2017年09月13日

失われる文化の多様性 (交通,科学技術の発達で一様化される社会)


失われる文化の多様性

(交通,科学技術の発達で一様化される社会)


多様性とか文化とかはどうして作られるのか?
その基本は地理と地形とかがベースになる
相馬藩内で多様な場所に住んでいるのである。
その住んでいる場所で気持ちが変わる

大倉村でも戦後開墾に入った木戸木は大倉村から七曲がりの坂を上りまた草野に行くのにも七曲がりの坂を上る,大倉に店が一軒あったからそこまで買物に行くのにも半日かかりになってしまうだろう。車がなかったらそうなる
今になるとなぜそんな所に住んでいたのだろうとなる,それは戦後は働く場所がないのでやむなくそんな不便極まりない所に住んだのである。

あのような場所に住んでいると人間はどんな気持ちになるのか?
そこには確かに何度も行っているけど住むとなるとまた違う。
まさに秘境なのである。ただ日本は地形が複雑でありこうした辺鄙な所に住んでいる人がいくらでもいる,日本の多様性は日本の風土から作られたとなる

相馬藩では飯館村は一番特殊な地理的環境にあった,高原の村であり夏でも涼しい,そして森におおわれた村である。それでいつもそこは花が他より美しく咲くのである。
その環境が花を美しくさせていたのである。
その土地土地に独特の気がある。その気が飯館村では違っていた
それが原発事故でだいしなしにされたのである。

人間はそもそも多様な地域に住み生活していた,世界的にみればさらに多様な風土に住んでいる,草原で遊牧生活するもきもいるし砂漠でも人は生活している
多様な風土で暮らしていることに文化の多様性が生れる
その多様性があって人間の生活は文化が形成されて人間を豊かにしていった

ところが交通とか科学技術が発達すると鉄道とかでも世界を均質化するのである。空間の均質化が起こる,その土地土地の個性的なものが均質化してゆく
沿線には同じような街,銀座通りとか東京のまねをしたようなものができる
江戸時代だったら村でもみんな違っていた,それは他の村と交流もないとういことで個性的になっていた。
鉄道が通ると均質化してみんな同じようになってしまうのである。

そして国自体が無個性化してゆく,国は日本などでは戦争に負けた結果,常に否定されてきたのである。国家とは悪いものだとすりこまれてきた,だからアナーキーになっている無国籍だとかしきりに言うのがかっこいいとなったのである。
それは世界的兆候なのである。第一グローバル社会といのうは国家の障壁をとりはらうことを目指しているからだ,
国家より多国籍企業のように国家を越えて活動することを望むだから国家を否定するようになる,
資本主義社会でも共産主義社会でも国家は否定されているのである。
マルキシズムの思想には国家と民族は否定されるからその文化も否定される
それは資本主義でもグローバル社会でも同じなのである。

そして移民も受け入れて多様性を受け入れるとなったがその反動がきている。
移民の国,アメリカですらトランプがでてきてそうなっている
文化はcultureはその土地土地をcultivateすることによって作られてきた
例えばワインなどでも土地の名前がつけられたものがある,日本酒でもそうである。
その土地土地によってその土地で耕したものたcultivateしたものから生れてくる
別に文化というとき芸術というのではない,全体のことだからである。
ただその時相馬藩内とか狭い所でも多様性が失われるのである。
相馬藩内と三春藩内では家の作りまで違っていた,それは文化が違っていたことなのである。

だから少子高齢化で限界集落が増えて消滅してゆくことはそうした多様性が失われる
でもその多様性がありえたのは貧しくてもその土地に根付いた自給自足の生活がありえたからだったのである。
そこに便利な生活になったとき,交通も発達したとき,電気なしで車無しで生活できないというときそうした地域の生活は失われる
そのインフラ維持するだけで100倍のコストがかかるとかなるからである。
その負担は都会の人が東京の人が払うとなると不満が生れる

そんな限界集落などいらないとなるのである。
そしてコンパクトシティにしろとなる
それだとインフラでも福祉でもやりやすいからである。
飯館村辺りだと一軒一軒離れていると回るだけで時間がかかるからである。
現実に原発事故で避難区域になった町や村はそうならざるをえない
農業とか林業していた周辺地域には人は住めず町の中心に人が集まって住む

飯館村だと草野辺りが中心となり周辺の広大な地域は元の森にもどってしまうのかとなる
日本では狭い国土でも風土が多様性に富んでいる,沖縄と北海道は別世界にもなる
相馬藩内でも飯館村は別世界のようになっていたのである。
だから日本は意外と中国などを旅するより変化に富んでいるからあきないということがある,どこまでも平坦な土地がつづき大きな川が流れているだけの風景は飽きるのである。
ともかくその土地土地の風土とか文化があることによって世界は豊かなものになる
それが失われるとき世界は文化的には貧しいものとなる

熊の湯に蝦夷竜胆や羅臼かな

熊の湯というのは羅臼にある露天風呂である。 蝦夷竜胆というのが羅臼に咲いていた,それは普通の竜胆より大きいのである。
蝦夷とつく名が多いからいかにも北海道らしいとなる
その土地土地ににあった花が咲くというのも文化なのである。
都会というときどこも均質化しているからかえってつまらないとなる
京都とか奈良とかは歴史がある故に違っているが他は何かにたものが多くなっているからである。均質化して多様性が失われる
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