2017年09月06日

「心の青雲」都築氏死亡の波紋 (インターネット利用はどうすべきなのか)


「心の青雲」都築氏死亡の波紋

(インターネット利用はどうすべきなのか)

交際相手に殺されたキャバ嬢のTwitterは、死ぬ2時間後まで元気な書き込みがされていた突然の死の後、アカウントはスパム業者にのっとられ、宣伝ツイートを延々垂れ流すbotになってしまった。

家が廃墟になった後、管理なしできれいなままにするのが不可能なのと同じ。
インターネット空間に放置されたサイトは消えないまま、第三者や悪意のあるプログラムによって、踏み荒らされてしまう

「心の青雲」都築氏のログはグーグルとかで残されている,それは日本の機関ではない,アメリカである。すでにこういうことでインターネットは国際的なのである
国際機関で世界の情報を作品を残しているのである。

ただ都築氏が死んだときどうなるのか?そのプログをそっくり自分のサイトに転載する人もでてくる,そして宣伝で稼いだりする人もでてくるかもしれない,管理する人がいなくななればそうなる,管理する人がいれば訴えられるからだ

まず死亡したからといって商業利用る人は許可がいる,著作権を受け継いだ人がいてその人の許可がいる,ただではインターネットはそもそせ商業利用していない
ただ実はグーグルとかでは宣伝に利用して利益をあげているのである
それはインターネットを作っているのが検索させているのがグーグルとかの会社だからである。

ただ出版だってこれも商業利用であり取り次ぎから出版社から印刷会社から書店からとかかわって出していた,だからそこではコストがかかりすぎるから簡単には本は出せないのである。それでどうしても大衆向きの本が出されるようになる
硬い本は売れないからだ,週刊誌などみればわかるだろう。
一時はスクープもあっだか最近は芸能ゴシップとか他つまらないものとなった
そもそも文化と商業利用はなじまないのである。

インターネットの特徴は商業利用もあるが無償でできるということが違っていた
コストがほとんどかからないのである。手間はかかっても金はかからないのである。
本は古本でも金が関係している,インターネットは無料で読めることが違っていた
だから出版社とかから出せないものでも出せる

都築氏はマスコミとか出版社でもそうしたものを嫌っていたのである。
ただ彼自身は何か出版社とかで作家の手助け,編集をしていたみたいである。
どういう仕事をしていたのかわかりにくい,そもそも家が裕福だとすると
金に困ることがない身分だった,最後にプログで自分の思いのたけを表現したのである。

本としては残らないにしてもログは残っている,それは本なのか?
死んでそれを勝手に利用できるのか?
例えばプログに勝手に転載できるのかという問題もある
旧プログを転載していたのは許可があったからだろう。
今は許可する本人が死んでいるのだから困惑してしまうのである。

死後50年著作権が消滅しないというのは著作権を受け継いだ親族などが商業利用して金にするとき問題になるのだろう。
インターネットはもともと無料で読めたものだからこれもまたどうなるのか?
ログとしてあるのだから読みたい人は読めるのである。

自分の文に引用するときは二三行であり主が自分にならねばならいとしてある
それも著者が死ぬとどうなるのか?勝手に全文を転載する人もでてくる
それをとがめる人もいないとなる,本人は死んだのだからそうなる

著作権というのは何かわかりにくい,自分の抽象画もインターネットの画像をソフトで変化させて作っている,これもまた著作権からすると何なのだろうとなる
インターネットにはこうしていろいろわからないことが多すぎるのである。
それは今までにないものだからそうなっているのである。

ともかくログが残っているので再検討することが可能になった
その全容を編集することも可能なのである。でもそれは著作権違反になるからできないともなる
でも本人が死亡しているということでどうなるのかともなる
インターネットではルールも確立していないのである。
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