2017年08月26日

テレビでは他人の不幸は蜜の味になる (報道は今やネットで個々人もモラルが問われる)


テレビでは他人の不幸は蜜の味になる

(報道は今やネットで個々人もモラルが問われる)

病気の人にかかわれば病気の苦しみを負う
貧乏の人とかかわれば貧乏を負う
借金している人とかかわれば借金を負う
苦しんでいる人ととかかわることは苦しみを負う
もめごとのある人とかかわるともめごとにまきこまれ傷つく

病気の人とかかわることは自らも病気の苦しみを負うことになる,医者とか看護師はそういう立場にある,その苦しみを受けているのである。
だから精神的負担が大きいからタフな図太い人間でないと勤まらないとなる
障害者の介護とかで精神がおかしくなった人がいて大量殺人までになったが
自らも障害者の苦しみを負わされるからそうなる

貧乏人とつきあうことは貧乏を負わされるのである。
金持ちだったらその金を絶えず請求されるし平等を追及される
例えば一億円もっていたら5千万円よこせとなる
田舎だと特にみんな同じでないと許されないのである。
なぜお前は金をもっているんだ出せとなる

アメリカではそうした黒人とか底辺層とは住む場所も違っているという
広い国だからそういう棲み分けがてきる,一緒に住むだけで軋轢が生れるからである。
底辺層と住むことはやはり金があれば請求される
人間は決して奴隷の身分に甘んじることなどないのである。
いづれは奴隷でも平等を要求してたちあがる,それが人間の歴史である。

借金している人ととかかわると必ず借金を負わせられる
なぜなら借金は大きな重荷でありその重荷をとりのぞきたいといつも思っている
すると金があるなら金を借してくれとなる
例え口で言わなくても無言でもかかわる人に金を要求しているのである。
事業で失敗したような人とかかわると億の借金があったりする
普通の人がそんな人とかかわったらどうなるのか?
そういう目にあったから借金している人かかわることは危険になる
保険金かけて殺された人も現実にいるからである。
借金が犯罪の動機になっているのが多いのである。

何かもめごと争いのある人と所にかかわるのもまたきれいごとではすまない
シリアのような所で記者が残酷に殺されたけどもそういうことがある
喧嘩の仲裁で殺されたりすることがあるからだ
それで報道でもマスコミでもそういう紛争にかかわることは実際は危険である。
マスコミは毎日のように事件が起きるがそれを興味本位に伝える
津浪とか原発事故でもそういうことはあった
報道することはどちからの立場にたって報道している
すでにマスコミは中国,在日が主流をしめているから左寄りになるというのもわかる
すると右寄りの人達からの批判が強くなる,ネットではNHKであれ絶えず批判されているからだ,中国,韓国や在日が支配していると批判される

原発避難者でも一時はNHKは原発避難者側についていいたことを書いた,しかし原発避難者を受け入れた自治体では補償金をほとんどもらっていないから不満がつのっていたのである。そうしたもめごとが紛争がある所に入って報道するのことは危険になる
喧嘩している所に入って一方の言い分だけを報道していたらそのマスコミ自体がたたかれる,それがネットではできるようになったからだ

本当に原発避難区域などに入るのは興味本意の人がほとんどである。人間は別に直接かかわらなければまるで映画のようだとして面白いとなる
それはそこに住んでもいないし遠くから一時的にくるだけでありその人にとって直接は被害をもなにも負うことがないからである。
テレビなとはそうして興味本位に事件を犯罪でも事故でも伝えているのである。
それを見る人も火事で死んでも直接関係ないから興味本位で見ているのである。
もし近くに火事があったらそんなのんきに見ていられないからである。
自分は原発事故では30キロ圏外にしろ放射能の被害があったから外からとは違った見方がある,なぜならやはり被害者だからである。
ただ被害者と被害者も補償金で争ったとなる

報道にもいろいろ問題がある。今までならマスコミだけが報道する権利をもっていた
一般の人は報道などできないから責任もなかったからマスコミが常に批判の的となっていたのである。インターネットで個々人でも一応報道できるようになるとき
今度は個々人が批判の対象になる,それで自分も批判された
それは数行でしかないがグサリとつきささるものがあった

八沢浦で元の美しい入江にもどったということを写真入りで報道したとき
ここで幼児が泥まみれになって死んで俺たちは泥をかきわけて探していたのだぞと言われた
その時何が美しいのかということでその人は怒りになっていたのである。
個々人が記者のようになるとあらゆる場面で映像としてとり残しインターネットでプログでもなんでも出すことができるからそうなる
津浪にのまれる人をビデオにとっていた人もいた,助けないでビデオをとっていた
それはまさに記者でありそううい衝撃的な映像は放送すると視聴率がとれるからである。個々人がそうしてマスコミと同じようになっていたのである。

いろいろな人がいたが作家と詩人とかもいた,フランス文学賞とかもらった詩人もいた,それも原発事故を契機にネタにして有名になったのである。売名詩人とか作家とかなる
その詩の内容はどうでもいいのである。
それをNHKでもマスコミでももてはやしたのである。
そういう人もやはり興味本位であり本当に被災者を思っているかとなると疑問になる
つまり全国民が興味をもっているときそういう人は話題になりここで名前を売り込むことができるのである。
NP法人でも国から自治体から金をだましとった人も普通にいた。
つまり善意を装って被災地を食い物にする人達が普通にいるのである。

