前と変わりない便利な豊かな生活をしているからここに住んだ方がいいとなる,飢饉のとき越中からの移民がなぜ来たのか?
それはその時越中などの移民も苦しい生活をしていた,それで土地があるなら与えられるならと移住してきたのである。農業が主の時代だと土地が与えられるならそうなる
今は農業主体の生活ではない,みんな会社員なのである。

ただ故郷に老人だけが取り残される,老人ホームも立派な建物があっても小高では人手が集まらないので再開できないのである。
そのことはここだけではない,ここでは何でも極端なものとして起きている
第一老いた親を残して肝心の子供たちは去り他で別な生活を築くようになったから帰ってこないのである。
でも親を捨ててその親を今度は残った人達がめんどうみろというのも勝手に思う
親を引き取るならいいが残された人たちがめんどうみろというのも勝手だと思う
親は故郷に住み死にたいという気持ちはわかる
でも誰が最期に世話するのかとなると残った人達になるのか?
帰らない人達は親を捨て残った人達が世話するというのもまた勝手だとなる

結局街はどうなってゆくのか?ゴーストタウンとなり残された老人が幽霊のようにさまようとなるのか?
外から見ればそういう街は面白いとか興味本位の対象にされてしまう
そういうことで面白いかとか楽しいかとか小高の若い者は批判した
廃墟趣味のような人も来ている
実際にそれは個人的にも自分は経験している,介護から自分の病気になったとき人はよりつかなくなる,社交的だった女性が認知症になったとき誰も来なくなった
そうして苦難にある家には人が近づかない,近づいてくるのはカルト教団くらいである,それはなぜかとなるとへたに近づくと自分もその苦難を負わせられるしそうでなければ近づいてもかえって嫌がられる

お前はただ俺たちの苦しみを面白がり楽しんでいるだけだとなるからだ
実際はそういう人が多いのである。
そういう苦しんでいる人とかかわるとき自分もその苦しみを背負わされるという覚悟も必要になる,それができるかとなると簡単にできない,ボランティアでも一時的になるからだ。その苦難を共にする人はかかわってもいいとなる
それで関心したのは女川だったのかそこに住み着いた若者だった
それは一時的なボランティアではなかったのである。そこに住み復興を一緒にずっとするという仲間になったからである。そこまで覚悟するとなると簡単にはできない

それより誰が復興の主体であり復興しようとしているのか?
外からの支援ばかりを望みもう死ぬまで支援してくれ補償してくれとなる
そこに残り住んでいる人すら外部からの支援が頼りなのである。
外部から来た人がボランティアでもいくら復興の支援となっても肝心のそこに住んでいる人が復興する気がなかった復興できるのかとなる
肝心な人は故郷を捨てて出て行っているからである。
それなら外部の人が移り住んで復興の主体になればいいと思ってしまう
その方が復興しやすいともなる

戦後の焼け野原の時は苦しい場所でも開墾に入った,それはそう強いられていたのである他に生きる場所がないからそうなっていた,今ならどこでも生きられるとなるからそんな所に入って苦労はしないのである。
そんな貧乏の時,団塊の世代のように子だくさんになった
それは高度成長となり労働力として供給されたのである。

何かこうした時代の相違で復興できない,少子高齢化も影響している
ジジババに予算をつぎこんでも復興できない,無駄だと官僚が本音を言ったのもわかる
ただ復興した例としては新地町は津浪があってかえって前より良くなった
駅前は開発されて新しい街が作られる,相馬市にすらエレベーターがないのにあるのは贅沢だとなる
もともと駅前は何もない所だから開発しやすかったのである。

戦後の焼け野原になったときもかえってそれで新しい街作りとか国造りがしやすくなった戦前の既得権者もいないなくなり日本は新しい国造りに邁進したのである。
そういう場所には何か今までにない新しいものが生れるということもある
要するにその復興の主体になるものが誰なのか?。残された老人なのか?。
そこが戦後の焼け野原になって復興したとき根本的に違っているのである。
posted by 老鶯 at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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