2017年11月16日

人手不足倒産時代 (特に飲食業が人が集まらない)


人手不足倒産時代

(特に飲食業が人が集まらない)

低価格のラーメンチェーン「幸楽苑」を運営する会社が人手不足で人件費が上昇し採算が悪化しているとして、全体のおよそ1割に当たる50店舗余りを今年度中に閉鎖すると発表しました

サービス業ってのはそもそも半分虚業じゃないの? 
単に自分がやればできることを他人にやらせてるだけの商売は特に

人手不足で休みます

幸楽苑が原町にあるけど二人だけで忙しい,この辺は原発事故で若い人が減ったとかあり人が集まらない時給を高くしても集まらない,それは全国でもそうである。
働く人がいなくなれば会社もやっていけない,しかしもともと飲食業とかしたくない仕事がこの世に多い,だからそうした飲食業は給料も安いとなると人も集まらない
何かそうした仕事は機械化してゆく,事務関係でもAI化してゆく,つまり給料もあるが人間がやりがいを感じないこともある,自分は流れ作業しか仕事していないから仕事のことがわからない,そういう仕事は金をもらってもしたくない,人間の尊厳を傷つけるのである。

こんなことが人間の仕事なのか?そうして遂に自分の場合は仕事をせずに一生終わったのである。ただそれは特別恵まれたからできたことでありニートとか今は普通だけど団塊の世代はガムシャラに企業戦士として働いたのである。
それは何か高度成長時代は働く意欲がみんなあったのである。上昇気分があった,経済成長が国全体として高揚したものとなっていたのである。
日本はアメリカに戦争に負けても経済では勝ったとかなっていたのである。
だから国民全体が今とは違って働く意欲があった,それは仕事がいろいろあっても全般的に言える,そして給料も毎年上がりマイホームとかいろいろ将来への望みがありそれが目標となりかなえられるとなっていた

そもそも時給で働かせることは人間の尊厳を傷つけていないか?
人生は時間を何に使うかで本当に決まる,時間が一番大事なのである。それが安く切り売りされている,でもその時間がもしただ切り売りするのではなく何か自分のスキルを仕事を身につけるならいい,例えば大工なら職人なら職人として仕事を身につける,それが誇りになる,職人は仕事をするというときその仕事に関して専門家だという自負がある
他でも仕事は一人前にになるには修行をする,それはその仕事でスキルでも何か社会で給料だけではないものを身につける,それで社会からも大工なら大工として認められるし自分もそのスキルで誇ることができる
飲食業などはチェーン店などではそうしスキルは与えられたものであり機械化している感じになる

要するには本当は誰でもできないものがあるにしても誰でもできるものでありロボットでもできるのじゃないかと見られる職業が人手不足となる,そうして機械化するとAI化するのである。それは人間はこんな仕事したくないとなるものなのである。
だからたいがいの人か人手不足というときただ奴隷が欲しいだけなんだよとなる
時給2000円くれるのが当たり前だとなる,それも人間になるとそうなるのである。
人間は「俺は機械じゃない」とかなる,そういう人間の尊厳を傷つける労働が多すぎるからである。

では仕事は「俺は機械じゃない」という仕事をしている人は少ない,江戸時代だったら職人は手作りだから一つ一つ丹精こめてその人の技量を活かして独自のものもう作っていただから下駄すら作った人の名前がついている,今でも近くの包丁を作っている店はいい包丁だとして知られている
何かそういうことが江戸時代には手作りの社会だから多かった大量生産の時代になるとそういう仕事がなくなった,みんな型にはまったものを大量生産するだけだとなった,それは人間も同じような型にはまった人間の大量生産だったのである。

それは学校という場がそうした大量生産に向く型にはまった人間を訓練する場として作られたというのもそうである。
江戸時代の寺子屋は机でもばらばらであり自由だからである。
この大量生産の時代は命も安価となったのである。
戦争で大量に何百万人も死んだというのも現代社会の大量生産の結果だという人もいるのがわかる,ナチスをそうして批判している思想家もいる
今まではそんなに大量に死ぬ戦争はなかったからである。

ともかく飲食業でも人手不足でみんな倒産するというのも困る,飲食業は社会にとってただ腹を充たすだけの場ではない,憩いの場だと社交の場だとか気分転換の場だといろいろある,人間のすることはまず一つの機能だけをすることはないのである。
人間の仕事はただ部品を作るということではない,だからロボットのように人間を使うことはできないのである。
自分は外食することが多いから飲食業に関心をもっている
飲食業は実は他者と区別できる,同じ品物を売っていないのである。

料理はみんな店で違っている,最近鹿島の仮設の食堂が一軒残っているけどメニューを変えた,500円のカレーがうまいなと思う,いい肉も使っているから500円では手頃である。そのカレーはそこだけのカレーなのである。
そういうものが別にチェーン店だけではなくても作れるのである。
だから飲食業が誰でもやれるとはならないし個別化できる,他と違ったものを作れるということである。それで人を集められるということがある
ただ商売は場所だから都会のようにある程度人がいないといくらうまいとしても人が集まらないのである。
商売にはいろいろな要素がからんでくるからである。

サービス業ってのはそもそも半分虚業じゃないの? 
単に自分がやればできることを他人にやらせてるだけの商売は特に

別に飲食業がなくても自分でも作れる,でもそうしたら人間の生活は豊かなものにならない,豊かさとはただ食べるだけのことではない,雰囲気とか仲間と親交をあたためるとか人間が食べるというとき腹を充たすだけではないのである。
鉄道の駅だってただ電車に乗るというだけではない,そこは出会いと別れの場であり人間的情をはぐくむ場でもある
つまりメカニカルなだけではない,ヒューマンな場なのである。そこが自動化して無人駅になってもだから駅員が必要だともなる,人間的な場にする必要があるとなる
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メニューをかなり変えた ラーメンでも盛りがいい,いいものを食材に使っている
仮設はここ一軒しかないから淋しいとなる
やはり何軒も食堂でもあれば選べぶからいいのである。
そこに仮設商店街の利点があった


posted by 老鶯 at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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