2017年09月27日

警察とか公共機関組織が何でも解決してくれることはない (市民が国民が自主的にかかわらないと守れない)


警察とか公共機関組織が何でも解決してくれることはない

(市民が国民が自主的にかかわらないと守れない)


都心なんて、もっと狭いのに、 
家からの騒音と、道路でのチンドンのコラボだもんな。 
家族みんな高血圧になったわ。

相談を受けたという警察には止められた可能性があるわけだ 
他の相談量の多さを理由に構ってられなかったでは言い訳できんよ、仕事なんだから


相談に行くからあしらわれる 
騒音やトラブルはすぐ110番通報

警察に対応して欲しい気はするが 
隣人トラブルに全部介入してたらいくら人手あっても足らん気はする 
解決しようもないってのもあるし

暴言吐いて家に物を投げ入れるって警察から見ると些細なことなのか 
なら警察官の家に物投げ入れても何も問題ないってことだよな?

警察は毎日のようにパチンコ屋で新台の認定してシールをパチンコ屋に売る仕事をしてるから
ご近所トラブルなどに対応する時間はない

警察に相談しても被害に会ったらそれを動画に収めてくださいと言われる 
暴言吐かれそうになったらスマホで素早く撮る 
それが無理だったら豊田議員の秘書みたいにわざと挑発して 
ボイスレコーダーを起動させ録音する 
そうすれば警察は動く

警察はほんと動かない 
基地害が上から物を(ビール瓶とか)捨ててたから相談したけど 
壊れたものがないとかで事故を未然に防ぐ努力を一切しなかった 
物が当たって死んでからしか動かないらしいよ@練馬警察


相談に行くからあしらわれる 
騒音やトラブルはすぐ110番通報


警察に相談に行っても受け付けない,なぜか?
警察はなるべくかかわらないようにしている,犯罪でも明確な証拠がない限り動かない
殺人事件などは別にして警察はかかわらない
騒音問題などは特にそうだろう

要するに前に書いたように騒音問題でも双方の事情を知ることがそこに長く住んでいないとわからないのである。
その人がどういう人なのかもわからない,だからよほどその土地の事情に詳しくならない限り仲裁とか簡単にできない
かえってこじらせたり悪い方向に向かわせたりする

だから警察を呼びたかったら110番通報することある。
「あやしい」人がいるとうだけでかけつけるからだ
おそらくそれは119番と同じ効果がある,公安委員でもそういう取り決めになっているし
あやしいと言われれば相手が匿名でもなんでもかけつける
そういう仕組みに警察はなっているのである。

それで自分もそうしてあやしいと誰かわからない人に通報されて職務質問された
そして事情を話して回りの人もそう言ってくれたのに
あやしいと通報されればまた来ると言っていたから駅に自由に出入りすらできないような状態になった

何かこうしたもめごとは本当にむずかしい
これは警察に同情することもある
ただ回りの人が犯人に同情することはやはり相手にも非があったとなる
そこに土地の事情に詳しくないと仲裁もできないことがある

何か事件があるときは積り積もったものがある,それを知らないと仲裁も何もできない
でも警察でも他のこともあるしかまっていられないのである。
そしてへたにかかわると警察が責められることもある
自分のことでもなぜそんなことで警官が責められるのかと見る人もいるからだ

つまりこの事件も土着的でないということで起きた面もある
新興住宅街によそ者が移り問題が起きたからである。
何か今はそうしてみんな土着的な生活をしていない
だから近隣トラブルが増える
警察でもそうした社会状態に対応できないのである。
警察もかかわってもかかわらなくても文句が来る
それは市役所でも常に苦情が来て困っていると言っているからだ

実際なんでも警察に頼ることは無理だし警察のやるべきことは限定せざるをえないかもしれない,それで私立探偵などに頼ったり民間の自主バトーールとかも必要になる
警察で何でもできないのである。
ではそうしたトラブルを解決するような社会でもない
長屋のもめごとは大屋がしていたから大屋はやはり事情に通じているからできる
そこに住んでいる人がどういう人か熟知しているからできる
そして意外なのは長屋に住む人は実際は長く住んでいたのである。
今のように変わりやすい社会ではなかった
だから浪人のようなものがふらりと来て長屋に住むということではない
長く同じ長屋に住んでいたのである。
江戸でもそうして同じ長屋に住んでいれば相手のこともわかるからトラブルでも治めやすいとなる

公共機関がいろいろある,市役所もあり学校もあり病院もあり福祉施設もあり警察もありとではそうした公共機関が何でもできるかとなるとできない
かえって害を及ぼすのもそういう機関であり組織にもなる。
なぜならみんなそういう公共機関は権力をもっているからである。
学校でも病院でも老人福祉施設でも警察でもそこに頼めばなかなか文句など言えない
それはそこにあづけてしまうからそうなる
もし家族だけでまかなうようだったらそういうことはないのである。
そういう公共機関は確かに助ける場でもあるが逆に冷たい場所であり人を苦しめる場にも変わる

いづれにしろ現代の社会は様々なその構造に問題をかかえている,でもそういう社会なのだからどうにもならないという面はある
ただ人間社会はそもそもが市民が国民が作るものでありそうした機関や組織が作るものではない
例えは自衛隊というのも組織機関としてある,それが本当に国を守ってくれるのかというとそんなことはない,国を守るのは市民であり国民である。
もし国民に自国を守る意志がないなら自衛隊とか軍隊がいくらあっても守ることはできない,最後は志願兵ともなり特攻隊ともなり敵と戦う意志がなければ守れなくなる
つまりボランティア精神がないと国も守れないのである。
最後は機関や組織がいちらあっても守れないのである。それが生死をかけるとなると余計にそうなる,なぜ自衛隊でも警察でも俺たちだけが死ななければならないのかとなるからだ

だから最後は政党でも組織団体でも機関でも守れない,国民がそういう意志をもたないかぎり守れないのである。
戦争というのではなくても自由とか民主主義とかもそうである。
国民がそれを守ろうとしなければ誰も守ってくれないのである。
ただ法律があり民主主義があってもそれは名ばかりになってしまうのである。
日本にはお上のままにお上を信じるというかまかせるというか長いものに巻かれろとかある,そうなると本当に市町村でも国でも守れない
そういう機関が組織があっても何でもしてくれるわけではないからである。
何かそこを錯覚している,錯覚させられている
それは危機の時わかる,今回の原発事故などでもそういうことが露見したからである。
国や官僚とか検察でもマスコミでもあてにならないか知ったからである。
そして結果的にその被害はそこに住む住民とか国民が受けるのである。
責任はこの辺のようにとらされるのである。

報道だってそうである。,マスコミの報道をうのみにしていたらそれで自らに害が及ぶ
マスコミは偏向しているからである。
でもそのことを言う前に対抗策がとらねばならない
インターネットなどはその対抗策になる,自分でも報道機関の一翼をになっているのだと自覚するようになる
その影響力はわずかでも自分で報道してその自覚をもったからである。
それがなにがしか社会に影響してゆくこともある
今までなら何も言う場がない,マスコミを通してしか言う場がなかったからである。
インターネットは市民のメデアでありマスコミのマスメデアとは違うのである。
そこから「心に青雲」の都築氏のような過激な言論も生まれたのである。
それはマスコミでは一般社会では出ないものだったのである。
でもそのログが消えたということが問題なのなのである。
全部ではないにしろなぜ消したのか?自ら消したのか?
死んだとき消えたのである。それが残念だったとなる
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