ようやく秋になる
(俳句や短歌は読みを深くして鑑賞する)
ここから海老の海が見える
津浪から6年すぎて成長した海老浜の松
八沢浦から見える蔵王連峰
コスモスや海に通じて陽の昇る
牛のいて秋の日ざしや田舎かな
柿なりて電車を待つや田舎駅
季(とき)変わる電車を待つや秋薔薇
衰えぬ枯蟷螂やみな老いぬ
老人のパークゴルフや秋の雲
津浪より6年すぎて生い立ちぬ松の緑や秋の海かな
秋晴れに蔵王望みぬ八沢浦昔の面影なお残りけり
水無川今日流れひびきて秋風に竹そよぎゆれ走る道かな
東京へ出かける人や今しばし故郷の駅に柿はなりにき
はや風に散る木の葉二三枚今70才に死ぬは早しも
よく見れば我が足元に野菊咲く実りもあれや里の暮れにき
この辺り蝉のへりにつ鳴く声を聞きつつあわれ今日も来るかな
ひたすらに虫の鳴く声ひびきけり命短く夜も鳴きにき
俳句は短歌より短いからどうしても鑑賞する方が実はむずかしい,鑑賞する方が優れていれば写生俳句は生きる,でも鑑賞する方が劣っているといくら優れた俳句でもその良さががわからないのである。
例えば今日の俳句では
季(とき)変わる電車を待つや秋薔薇
これをどう読むか?駅は自分のテーマになった,だから一応今も毎日行っている:ただ長くはいない,今は柿がなっているし秋薔薇の季節である。
するとそこから鑑賞する,季が変わるということは女性だったら春の薔薇の季節があり夏の薔薇の季節がありそして秋の薔薇となり冬の薔薇となる
若いときは春の薔薇であり夏の薔薇であるがやがて結婚して母となり成熟してくると秋の薔薇とかなる,中年になり中高年になってゆく
そして今までは駅では見送られた方なのである。
かならず東京辺りに行く人をみかける,一方で娘や孫を駅に出迎える人もいる
そのように立場が変わってくるのである
そして不思議なのは見送られていたときと今度は逆に見送る立場になるが両方を経験するとき人間として成長することがある。
見送られるだけではその時見送ってくれた人の気持ちがわからないのである。
親になってはじめて親の気持ちがわかると同じである
今日は八沢浦から蔵王が見えた,あれが蔵王なのかといつも不思議である。
あんなに大きく見えるのかというのが何回も見ているが不思議なのである。
八沢浦は別に津浪が被害があったからといって地形までは変わっていない
津浪で地形まで変わることはない,海岸線は変わったが地形全体は変わらないのである。もともと八沢浦は入江であり蔵王をその入江の水面に写していたのである。
それが津浪で再現されたとき驚いたことはなかった。
いづれにしろ「心に青雲」の都築詠一氏が69才で死んだのは驚いた
それはやはり十年間くらいプログと読みつづけていたからだろう。
そうなるとやはり何かしら相当な影響を受けていたのである。
それにしても本当にひたすらに最後を鳴いていた虫の声だった
そして命が尽きたのである。
団塊の世代はこれから死ぬ人が増える,では何を語って死んでゆくのか,戦争経験者と違ってたいして語ることもなく死ぬのが団塊だとか評判が悪い
だから尊敬も若い人はしない,それに不満があってもどうにもならない
川子にパークゴルフ場は今日も老人でにぎわっていた,あそこは広いし見晴らしがいいから気持ちいいい場所なのである。
パチンコなんか一日狭い所でとじこもり健康的ではない,パークゴルフはその点健康的なのである。遊びでも自然の中の遊びなら気持ちいいのである。見ている方も気持ちいいのである。
ともかく秋らしくなった,日ざしもそうである。だから外出するにはいい,自転車でまた遠くへ走りたいとなるが何か疲れるから原町辺りまでしか最近は行かない
相馬市まで原町の倍あるから長い間行っていない,やはり疲れるようになったのである。,
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