遺された母の手紙に感動
(ただ謎が残る手紙の草稿である)
がんばりのきく年はすぎたれど生きてる限りがんばらねば
おたがいに法身大切にがんばべーな時命の日がきいるまで
この手紙が母の引出しから出てきた,ただこれは手紙の草稿であり誰に出そうとしたのかもわからない,姉とはいつも連絡していたがその頃死んでいたはずである。
姉が死んでからのことだからもう九十四才くらいになっているとき書いた
がんばりのきく年はすぎたれど・・・とあるからである。
姉のお骨が家にあると書いてあるからだ
この手紙の不思議は
●誰に出そうとしたのかわからない?
●母の手紙であることは間違いない
●母にして書いていることがまともである
まずこの手紙が母が書いたものかどうか?それは間違いないだろう,まずこうした悪筆であり前からも良く読めない字を書いていた,そして辞書をもっていてひいていた
そこでその辞書でひいた字を文面に書いていた
だからどうしてもこれが母の手紙であることは間違いない
でも謎としては誰にあてたのか?それが不可解なのである。こういうことを言う相手は相当に親しい人でないとありえない,でもみんなその時姉も死んでいるとするとありえないのである。姉とは死ぬまで交流があり手紙のやりとりをしていた
だから手紙を書こうとすれば姉しかいないのである。
友だちもいないしあとはそういう人はいないからだ
その時は認知症になるまえであり正気だからこれだけのことを書けた
ただわからないの法身などという言葉を使っているのか?これは結構むずかしい仏教用語である。母はそういう学はなかった,尋常小学校出であり字は書けても信仰もないしこんなむずかしい言葉を使うはずがないのである。
そして短歌を知っていたということの不思議である。そもそも短歌などと全く縁がない人だった,だから短歌というのを知っていたことが不思議なのである。
確かにこの短歌は短歌とも言えない,でも明かに短歌を知っていてこう書いていたのである。
前にも書いたように母はまず働きづめの一生だった,だから花に関心がない,庭を作ったらそんなもの金かかるから作るな血相変えて怒っていたのである。
だからここに書いていることが本当に謎になる
そういうことだか短歌ということを知っているとは思わなかった
この短歌はあまりにもつたないものだが母の心がにじみでている,だから文学とは別に文章がうまいへたでもない,その人の真心を伝えるものだということがわかる
ここには母の真心がにじみでているのだ
母は実家が事業をはじめて倒産してから苦労した,原町紡績で十年間糸取りした,それから女中になるために東京に出た,そこで結婚したが夫が事故で死んだ
そして自分の家に嫁いできた,自分の家では母を歓迎したとはいえない,連れ子もあり冷たくした,自分の家には何か負の暗黒面もあったのである。
そういうことはどこの家でもある,なにもかもいい家族はないだろう。
この手紙で一番感動したのは姉とは六十年間も長く一緒にいた,でも争いがあり自分には憎しみあうものとして見ていた,現実に姉が認知症になったとき暴力になりひど目にあい一緒にいられなくなったのである。その時母は姉を憎んでいた
でもこの手紙を読んだら姉を死んで悲しんでいるしいたんでいるのである。
このところが自分にとってうれしくて泣いた
最後は悲劇的に終わったが六十年間一緒にいてやはり愛しあっていたのだと思った
母は自分のことはあまり関心がなかった,愛もあまりなかった,でも自分は二人の愛を受けていたからそれでも良かった,だから自分が一番悲しかったのは最後に離ればなれになり一緒に住めなかったことなのである。
それは認知症がもたらした悲劇だった,でも最後は姉も正気にもどり母も姉が死んでからその死をいたみ悲しんでいたのである。
これは本当に感動したし泣いた,そして自分は救われた,自分の家族は複雑だけど愛し合う家族だったとうれしかった,自分は家族の過分な愛を受けていたのである。
だが最後は悲劇に終わった,でもその悲劇が実は家族の本当の愛を知らしめるものだったのである。
だからこの遺された草稿の手紙は誰にあてたものか?それはまさに死んで自分にあてたものだったのである。それによって自分は救われた気分になったのである。
この手紙はだから遺された財産より貴重である。ただ自分の家族は理想の家族ではない,金にもこだわる家族だった,それで大喧嘩したこともあった,そして何かケチであり困っている近所の正直な人に金を一二万貸していたがそんな金をくれればいいと思った
なぜなら金は相当にあったからだ,だからそれが自分の家の負の部分としてカルマともなったとなる
ともかくこの手紙の草稿には本当に泣いた,そして自分はしみじみこの家に家族に生まれて良かったと感謝した,つまり家族愛にはぐくまれていたことを感じた
複雑だしこのことは他の人にはわかりえようがないのである。
でも人間の深い意味は悲劇によって示されるというのも逆説である。
それでシェークスピアは悲劇を書いた,キリストは「悲しむ者は幸いである」と言った
悲劇の中に人間が悲しむことのなかに深い意味があるからそうなった
これを理解することは本当にむずかしい,自分もこれだけの苦しみをへて家族がみんな死んでようやく理解したからだ
母は腰が九十度に曲がった時,苦しみ自殺しようとした,それも苦しみでありそこからも生きたから良かった,自殺したら本当に後味が悪いものとなり良い評価にはならなかった
がんばりのきく年はすぎたれど生きてる限りがんばらねば
おたがいに法身大切にがんばべーな時命の日がきいるまで
ここにその気持ちが現れている,命の日が消えるまで・・・・なのだろう。
九十四才の頃に書いたからこうなっていたのである。
人間のことは死んでみないとわからないことがある,生きている時はわからないのである死んでみてそうだったのかとわかることがある,しかしその時この世にその人はいないのである。だから一層その人のことがわかったときその人のことを偲ぶことになる
家族でも身近でも人間の心はわからない,そんな人だったのと意外なのである。
何か文章でも書かない無口な人は余計にその人の心がわからないのである。
母は寡黙であり目立たない人でおとなしい人だからそうなっていたのである。
人間は死んだ人でも今生きている人を励ますものである。
がんばらねば・・・というとき母は頑張り屋だったからだ,母は懸命に腰が曲がっても生きた,百才生きぬいた,そのことが今になって自分も感動した
その意味は大きいことをこの遺した手紙の草稿でわかったことは大きな収穫である
ここで言えることは人間はどんなに苦しくてもがんばって生きねばならないのである。
それが死者からの母からの最後のメッセージだったのである。
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