人間は死ぬと美化されやすいのはなぜか?
(都築詠一氏が死んで語るもの)
人間が死ぬということは何なのか?死ぬという現実を人は簡単に受け入れられない
骨となり灰となり消える,その変化を受け入れられない
無神論者とか普通にいるし都築詠一氏は無神論者だから死んだらただ消える無になると思って死んだのかとなる
でも一旦死んだとなると都築詠一氏は何なのだろうとなる
今までプログに熱心に書いていたのに急に死んで途絶えた
そして永遠に語らぬ人となったのである。
では都築詠一氏は死んだから全く何もなくなったのか?
肉体は消えた,でも彼が残したものは以前として消えない
その消えないものとは何なのか?それは彼の生きざまでありまたその崇高なものを「心に青雲」を目指した精神である。
彼が現代の英霊になったというときそれは戦争で人を殺したわけでもない
だから戦争で死んだ人達の英霊とは相当に違った英霊である。
それは優れた人が英霊になるのであり戦争に参加しただけではなれない
戦争に参加した人で死んだ人は膨大である,それらが全部英霊になるというのも疑問なのである。
無神論者でも英霊になる人はいる,ただ人間は生きている時はそうした英霊にもなりえないし,祭られることはない,生きていれば何かとケチつける人はいるしおとしめる人はいる,でも何か普通の人でも一旦死ぬと美化されやすいのである。
自分がすでに都築詠一氏を美化しこた詩を書いたのもそうである。
死はともかく人間の見方を変える,生きていれば自分も都築氏を美化したりしないのである。
美化するというとき明治維新で活躍した吉田松陰とか長州の志士たちはテロリストにすぎなかったということが最近言われる,都築氏も言っていたのである。
そもそも吉田松陰のまわりに集まった人達はテロリストでありそこには何の教育も行われなかった,松下村塾などで何か講義されたこともなかった,ただテロリストが集まる場所にすぎてかったとしている
それもそうかもしれない,それは何か死んでから美化されたのである。
吉田松陰は権力をとった長州のテロリスト達によって祭りあげられた
それは司馬遼太郎の小説の影響がありそれで評価が定着した
坂本竜馬もそうである。現実はどうであったのかは歴史的に不明になっているのだ。
ただ何か人間は死ぬと一般的に美化されやすい,それだけ死というのは人間にとって
生きていたときとは全く別なものとして見るようもなる
人間の宗教がたいがいどこでも先祖崇拝から起きているのは死ぬと神となるとか美化されるからである。それはどんなぐうたらな人間でも死んだら崇拝の対象になっていたとういことでもわかる
それだけ人間は死ぬともう現実にいないのだからその人の欠点とか汚いものは見えなくなるから美化されやすいのである。
ただでは自分でも家族が二人死んだけどその人となりは熟知している
だから冷静にいい面でも悪い面でも見ているし死んだから特別な人にはならない
一人は認知症で死んだから無惨だったし一人は死ぬまで花でも庭もいらないとか金がかかるからいらないとか狂気のように主張していたのである。
そういうことを知っているから死んでもそのことに関して今でも自分は頭に残っているから美化しないのである。
でも吉田松陰とかなると現実はどうだったのかとなるとそれを調べるのも容易ではなくなる,だから明治政府になって元勲となったテロリスト達が祭り上げた人にすぎなかったという説もでてくる
元勲となった人達は権力をもったしそれができたからである。
そういうふうに勝者によって歴史は作られてきた
だから吉田松陰は後の権力をもった人達によってち山県有朋となどによって祭り上げられた虚像だとしている
そもそも明治維新というとき一体どういう日本の未来像を描いていたのか?
それも定かではない,ただ幕府を倒して政権をとるという野望だけだったのか?
