病気とブログと私
(心に青雲の都築氏の病気との戦いそして死)
//kokoroniseiun.seesaa.net:80/archives/201112-1.html
ここに都築氏の病気の姿勢が書いてあった。
私は平成14(2002)年11月に腎不全で入院し、人工透析を受けなければ死ぬと言われて、とうとう障害者の仲間入りをしてしまった。
なにも社会に恩返しもせず、ただボケ老人となって週3回、病院のベッドに寝そべってカネをかけてもらうというのはみっともない。なかには完全にボケ、植物化しているのに、家族の「生きているだけでも…」というわがまま、もしくは生きていさえすれば年金をもらえることを狙いに、意味のない透析をさせられている者もいる。
返す刀でというか、私はブログでしきりに弱者の甘えを叱った。不妊症の女性が人工授精に走ることや、鬱病、ボケ老人、被災地の避難所で昼寝している怠け者などを叱った。
それに対して、お前は健常者だから他人の痛みがわからないのだと、猛烈な罵倒を浴びることとなった。
私だって障害者なんだ、弱者なんだとは言わなかった。
この姿勢には感心する,人間はどんな人でも病気には弱いのである。
自分も自分の病気と介護で苦しんだことをプログに書いた
都築氏からはそうした苦しみが伝わってこない,プログを読む限りそういう弱さを感じない,吐露していない,だから何か病気なのかと読んでいた
ただプログからだけではその人のことはわかりにくい
そもそも人工透析でそんなに生きられるのかということが理解できない
2002年からはじまり2017で死んだとかなる
30年も透析していた人もいるから驚きである。
要するに他人の病気というのも理解しにくいのである。
自分の病気なども何の理解もされなかった,ただその病気をいいことに責められたたげなのである。
人間は他人の苦しみを理解することはむずかしい
都築氏の感心するのは死ぬ直前までそういう病気の苦しさをプログではみせなかった
そして体の調子が悪いと書き込みがなくなって一カ月くらいで死んだのである。
寝たきりになり介護状態にもなっていない,死ぬ直前までプログに書くことに情熱を注いでいたのである。
それは意味あることだった,透析で金を使わせてもらい生かしてもらっているからという負い目がありそれで何か社会に役立つことをしてたいとそうしていたのである。
だから他人の介護と老いとか病気に厳しいから批判があった
自分が病気になのにそういう人達に同情しなかったからである。
現実に最後まで強気だったしそういう同情も要求していない,俺はこうして病気で苦しみながらプログを書いているんだよとか同情をかうようなことをしていないのである。
自分などは延々と書いていたのである。別にそれで同情されたこともないけどそうだった
死んでから思うのはそういうふうに苦しいものとして読んでいなかった
今思うと必死になって書いていたのかとなりそのことで書いたことの重みが残った
もっと日本文化面でも展開することがあった,それだけの多様なことに造詣が深かった
日本文化を追及しているのでそのことに共感していた
なぜこういうことがプログで起きたのか?
それはインターネットはプログは生放送なのである。
本とはできあっがものであり性質が違っているのである。
刻々自分の生きている,感じていることを書いているのである。
だからそうして日々書いていることは日々生きていることを伝えていたのである。
それが突然中止となったとき死んでいたのである。
本だったら有名な人でも日々は出していない,一年に一回とかだろう。
本は一冊で完成されたものとして書いてあるし死んでもそのように読んでいる
プログは毎日書いている,それは本とは違って日々の生きているその人の鼓動が伝わるようなものになっている
ただそうして他人のプログを毎日読んでいるのはわずかである。
自分は三人しか毎日読んでいない,第一それだけのものを書ける人はプログを書く人ではまれである。
だから熱心にアジ演説をしていた人が急に倒れて死んだという感じになったのである。
だから今でも死んだように思えないのである
ただインターネットは今までとは違いそういう人もでてくる。軽いメデアとも違い命をかけて書いている人もいるということに気づいた
それは日々の生放送なのである。
ただ都築氏の場合,他だったら癌のことをプログに書いているがそれは苦しみを書く,そういう病気のことはほとんど書いていない,文章からそういうものが全然感じられなかったのである。
だから死んでみてそこが一番不思議だった,自分は直接つきあいがないからわからないこともあった
でもプログを読んでいた人がみんなつきあいがあるわけではない,ただプログからしかその人のことはわからないのである。
だから都築氏のインターネット上でのプログで書き続けた死というのは今までにはありえない死だったともなる
今までインターネットは架空のことだとか重いものと感じていない人が多かった
今や命をかけて書いている人もいるという時代にもなったのかとなる
日々の生放送として伝えることができるということが今までのメデアと違っている
ただインターネット上でプログを書きつづけて死んだということが今でも何かその意味がのみこめないのである。
タグ:都築詠一の死の意味
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都築さんを最期までずっと施術して支えていました。でも一方で、この二人は学問的には対立していて熾烈な論争はしょっちゅうしていました。
東洋医学は達人といういかがわしさが付きまといますが、人間の身体は言葉で理解できない、西洋医学では解明ができない領域があるのも確かなのです。
都築さんは、この達人の施術の見事さを身をもって実感していましたし、東洋と西洋の医学を統一しようとする学問の考究も高く評価していました。
この達人の論文の跋文が、都築さんの最後の文章でした。
明治以降は西洋医学一辺倒でした
