慶長津浪によって相馬氏がこの辺を支配できた?
(海側に敵対勢力の泉氏などの氏族がいた)
相馬氏進出の径路
なぜ相馬藩では津波のことが記録されなかったのかー続編?
慶長三陸地震(けいちょうさんりくじしん)は、1611年12月2日(慶長16年10月28日)
ここでその大意は書いた,その後は補強になる,相馬氏がこの地方に進出してきたときすでにこの辺を支配していた豪族がいた,だから相馬氏と敵対したのである。
それが海側にいたのはすでに海運がありそこからの貿易の収入があって力をもっていた
小高はすでにそうした湊の施設があり船の出入りがあった
現実に今回の津浪では駅まで津浪が来ていた,小高城で海が近いのである。
そして小高には船が相当数出入りしていたのである。船をもっている人達が船主がいた
船主が船をもつことは土地をもつことと同じように力をもつのである。
原発事故で事故前も事故後も補償金をもらって困らないのが船主であった
だから原発御殿が建ったとか周りからねたまれていたのである。
そのことは反面いかに船主が力をもつかということを証明しているのである。
どういうわけか慶長津浪が来る前に相馬市の諏訪神社でも松川浦から神社が移動しているのである。そして舟繋ぎ伝説が生まれた,船が流れてきてとどまったという伝説である。それは小泉川がありそこをさかのぼってきたのである。
まず津浪は川をさかのぼる,それで驚いたのは仙台の多賀城の砂押川である。
あそこに津浪がさかのぼってきたことは驚きである。
その川は小さいしそして海が近いと思わなかったのである。
ビルとか建物にさえぎられていたから海が近いと見えなかったのである。
末の松山は古歌に波こさじかとありそこまでは津浪が来なかったのである。
これはまさにそこまで津浪が来なかったということを短歌で記憶されていたのである。
ただそれは貞観津浪のことだった,慶長津浪はまた違っていた
貞観津浪は京都の方から多賀城に都の人達が来ていて記録されていたのである。
相馬地方でも総合的に見ると鬼越館は磯部館があったのだが鬼越館に慶長津浪の前に移っている,高潮のために移ったとあるがその近くまで今回の津浪が来ていたのである。
津浪の前触れを感じたのか?それも不思議だとなる
北郷では今の南相馬市の鹿島区では海老に伝えられた大工の話も津浪を語っているのかもしれないことは指摘した
その後善次病死して棺を出す。時に大原村二森の方より黒雲持ち上がり棺をつかんで
雲中に入る。宝蔵寺の僧これを聞き走り来りり七重の袈裟を雲中に投ず。
声ありて曰く、「おいか」と。
棺おく雲散じ空晴れてこれを葬るという。是の世に希有のことなり。
知らず「おいか」とは何の言なるか。
ある人いふう葬礼の諸品を海水に洗えばすなわちこの怪異ありと。
鹿島町誌にある伝説は何を語っているのか?
大原村二森の方より黒雲持ち上がり棺をつかんで雲中に入る。
なぜここに大原と出てくるのか?大原は相馬氏進出の径路で書いたように大原から小池と相馬氏は進出した,支配してきたからである。
山側から片倉村から入り太田神社に入り小高に進出してきたのである。
海側には海運を業として力をもった豪族がいた,岡田氏や泉氏や磯部館のあとで鬼越館に移った佐藤氏などが敵対したのである。
それで牛越城建設に泉氏がその負担を強いられたから火を放ったのである。
つまり慶長津浪が来る前に相馬氏は相当な地元の豪族の抵抗にあっていたのである。
だから不思議なのは中村に城を移転するというのも慶長津浪の一カ月後とういのも何か津波によって敵対勢力がそがれた結果だともなる
そういうことは他でもあったからである。戦国時代は相手が弱ると好都合なのである。
弱肉強食の世界だからである。そういう経験を自分もしているからだ
相手が困ることは借金でもなんでも申し込みやすいし相手を従わせやすいのである。
だから津浪で被害があったとしたら敵対勢力が弱体化するのだから相馬氏にとっては都合がいいことだったのである。
伊達政宗の時代でもあったが慶長津浪は伊達藩にも打撃だったから今の相馬市は中村は伊達氏がその当時支配していた,それで鬼越館の佐藤氏は伊達氏についていたのである。
伊達氏の勢力も津浪でそがれたとなると中村に城を建てやすかったとなる
そこで海老の大工が天守造営に行かされるのに抵抗したのはその土地の豪族の館をもつ支配者の命令でもあったが板挟みになり悩んだのである。
つまり大原と関係しているのは大原は相馬氏の勢力下に入っていたからなのである。
慶長津浪の記録は700人溺死としかないけどその当時の情勢をみると津浪の影響で敵対勢力が津浪で弱体化して相馬氏がこの地を支配できたというのもイメージできるのである。総合的に見て判断するとそれが有力だとなるのである。
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