まずその時どういう新しい社会を作るかという像は描かれていなかった
だからただ尊皇攘夷とか佐幕とかでありそこに日本の新しい像はビジョンは描かれなかった,そこで無益な争いが殺傷が行われたことは確かである。
そういう変革の時期にはテロリストが暗躍する
思想もなにもない暴力だけが全面に出てきてしまう
西郷隆盛によって作られた赤報隊がそうだった,ただ暴力だけで攪乱したのである。
それはシリアのISみたいものだったかもしれない。
その動乱でいろいろな勢力が入り乱れて争いになる
吉田松陰もその思想はアジア侵略思想でありそれが大東亜戦争にまで影響したことは確かなのである。明治維新と大東亜戦争は連続していてその種は明治維新の吉田松陰などによってテロリストによってまかれたとなる
「心に青雲」の都築氏も自分でも死んだとき生きているときとは違った見方になった
10年間くらいフログを書き続けて自分はずっと読んでいたのである。
その歯に衣着せぬ評論は心にひびくものがあった
では都築氏を評価するとき死んでからどうなるのか?
都築氏とはどういう人なのかどういう思想の持ち主なのかとなるとプロクでしかわからない,だからその記録したログが消えることは致命的になるのだ
つまり彼自身が書き残したものから現実を判断する,それしか方法がないということがある。それは間違いなく彼自身が書いたものだから彼自身を知る唯一の手がかりとなるからだ
だから自分はそのプログに書かれたことを手がかりにして批判もしている
原発に関しては疑問だった,原発事故の被害にあった地域は犠牲になってもらわなければならないとか全体の戦力を維持するためには犠牲になってもらうほかないと言っていた
これもおかしいと思わないかか?
そもそも東京で原発事故が起きては困るからフクシマに原発を作ったのである。
そして事故が起きたら犠牲になってもらおうとか言うの東京都民の勝手ではないか
犠牲になるべきは東京都民でもあるのだ,東京に原発を作るべきだったというのは今では正論だからである。
人口に比べたら経済力から比べたら福島はとるにたらないとなり都築氏は犠牲になってもらわねばならないと発言していたのである。
経済的価値からすれば東京がダントツに価値がある,でも飯館村などは森につつまれた貴重な村だった,だからその価値はわからない,ただ田舎にしても昔のように自給自足だったら都会の人に言えた,今は東京の人でも税金を地方に払うから不満になっているのである。
それから都築氏は空手で東電の人とも仲間となっていたりしていた,全日空の人も空手の仲間だったから批判はしない,それはすでに都築氏も利害関係がある人のことは批判しないとなり不公平になっていたのである。
福島は犠牲になってもらおうというときなぜ東電の事故を起こした幹部は罰せられないのか?これこそ犠牲になってもらうべき人間だったのである。
ただこういう矛盾は人間なら必ずあり完全な人間はいない,自分だってそうである。
どこかで矛盾が生まれる,だから都築氏についてもそうである。
ただ都築氏にひかれたのは汚いものと交わらない潔癖性がありそれで常に有名な人物でも批判していたのである。マスコミの人間でも交わると相互浸透するからしないとかなり
そういう人は孤高になる,そういうところに自分はひかれていたのである。
それがフログのみで最後の十年間を主張したということが貴重だったのである。
そして遂に力尽きて死んだのである。透析を17年間して遂に死んだのである。
そして弱みを自分が病気だということをプログではほとんど言わなかった
ただ強気の発言をつづけて死んだ,そのことが何か英雄的に思えたのである。
何も戦場で死ぬだけが英雄とはならない,普通に生活しても英雄的なことは目立たなくてもあるかかもしれない,病気に負けないことが都築氏の場合,英雄的だったとふりかえればなるかもしれない,常に介護される人とか認知症の人とか震災で津浪にあった人でも甘えるなと厳しいことを言っていたが本人が病気でありその弱みを言わないのだから
そういうことを言うことができた,だから非情だとは言えないのである。
ともかく人間は死ぬと見方が変わる,また死ぬとその人の貴重さもわかる
生きていればそんなに関心がなくても死ぬとその人の貴重さをまたその人のことを見直すでも本人は死んだのだから答えはない,生きている人のみが語り都築詠一氏を知るともなる,ただ全部は良しとはてきない,現実に語ったものはプログにまだ残されているからである。
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