母の遺言は約束は果たした
(その責任は重かった、だから軽々しく約束はすべきではない)
約束を守る義務が発生するのは、何かを主張した時に、それが真であることを立証したり保証する義務が発生するのとよく似たことである。たとえば、何かを主張して、後で実際にそうでないことが分かった時には、彼は何らかの仕方で責任をとる必要があるだろう。これは、約束をして、それを履行しないとき、何らかの仕方で責任をとる必要があるのと同様である。
「とにかく、嘘はついてはならん。勢いや気合いを語っても仕方がない。
悪い事もしっかりと伝えよう。約束はしっかりと守る事が大切だ。」という
小さな約束事を守るために、もう約束をしない
「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」
マタイ 5:33〜37
自分が約束したわけではない,母が死ぬ一か月前に大きな声で孫に金払えと言ったことを守った、死ぬ前に認知症にもなっていたのでそんな大きな声で金額まで指定して言ったことに驚いたからである。
なぜなら認知症になり金のことがわからなくなっていたと思っていたからだ
ともかく人間は死ぬときに言う言葉の重みがわかった、最後に自分に託された言葉だったのである。
実は別に孫に金を払う必要はなかった、事情があり払わなくてもいいのである。払うと法律違反にもなるからだそうはいってもその最後の言葉の重みで払った、金というのはやはりそれなりに重いものをもっている
金の貸し借りでも金が世の中では一番重いものとして働いている
だから金についてはきちんとしていないと後でやっかいなことになる
前に書いたが金というのは何でも受け取っていいものではない、金を受け取れば大きな責任が生まれる
例えば不幸で死んだ人の金を遺産でも受け取ると何か災いが生じる、金は金でありもらえるものはもらえばいいとはならない、金には何か怖いものがある、呪われた金もありそれが後に災いになる
一億円でも拾ったらいいかとなるがならない、その金は得たいの知れないものであり災いをもたらすのである。得体の知れない金は何か不正があり災いをもたらす、どうしてあなたはそんな金をもっているのですか?
その理由が正当でないと災いになる
自分の家は遺産でも両親とか家族がいて受け継いだ,その金は家族が正当に働いて家を建て残した財産である。それを説明できる,店をやっていたし家族は協力して財を築いたのである。
だからそこには不正はないのである。その理由は説明できるのである。
でもそうでない金だとするとどうなるのか?それは災いをもたらす
一見何でも金が入ることはいいことに思う,みんなそれを願っている
でも確実に受け取ってならない金がある、それは後で災いをもたらすからだ
このことで思ったことはせ約束を誓うことを契約を果たす責任の重さだった、社会人として生活しないと何か人間は欠けたものになる、だから現代社会では僧院なようなところで生活していたら社会のこともわからないから指導者にもなれないのである。
僧院で暮らせるような時代があり今はそういう時代ではない
実際に良く聖書で契約のことを言う、聖書は神との契約の書である。
神が人間に対して契約を守るということである。人間は契約しても守らないことが度々ある
ただ社会人として仕事をすれば契約の重みを知っている、ただ日本人は契約を軽く考えることがある
でも契約の基本は責任をとらないこととして細かく書いている、保険でもそういうものを良く読んでいないのである。それで当方には責任がありませんと言われるのである。
約束とか契約の怖さは何か?それを実行するためには命までかけなければならなくる、大損失があっても契約は実行されるからである。
だから誓うなというとき人間はそれだけの責任をもてないからである。
それだけの責任を持てるのは神しかないのである。
必ず〈契約を果たす」というとき神だからできるからそう言っているのである。
神が全能であり成しえないことがないから契約を実行して約束を守るのである
人間は小さな約束すら守れない,軽々しく約束するが守れない,だから口は災いの元になるのである。
むしろ約束しないことが誠実だともなる、軽々しく約束しない人は実行する人でもあるからだ
実行するからこそ実行できないことは軽々しく約束しないのである。
いつれにしろ母との約束ではないが遺言を果たしたので重荷がおりた,何か死んだ後でも人間はいろいろある
その人が死んで終わらない、墓参りのこともあるし供養のこともある
人間は死んでも継続するものがありそれが義務にもなっているのである。
それが長男とか長女が受け継がされるのである。
だからもともと実家があり長男が家を守っていたことにはそれなりの理由があったのである。
それで兄弟でも平等に財産を分けるのはいいかどうかわからない,そこに現実問題として墓とか供養とか継承のも問題が馬さゃているからだ,それで墓の跡継ぎがないとかいろいろ現実に不具合なことが生まれているからである。
墓を守るとか供養するとかが死んだ後も残るからである。それは実家の務めになるからだ
自分は現実にそうなったからである。誰も供養しない、その実の子も供養しないから自分が生きている限り供養することが勤めとなっんたからである。
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