日本では認知されないボランティア活動
(法律的にもあらゆる面で排除されている)
日本ではボランティアが法的に認知されていないということがある。アメリカにはボランティア振興法があって、連邦政府によるボランティア支援が財政面でも組織面でも体系的に整備されており、また、歴代大統領が、法令を制定してボランティア振興のための財団その他の組織をつくり、運営を支えてきている。イギリスには、チャリティ委員会がある
日本のボランティアは、法的な居場所がないだけでなく、サービスの対象者から実費や謝礼金を受け取ろうものなら、たちまち各種の事業法令によって締め付けられる。
駅でのボランティアで感じたことはここに書いてあった,これはボランティア全般の問題である。ボランティアの地位が確定されていない,認知されていないのである。
だからボランティアしていても何をしているのだろうと社会では見る
いくら無償で働いても認知されない,自分の場合はただあやしい人というだけになることもある
それは自分がボランティアを見ていたとき同じだった,この辺ではボランティアが今でも来ている,でもボランティアは何しているのとかなる,それは駅で自分が案内とかその他時刻表を作って配ったりしていても駅を利用しない人は近くの人でも何をしているのとなる。
ボランティアとして熱意がありしていても認知されないのである。
その原因は様々である。ボランティアは何か気まぐれなのだ,何か災害があると寄付があるがその時は寄付してもあとはしない,たいがい一時的なものであり継続的にしている人は少ない,だから海外の援助でも定期的に援助しないと実際に外国で働く人は医者でもなんでも困るのである。
定期的に継続してボランティアは資金でも労働力でも援助しないと援助される方も困るのである。
この辺ではだから自転車旅行でぶらりと立ち寄りボランティアになった人などが結構いたその泊まる場所も近くにあった,しかし地元では必ずしもボランティアを認知しないということもある,それはどこでもそうなのである。
川俣の山木屋ではいろいろな人が来たけど大学でも継続しているのは一つだけになった
つまり定期的継続的に支援してくれるのは本当に少ないのである。
またボランティアというのはせ法律的にも社会的にも権限は全く与えられていないのである。だから街の防犯をしているものは警察から嫌がられる
お前は何しているんだ,ここは俺たちが見回りしている所であり外部のものは入るなとかなる,ヤクザの縄張りのようにな所に勝手に入ってきて防犯であれ警察の代わりのようなことはするなとなる,それでもめていたのである。
警官は法律でも権限もあり守られているがボランティアには日本では全くないのである。だから日本はボランティアがしにくいのである。
そうなると社会全体にとってもいいことではない,ボランティアが必要であり活気をもたらしたりすることがあるからだ
ボランティアは社会的に確実に必要なのである。でもそれは法的にもあらゆる面で認知されていない,それは社会からも認知されていない
あいつなにしているんだ,あやしい奴だと警察に通報してやろうくらいになる
そしてその善意はくじかれてしまう。
ボランティアは社会自体が認知していないのである。
それが確実に必要でもそうなっている
JRの人とも何度も会い話しているけど全く認めない,ただ公安委員会の人が言うには知っていて黙認していることは認めたことだという,でなければ拒否されることやめろと言われることになるからだともなる
つまりボランティアは居場所がないのである。誰も社会でも認知されないとなるとただあやしい人として警察に通報されるだけだとかなる
それも法的に守られてもいない,居場所もないからだとなる
ボサンティアは必要でも日本では社会的に受け入れるような体制がないのである。
ボランティアでも医療関係でもボランティアしようとしても定期的に継続的にチームとなって働かないと邪魔だともなる,
だからボランティアの居場所自体を確保するのがむずかしいとなる
日本にはボランティアと受け入れる素地がないのである。
それはやはりキリスト教の国である。そういう伝統があるからだとなる
日本にはボランティアというのも歴史的社会的に育つ土壌がなかった
だからそもそもボランティアは社会的に認知され受け入れられること自体むずかしいのである。それが社会にとって確実に必要であってもである。
そうなるとボランティアを受け入れない社会は大きな損失にもなる,ボランティアは社会に不足しているものを補う役目が確実にあるからだ
それが受け入れない社会はかえって社会全体にとって損失になる
今回の駅での経験はいろいろ考えさせるものがあった,だから自分にとって社会勉強になったし面白かったとなる,ただあやしいとか警察に通報されたりしたのはショックだった自分にしては外部の人でも道案内されればありがとう絶えず言われていたし内部でも時刻表を作ったりして配ったりその他教えることもあった
それと駅は様々な人の行き交う場所であり社交の場であり広場の役割も果たしていたのである。
いづれにしろ日本ではボランティアは居場所かないというとき特に老後にボランティアしたい人は本当に多い,でも老人だとまた受け入れるのがむかしくなる
体力的にもそうだしいろいろ問題が生じる
するとまた社会から老人は排除されて不満になり社会に居場所がないとなる
それは深刻になるとキレル老人となり社会に害悪をもたらすのである。
ボランティアにも老人にも居場所がないのが今の日本なのである。
日本の社会は何か硬直的社会であり柔軟社会でないということもあるのだろう。
社蓄とかいう言葉にも現れている,
「人間を幸福にしない,日本というシステム」カレル・ブァン・ウォレフレン
ここでも書いてあるが本当に日本は窮屈な社会なのである。
奴隷社会なのである。そうしてみんな社蓄なんだよというときそれを是認しているとき
社会全体奴隷社会であり暗い抑圧的なものになっているのである。
それは文明そのものがそうでありそこからアウトサイダーが生れたのである。
ボランティアこそ実は事故実現とか生きがいを与えるものなのである。
自由意志でやるのであり奴隷のようにするのではないからだ
芸術などの創造は自由意志であり自由がなければありえない
ボランティア精神こそ人間を人間たらしめるのである。
だからボランティアが否定される,認知されないとかの日本のシステムがそうなのであり日本人を幸福にしないシステムだと見るべきである。
タグ:ボランティアの問題
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