看護のための命の歴史」の物語を読む
(都築氏の相互浸透などの思想の基となった本)
はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。
神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。
そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。
「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。
神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた
地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。 1:12地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。
「心に青雲」の都築詠一氏の評論のバックボーンになったものは「看護のための命の歴史」の物語という本にあった,それで早速アマゾンで注文して読んだ
アマゾンの便利なのは自分の関心ある本を読めることである。
だから今になって読む本がまた増えて困っているのである。
安いなら買う,古本だと買いやすい,なかなか全文を読むとなると苦労になる
都築氏が言ってこと相互作用相互浸透とかの言葉はこの本を参考にして生れている
ただなぜこの本が看護と関係あるのかというとわかりにくいだろう
相当に難解になるだろう。
わかりやすいのは母乳が必要だというとき牛乳ではなぜだめなのか?
それは命の歴史にかかわっていたからである。
人間が母乳を飲むということ母乳には人間が生れた地球の歴史とかかわっていた
人間から出る乳と牛から出る乳は違っていたのである。
そういうことは確かに看護と関係していることは確かだかその他のことはわかりにくい
ただ聖書の天地創造と一致していたのは水の重要性だった,聖書でも最初に水があり
地球とは水の惑星だったのである。水はまた生命の源だから水の重要性を聖書で記していることは一致しているのである。
そこにも聖書の不思議があるのだ,なぜ科学が発達しない時代に水の重要性を指摘したかも不思議だとなる
何か水の中で生命が育まれたことをこの本でも書いてあるからだ
水の作用の中で相互作用して相互浸透して生まれのが命だとなる
水の中でこそ命はまずありえたのである。陸地で命が存在することはできなかった
地球創生時代の陸地は非常に危険な場所であり生物がまともに棲めない,まともに光を受けるし暑いし火山の爆発もあり危険な場所だった,水の中は安全だったのである。
放射性物質も水の中にあるとき冷やされ放射線がさえぎられるというとき何かそうして防護の役割を果たしていたのである。
太陽の光に直接さらされることは生命にとって危険だったのである。
それで両生類が水の中でも生きられる陸地でも生きられる,でも陸地で生きるためには危険だから厚い甲羅で皮膚で覆われることになったのである。
紫外線とか光を直接受けることは生物にとって危険だった,今年は自分も熱中症になった恐竜がなぜ陸地で生き延びられなかったのか?
陸地は危険な場所であり水生動物のように水では保護されない,するとまともに光でも何でもその体に受ける,すると陸地では耐えられずに滅びたとなる
だから何か急激な変化,小惑星の衝突とか火山の爆発とかで滅びたというのもそのためだろう。
その時ものすごい熱になりその熱に耐えられないのである。
水生動物だったらそうした熱から守られるからである。
哺乳類が生き延びたというときネズミなどは激しく動き回る,その動き回ることによって生き延びたというのも面白い説だとなる
そして多産であり常に若い新鮮な命が送り出される,その命は激変する陸地でも生き延びたとなる,ネズミが生命連鎖では餌になるからネズミが生き延びることは他の動物も生きることになる
相互作用相互浸透するというとき水がその最たるものなのである。
水の中で命が作れたということは聖書とも一致している
聖書では段階的に水が作られ光が生れ陸が生れ草が生れ動物が生れるとかなる
ここでは混沌から水の作用で生命が誕生して適応してゆく
段階的に考えるのは西欧的科学技術の思考である。
荘子の混沌から生れというのは東洋的思想になるかもしれない。
生命を地球でも分離して分けるというのは分子を分けてまた結合させるというのににているのだ。
この本ではそうではなく相互作用相互浸透の中で生命が生れたとなる
確かに猿と木の関係というのも面白い見方である。木と猿は同時に生れた,木と猿は相互浸透して生れたというのも興味深いとなる
猿と木は一体のものだというとき世界もそうみている
それは東洋的思考なのかもしれない,部分に分解しないからである。
では猿が人間に進化したとか動物が進化したとかの説はありえないのである。
様々なものは神が別な種として創造したのである。
猿から人間が進化したのではない,人間という種は別個のものとして神が創造したのである。
なぜなら神は自分の姿ににせて人間を創った,人間は猿とは全く別物なのである。
そして人間として創造されたのはアダムからでありその前の北京原人とかジャワ原人とかピテカントロプスとかなんとかは人間の亜種であり人間ではないのである。人間を塵から創造してそこに霊を吹き込んだとき人間になったのである。
だから魚から両生類になり動物になり猿になり人間になったという進化論はありえないのである。確かにそういう過程が人間の中にふくまれたとしても人間は猿とは別個の種であり進化して作られたものではないのである。
人間とはみんなアダムの子孫であり進化した猿の子孫ではないのである。
だから魚から両生類へ進化して両生類が鳥になったとか動物になったとかないのである。神がその適した場所に創造したのである。
人間の中にそうした進化の過程がふくまれていたとしても人間は別個の種であり進化してできたものではないのである。
これは別に異論はあるが進化論はまた唯物論とも通じているのである。
都築氏は神を信じていない唯物論者だった,ただそれは宗教があまりもに歴史でもゆがめられたものとなっていたからとういことはある。
今でもイスラム教徒のロヒンギャを仏教徒が惨殺しているというのも信じられないとなる仏教もそんな残酷なことをするのかともなる,他にも虐殺の原因があるにしても仏教徒がそんなことをするのかということにもるな,そういうことが宗教を毛嫌いする原因になっているのだ。
人間は魚から猿に進化したとなると人間は魚の子孫なのかともなる,猿の子孫なのかともなる,そういうことはないのである。
人間は神がアダムを作ったその子孫なのである。神の系統に入るものであり進化した猿の子孫ではないのである。
進化論と唯物論が通じているのかというと要するに生命も生物も物質であり人間も物質であり原子でありやがては消滅するという思想になる
ところが人間は肉体は仮のものであり神が霊を吹きこんだものでありそこが根本的に違っているのだ。
そこに結局進化論とか唯物論とかの限界があり都築氏の限界もあったとなる
ただ批評する価値はある,大きな存在だったとはなる。批評するというときまず対等かそれより上にたつと批評はできない,一段上にたたないと批評はできない,そこに批評のむずかしさがある。だから若いときは批評はできない,ただまねるだけなのである。
それで師でも偶像化したりいろいろな論があるときただそれをまねるだけになるのであるともかく批評精神をつちかわないと結局カルト宗教団体とか権力集団組織にとりこまれて自主的に考えることもなにもできなくなるのである。
だから右で左でも何かの団体に所属している人は信じられないのである。
それらは集団で組織で圧力をかけるからである。
その点,都築氏にはなかったから好感をもって読んでいた。相いれない所があってもそういう組織団体に属していないことで自分は評価していたのである。
別に敵でも高邁な敵だったら剣の世界でもおのしやるなとなりかえってそういう手ごわい相手との勝負を望むのである。それは学問とかでもそうなのである。
論敵がありかえってそれで説が磨かれるということもある
世界を見ることは様々な視点があり一つではないからである。
死んでしまったけど都築氏はそういう手ごわい相手であり評論に値する人物だったとなるのである。
ただこの本などは知らない人が多いのではないか?
つくづく本というのはその数に種類に今になり驚くのである。
こんなに本があったというのが驚きなのである。
それがボタン一つで配達されるとなると知の世界が飛躍的に拡大した
自分は本を買うために仙台に行かなければならなかったし本は高いから買いにくいこともあった
でも仙台の本屋でも今になると本当にわずかの本だけだったのである。
それでベストセラーになって百万部売れた本などがあった
冠婚葬祭の本とかである。なぜそんなに売れたのか?
地方の小さな本屋でしか本が買えないとういことがあったからだ
だからそうした本屋ではベストセラーだよと置けば商売になったのである。
あと専門的な本など小さな地方の本屋にはなかった
このハンディキャップは大きかったなと今では思う
古本も膨大であり安く買える,これも知的な世界を追及するには有利である。
何か興味がありそれと関連したものが読めるということがいいのである
だから田舎でも今までのような知識のギャップを感じることがなくなっているのだ
こうなると別に文系などなら東京の大学などに行かなくても学問はできなるとなる
タグ:天地創造論
【「心に青雲」都築詠一氏の部の最新記事】
- 昨日の痴漢冤罪のテレビドラマの批評 ..
- 死亡した都築詠一氏の評論を芭蕉の俳句から..
- なぜ心の青雲の都築詠一氏は昭和天皇を批判..
- 「青雲の心」の詩-高みへ 都築詠一..
- 龍安寺石庭,鎌倉五山を語る (心に..
- 常照寺を訪ねた「心に青雲」の都築詠一氏 ..
- 「心に青雲」都築詠一氏の人となりをふりか..
- 「心に青雲」の都築詠一氏が誉めていた光厳..
- 人間は死ぬと美化されやすいのはなぜか? ..
- 心の青雲」の陰謀論はうけいれがたかった ..
- 心の青雲の都築詠一氏の映画批評は面白かっ..
- 「心に青雲」の都築詠一氏の早期英語教育の..
- 「心に青雲」の都築詠一氏の死亡で生じた著..
- 「心に青雲」の都築詠一の遺したもの ..
- 死から偲ぶ俳句と短歌 (心に青雲の..
- 病気とブログと私 (心に青雲の都築..
- 都築詠一氏の芸術論などの再検討 (..
- 死後にひびく言葉 (「心の青雲ー都..
- 談論サロン天寿道(掲示板より) (..
- 「心の青雲」都築氏死亡の波紋 (イ..