それはあらゆる面でそうでしょう
東洋医学というのも見直される時期にきているのかもしれません
自分は胃が弱いから朝鮮人参の薬を毎日飲んでいる
それを飲んだのは薬剤師が胃の血流を良くするからと言ったときそれを信じた
薬も薬を与える人の一言が影響するんだつくづく思った
病は気からというのもある
東洋医学の復興というのも必要になっている時代なのでしょう
それは日本でもあらゆる面でそうである。
文化なら国風文化の時代になると自分は発信してきたのである。
西洋的なものが何か限界がきて現代のゆきづまりになっているからです
観察、実験、分析、証明といった手続きを経ない考えは、憶断か迷信です。
このやり方は多くのいいことをもたらし、何より人間の暮らしを便利にしました。
物質を利用するのにもっとも適した方法が、ここにはあります。
自然科学の厳密さがなければ、飛行機が飛ぶというような、信じがたい現実はありません。
でもこの方法を物質以外のものに当てはめて様々な問題を解こうとしたときには、大変おかしなことになります。
生き物や社会や、あるいは心そのものをあつかうときにには、厄介な誤りをおかします。
それらはみな動いていて、その動き方は物質に対して可能な予測や計算を超えています。それらは、自然科学があてにする物質の必然的法則に従いません。
それでも、近代ヨーロッパの言語学、生理学、心理学、歴史学、社会学の諸学は、物質科学を模範とすることをやめませんでした。
観察される対象は、あらかじめ観察しやすい静止物に置き換えられます。分析されるものは、分析しやすい要素(原子)の集合に置き換えられます。ばらばらにした要素を組み立て直せば元の対象になります。それが部分と部分とのどんな組み合わせで動くかが、いろいろ実験を通して証明されます。
この構成主義的態度は、近代ヨーロッパの諸学を貫いて実に多様な形で成立しています。ただ、その根は一つです。
それは、人間の身体が外部の物質に働きかけるとき、できるだけ正確な細かい予測を立てて行動するために必要とされます。
だからこそこの態度は、物質を支配する行動に最も役に立ち、続いて物質以外のものを物質並みに支配する行動に役立ち、以下、この原測から遠ざかるほど役に立たなくなります。
近代戦争は、近代科学の最大にして避けがたい帰結です。後戻りできない、核兵器、原子力発電の開発もここに含まれます。
「国家」の近代的建設もまた、近代科学の構成主義的態度を抜きには成功しません。
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西洋文明の源をたどるとギリシャとかになる,そこで原子がアトムが究極の物質の単位きして発見された,そのもの考え方がヨーロッパに引き継がれた
つまり文明というとき基本的にはそうしたものの考え方にあるということでしょうか?
科学には弱いのだけど西洋文明の根底にそうしたものの考え方があり社会全般に適用される,医学でも体を部分に分解してみる,東洋医学だと体全体からみる
西洋と東洋では根本的にものの見方が違う,東洋となるとそれが何かわかりにくいけど
宗教というのはキリスト教でも実は東洋のものアジアから起きている
宗教の宗は宗(むね)なるものとして全体のことですから
西洋文明というときその根底にギリシャから受け継がれたものがあり成り立つ
アトムという究極の物質に分解して世界をみる
そういうものの見方が文明を作っているという,文明は何かというときそういうことにもあったということになる
西洋文明の帰結として核が生れ原子力が生れた,それはギリシャで原子(アトム)を世界の構造の中心に置いたときからはじまっていた
文明とは何かとなるとそういうものの見方にもあるということに気づかされた
ただ本当に東洋とは何かというとき西洋文明一辺倒になり不明になったことが多いです
宗教は明らかに西洋文明のものではなく東洋に起こった,キリスト教でもそうのなですがそこが何か誤解されている
とにかく西洋文明がゆきづまったというときでは東洋文明とは何かとなるとそれが明確にならない,何か忘れられたから再発見する必要がある
東洋医学というのも再発見する必要がある,日本文化でもそうでしょう
それで日本文化を見直す都築詠一氏に自分はひかれてプログを読んでいたのです
私自身も政治や陰謀論以外以外の記事はとても刺激を受けて学びになっていただけに突然旅立たれたのは残念でした。それにしても、こうして都築さんの記事を取り上げて振り返り検証してくださる方がいるということはきっと都築さんも喜ばれていることだろうと思います。
そうですね,人間は弱い
都築氏には病気なのにそういう弱さを出していない
それで非情だとも言われたが自分も病気なのにそのことを言わない
自分には厳しいから他者にも厳しい人になれた
そういう姿勢を一貫してつらぬいていた
なかなかてきないことです
陰謀論になるとなかなか抵抗がある
それで近づきがたいとかありインターネットのはで表現して終わってしまった
何かもっと言いたいことがあったし
ログも全部は残らないので再検証できない
なぜ自ら消したのか消されたのか?
その辺が良くわからないです
都築氏の文章はわかりやすい,学者のようには言わない,それでぴんとくる
でも弁証法などというめんどうくさいものを
追及していたわりにはわかりやすい文章だった
だからいろいろなことで理解しやすい
むずかしいことでも理解しやすかった
とにかくもっとプログも書き続けるものかと
思っていたから残念だった
でも日本にとって未来の指針となる
大きな人物だったと思う
ただそれはインターネットでしか知られないというのも時代だった
無宗教だから自分とは相反するし対話はなかったがずっと毎日読んでいたし注目していた
大志を言っていたが道なかばで逝ってしまった
都築氏の「心の青雲」の大志とは何だったのか?
今一つわからないまま死んだ
その大志を受け継ぐの次代の人です
自分も対立することがあってもその高貴な人格にひかれていたのです