だから原発避難者にしてみれば原発避難区域になったところでは興味本位で面白がって来ている人が多いのである。ゴーストタウン化した街というのはどういうものか見たいとなる,自分もそうだった,興味本位でありそこに住む人のことを考慮していない
ただ自分の場合は同じ被害者でありまた同じ南相馬市とか相馬藩内であり密接にかかわるから外から傍観者とは違う,その影響を受けるからである。
自然を破壊されたりしているとやはり景観でも水でも何でも影響を受ける
だからなんとか復興してほしいとか傍観者でいられないから発言しているのである。

ただ原発避難者でも興味本位とか面白いとかいうけどその人たちは毎日パチンコ通いギャンブルしていのがほとんどだったのである。
外からは興味本位の人が来て内部の人はギャンブルしていたというのも異常である。
もし内部の人が当事者が本当に病気であれ貧乏であれ苦しんでいたら別だが補償金もらって喜んでいた人が多いのも現実なのである。
そういう人達を見ていたら街が興味本意の対象にされていることに怒りなどもたないだろう。なんとか本当に復興しようと汗を流しているなら別である。
俺たちはこんなに苦労しているのに外からくる人はしょせん興味本意で楽しんでいる
そうなるとそういう人達に怒りにもなるのである。
でも避難者の当事者が実際はギャンブルして避難区域の復興などどうでもいいとなれば
外から興味本位で見に来る人も批判できないともなる

いづれにしろ自分も経験しているけど他人の不幸は蜜の味になる
毎日テレビで事件を報道しているけどそういう面がある
別に自分たちに直接火の粉が降りかかってくるけでないからである。
ただ傍観者として楽しんでいるとなる
そこに報道の問題があった,常に言われるのは貧乏人のことを話題にするけど
マスコミの人は高給取りでありそんな貧乏人と関係ない暮らしをしているのである。
そして報道ではそれみよがしに同情したふりして報道しているのである。
そのことは常にネットで批判されているのである。
マスコミで報道する人など貧乏人のことなどどうでもいい,興味本位の対象にしているにすぎないのてある。それに視聴者も興味をもつからそうなる
NHKですら貧乏人を捏造していたのである。

貧乏人とかかわることは身銭を切って助けなければならないようになる
報道する人はマスコミはそんなことはしないのである。
報道は必要でもなにかその報道の姿勢が問題になる
なんのために報道しているのか?ただ興味本位であり視聴率をあげるために衝撃的な映像でだす,それは個々人のレベルでも起きているのだ。
報道の倫理というのものは何なのか?マスコミにはそういうものはなかった
ただ視聴率をあげることが最大の眼目でありモラルなどないのである。

別にインターネットで報道しなければ自分だって報道は何かなど考えない
そもそも報道できないのだから考えようもないのである。
視聴者はテレビとかと比べると極端に少ない,でも報道することはそれなりの姿勢が必要になる,モラルも必要である。
どういう趣旨で報道するのか?ただ刺激的なものを報道して視聴率をとればいいのかとなる
津浪の被害地域であれ原発避難区域であれその状態を知ってもらいたいということがあるでも興味本位になったら面白い楽しんでいるだけだとなる
そうしたらその当事者は怒りになるのである。
俺たちはこんなに苦しんでいる,家族も死んだ家もなくなった,それを面白がり楽しんでいるのかと怒りになるのである。
一時自分でもそういうことがあった,そう受け取られた,誤解があり批判されることもある,報道すること自体絶えず批判にさらされているのである。

あなたは何のために報道するのですかとなる,駅のことを報道してきたがそれは鉄道を利用してもらいたいという自分の願いがありそれは別に津浪とか原発避難者とか区域を報道するの放とは違っている,誰からも批判されることはない,無視はされるが批判されないのである。そこで津浪の被害者や原発避難者などの怒りをかうことはないからである。
報道で問題になるのはだから苦しんでいる人達のところにづかづか入っていってただ興味本位で報道するときである。その時怒りをかうことになるのだ。
実情を知らせるためですというのもわかるが実際は興味本位に報道して視聴率をあげるためだけなのである。

実際に何か大きな事件とか災害とかないとテレビなど見ない,芸能人のゴシップばかりにもあきているからである。でも一旦そうした大きな不幸かあると視聴率があがる
だからテレビにとってマスコミにとって他人の不幸は蜜の味なのである。
そして視聴者でも他人の不幸は蜜の味である。自分に被害が及ばないから傍観して見ていられるからである。

ともかく報道することにもいろいろな問題がある,本当にその人に同情して報道しているのか?そういうことは報道にはまれではないか?
マスコミの記者は絵になる報道したいからポーズをとってくれとか被災者に要求してくれとかそこで泣いてくれとか要求しているのである。
テレビでは役者が本当に涙を流すがそれも役者だからできる
何かそうしてドラマのように作られて真実が何なのかわからないのである。

自分の場合は現場にいるのだからリアリティを追及して報道した
それで原発避難者から批判があったがそれも現実なのである
きれいごとではすまされないのである。
原発避難者側にもかなりの問題があったのである。
本当に働いたのは津浪のときは自衛隊だったと言っている
瓦礫をかたづけたからである。それで過労で三人くらい死んでいるからである。
他は津浪の被害地に来ても興味本位なのが多かったのである。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/180783746
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック