「心に青雲」の都築詠一の遺したもの
(その死は何を語っているのか?)
死者のほとんどはもっと生きていたいと願いつつ、この世を去ったのであろうし、災害や戦争の死者はさらに非業の死を遂げたので、その無念の思いは強かろうと想像する。
人間は必ず死ぬけれど、死に甲斐というものはあったほうがよい。この世に生まれて証を遺すことが、後世の人間への贈り物である。
震災の慰霊はほどほどに
こういった残された文章を読むと不思議である。
この世に生まれて証を遺すことが、後世の人間への贈り物である。
それは「心に青雲」の都築氏の場合はプログしかない,でもそれも消してくれとか言っていたのがわからない,ここでは証を遺すことだと言っているからだ
人間はつくづく自分のプログでもそうだが自分の書いたものが読み返してみてこんなことが書いていたのとなる,忘れるのである。
都築氏のプログだって読んでいても忘れていた,だから記録すること何かに文章でも人間は遺さない限り何も残らない,忘れるからだ。
今読み直してこんなこと書いていたのと再認識する,その時読んでいても忘れるのである都築氏はいろいろなことを言っていた,その言い方が卑近な例から語りわかりやすいのである。学者のような言い方をしないからである。
でも自分の書いた唯一の生きた証であるプログまで消してくれとういかのがわからなかった
人間の不思議は死んだらその人をどう評価するかは生きているときわからない,だから死んでみて本当に不思議になる
とても死んだとは思えないのはなぜなのかとなる
何か今でも継続して熱く語っている感じになる,死というのが意識されない不思議がある第一インターネットの中で書いて死んだというのはあまり経験しないだろう
癌を告白して死んだ人などそういう人は増えているかもしれない
ただ病気が苦しいとか病気のことばかり書いていたら読むの嫌になることがあるだろう
都築氏は一切病気のことを語らなかった,透析のことはたまたま語っているがそのことは語らず様々なことに評論をしていたのである。
その見識の深さは瞠目するものがあった,だから毎日読んでいたのだけどやはり読みかえすと忘れていたことが多いなとつくづく思う
人間は忘れやすいのである。それが人間の大きな弱点なのである。
あれだけ悲惨な戦争のことだって忘れる,時間がたつにつれて人間はあらゆることを忘れてゆく,忘れるからこそ嫌なことを忘れるからこそ生きていられるともなる
無念の死のことを語っているけど自分自身もそうだったのではないか?
70くらいまで生きたとしても今の時代なら早いとなってしまう。
何かもっと書きたいこと言いたいことがあったと思う
それが途中で中断して死んだのである。
現代は長生きだから成果を示すのは遅くなる
人生50年とかなると早い内に示さないと死ぬから違っていた
斎藤茂吉は長生きだったと言われるが70才で死んでいたのである。
あとは40代50代で死んだ人が実に多いのである。
今の時代は普通に80才まで生きるから成果を示すのは遅くなる傾向があるのだ
都築氏の評論はいろんな分野にわたっていたのである。
空手をしていたからスポーツ評論があり文芸評論が人物評論があり科学評論まであった。これだけ多岐にわたる評論をできる人は今の時代でもそんなにいないだろう。
ただ死ぬとは思っていなかった,だからそんなに真剣に読んでいない,突然死んだので
驚いた,そしてプログの記録が貴重なものとなったのである。
インターネットにはグーグルでは全部は記録されていない,省かれているが要旨になるような所は残っているみたいだ
だから再検討できるのである。
プログはなにか本とは違う,生放送のようにリアルに今が伝わってくるメデアである。
だから死んだように思えないのである。有名な俳優でも死んでテレビの画面でドラマに写っていると死んだように思えないのである。
プログでしか知らなければやはりこれと同じように死んだように思えないのである。
ただ死んだ結果,こうして自由に語れるとなる,生きていればこきおろされるからできないとなっていたのである。
だから人間は生きているときは評価しにくいのである。
いづれにしろこうしてまたインターネットで自分が都築氏のことを語っているのをあの世でどう思っているのだろうと不思議になる
インターネットだけで語り死んだということが不思議である。
たいがい今までは本で遺していたからである。ただ本は限られた人しか出せないのである過激なものは出せないのである。
それでインターネットだけで語り記録して死んだということは今までにないことかもしれないと思った。
もちろんプログは無数にあるがこれだけのものを語れる人はいない,病気をのことを延々と語っても後世には残らないと思う,なぜならみんな病気になり死ぬからである。
ともかく都築氏の遺したことの再検討は必要である。ただ死んでもやはり著作権があり
そっくり転載することはできないだろう。
だからインターネットだけで語り文章として遺して死んだ場合そういうものがどうなるのか?それもまたわからなくなる,インターネットというのはそういうルールが確立していないからである。
自分がインターネットにある写真や絵から抽象画をソフトで変化させているのもこれも何なのだろうとなる,そこには何かしら著作権が関係している
そんなことしてそれが創作品になるのかとなる,そんなこと今までありえなかったのであてる。
ただアメリカの人たちが定期的に見ているのである。
だからなんらか評価されているとなる
でもなんらか著作権の問題が生じているかもしれないのである。
それもやはりインターネットという空間が何なのかわからないからそうなっているのだ。いづれにしろ都築氏の死はそういう点でも考えさせられるものだったのである。
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