2017年09月13日

東京から故郷に帰る老人が増える (それも困ったことになるのでは?)


東京から故郷に帰る老人が増える

(それも困ったことになるのでは?)


今日駅であったのは昭和11年生まれの人だった,若く見えるから集団就職で東京に行ったと思った

「この駅は変わっていないな」
「これは明治30年建って以来変わっていないです,鉄道マニアが写真とりにきまから」
「わたしは東京に出て帰ってきたんです,東京では車が走っていました」
「そうでか,車は田舎ではみかけなかった,荷車とか荷馬車の時代だった
車がそんなに走っていたんですか」

戦前となるとこれもまた集団就職とは違う,それにしても昭和11年生まれでどうして東京に行ったのか?子供のとき東京に行ったとなる,それはわからないが東京に戦前でも働き口を求めて出た人が結構いるのだ,東京の工場で戦時中働いていた人も知っている
その人はしきりに車に乗っている東条英機を見たと言っていた
自分の母親は女中の仕事で東京に出たのである。
姉も看護婦の免許をとるために東京に出たことがあった
東京とのかかわりはなんかあったのである。

ここで考えたのが一人は集団就職の人だったが実家があって帰ってきた,この人も実家があり帰ってきた,どちらも老人になっているのだ。
するとこれから田舎は東京からなど帰ってくる老人が増える
東京より田舎の方が今度は住みやすくなるからだ,でもこれもまた田舎にとっては困ったことになるかもしれない,なぜなら若い者が働き手がなくてこの辺では困っているからだ80才ともなると介護とかなれば世話する人が必要になる
つまり若い人と違って負担になってくるのである。

何かこれも戦後であれ東京一極集中の経済の問題があった

戦前の銀座通り
戦前の東京

銀座となれば車が結構走っていた,荷車に自転車も走っていた,人力車も走っていた,荷物を運んでいたのが多いかもしれない,その頃自転車自体が相当に貴重なものだったろう。
自転車自体がそんなに普及していない,戦後自転車を自分の家でも買ったが買い換えることはなく,毎日みがいて手入れして使っていたのである。
自分は子供の頃から自転車に乗るのが好きだった,ただ今のような自転車ではなく何か
ごついというか軽快に走るものではなかったのである。

その人は孫か誰か駅に迎えに来ていたのである。
故郷に帰ってくる老人はなまえが消えて東京弁に標準語になっているからわかるのだ
でもしばらくいるとなまりがもどるのである。でも東京弁というか標準語は消えないのである。
だからつくづくなまりは国の手形だというのは今でも変わらなかったのである。

今は駅には長くいない,でもふらっとよると誰かがいる,駅は人が出会う場所なのである警官がきて誰かがあやしいと通報されたことはショックだった
今の時代,みんなあやしいと見れられる,子供や若い女に近づいただけでそう見られる時代である。
だから痴漢を疑われて犯罪者にされるとか問題が起きる
何かそうしたことが常に報道されるから過敏になりみんなあやしいと信じられない時代になっているのだ。
でも信じられる人間も肩書ある人間も著名人でも犯罪はあるのだからこれまたそうなると誰を信じていいのかさえわからてぐなるだろう。
情報にふりまわされ過敏になるのも問題だとだから指摘したのである。

法律ではなんでもあやしいと通報して警官がくるのは「害悪の告知」とかにもなる
害悪がないのに告知する,通報するとそれも犯罪になるのである。
だから警官が来たら氏名を聞いてカメラで写真をとり対抗措置をとる必要がある
なぜなら通報した人は害悪の告知で訴えられるということも知るべきなのである。
そうしなければ田舎で公共の場に出入りできなくなるのである。
現実自分がそうなったのである。その被害は実際は大きかったのである。
ただ今はあまり長居はしない,ふらっとよって誰かいたら話する
そんな程度だと誰もあやしいとはならないだろう。
こうなるとボランティアでもないとなる
ボランティアだったらもっと何か役にたたないとならないからである。

いづれにしろこんなに小さな田舎でもいろいろな人が出入りしていることは意外だったのである。
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