2017年11月08日

明治維新と庶民 (侍の支配に不満があった)


明治維新と庶民

(侍の支配に不満があった)

会津地方の旧武士階級の人々が薩長土肥に対して強い恨みを抱いたという話はよく知られている。だが農民、特に戦場にならなかった地域の人々にとっては、かねてからの重税や物産の専売制度による搾取に加え、藩主松平容保が京都守護職として上洛して以来、その経費を賄うために行われてきた増税に対する不満に一気に火をつけることになった。9月22日(1868年11月6日)、会津藩が明治政府に降伏すると、たちまち藩政崩壊による権力の空白状態に乗じた民衆蜂起が勃発した。
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会津というと白虎隊だとかいろいろいその悲劇が語られる,一方で見逃されているのは会津だけではない,庶民が明治維新にどういうふうに見ていたのかである。
あの姫路城が10万で売りに出されるとか信じられないとなる
その時城に価値を認めていないのである。城に価値を認めていたのは侍だけだとなる
白虎隊が城が燃えているとこれまでだと自刀したのもそうである。
城に深い思いがあったのは侍であり庶民は城に対してはそんな感情をもっていない
だから会津で明治維新になり一気にその不満が爆発したのである。
そして侍の住む会津若松ではなくその北にある喜多方が商業が栄えた,それで多くの蔵が建ったのである。

そもそもいくらなんでも城が10万とかで売りに出されること自体城に価値を認めないからそうなった,城に価値を認めないということは侍に反発するものがあったからである。
城はやはり権力の象徴として当時威圧するものとしてあったのである。
今歴史的遺産となっている建築物でもそういうふうに権力的に威圧するものがある
建築は権力の象徴なのである。それは仏教でも同じである。
奈良の仏像とかでもそういう面はある,ただそういうものでも歴史的意義があり後で評価されている

ただ明治維新のときなぜそうしてこれまであったものが否定されたのか?
それも極端なのである。今になって薩摩長州のテロリストによって破壊されたというのも今だから言われる,では明治維新の時は庶民の感情は城に価値を認めない,侍にも価値を認めなくなった,その感情は急に起きたことではない,日頃から侍に不満がありそうなった,野馬追いでも野馬追いのときだけ馬上の人となり侍が復活する
その時侍の時代にもどり威張れるのである。そこに明かな身分の差が生まれる
野馬追いに出れる人は侍の出でないと出れないからだ
由緒ある家でないと出れないからである。もっと誰でも野馬追いに出て盛り上げたらいいとなるが野馬追いの場合できないのである。
だから祭りとしては侍の祭りであり庶民がかかわらないから地元でもつまらないともなる青森のネブタなどは外から来ても誰でもハネトになれるのである。
それは庶民の祭りだからである。

日本人は明治維新でわかるように極端に過去を否定して変化する,そういう民族的特質があるのかもしれない,ただ人間の歴史をみれば必ず権力をもつものる対する不満があるがそれができないからあるとき爆発する,それがフランス革命とかでもありどこの国でもあるのだ,人間は一旦権力をもつと傲慢るなるからだ
そして権力というのは常にもつものが変わっているのだ
現代ではマスコミが権力を持つものとして標的にされマスゴミだとか盛んにネットで言われる,それはマスゴミが正しいというより現代では権力を持つものだったからである。
第三の権力といわれたのもそのためである。
NHKでも強大な権力をもっていたし今ももっている,
NHKががこう言っているのだか反対するようなことを言うなと学校に抗議があったことでもわかる
それだけ現代ではマスコミの力が大きくなっていたからまた反発もあったのである。
マスコミは左寄りでありそこに中国韓国の工作員が入って支配されているというのもそうである。

いづれにしろ明治維新の時それほど権威があった侍が作ったものが根こそぎ喪失した
それに対して庶民は別に惜しいとか価値を認めていなかったのである。
城は庶民を威圧するものとして権力の象徴だからそうなった
今になって庶民は城をどうみているかというと城は街のシンボルだとういうがこれも明治維新のことを考えると庶民も勝手だなと思う
観光資源として城が必要だとなるのも勝手だとなる
庶民はそもそも功利的にしか動かないともなる,でも庶民の意向が全く政治に反映されないかとなるとしている,明治維新が成功したのは薩摩長州の勢力であり庶民がかかわらないとなっていたのか?

でも庶民でもやはり侍に反発するものがあり精神的に応援するものがあった
それで西南戦争では国民軍を形成して庶民が参加して武士に勝ったと言うことで大きな転機となったのである。そこで国民意識が生まれたのである。
太平洋戦争でも庶民はどう思っていたかと言うと上からあおられて戦争に無理やり参加したというのとも違う,その時鬼畜米英という感情が庶民にも異様な熱気としてあったという,つまり戦争を引き起こすものが庶民にもあったのである。
この辺の原発も積極的に金になるからと誘致されたのもそうである。
庶民には何の責任もないということはないのである。何か庶民は身勝手だということがある,その時々のことで時流にのる,利があればのってゆくともなる

ともかく人間の歴史を見れば同じようなことが繰り返されている,権力をもつものが権力を失うのである。栄枯盛衰がくりかかされる,だから一時代がすぎるとまるで変わったものとなってしまう。
城がそれを具体的に示している,今になってこれほど城に価値を認めているのはそれが観光の目玉になるとか庶民の身勝手なものから生まれている
城に本当に価値を認めるとしたら侍にも価値を認めることになる
それを根こそぎなくしたことでもわかるようにその時庶民は城にも侍にも価値を認めていなかったのである。むしろ排斥する方向に強く働いていたとなるのである。

posted by 老鶯 at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降
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