遺骨は何なのか死者とは何なのか?
(死者とどう交流するのか?生と死は断絶しない)
死者とは何なのか?生きている人が死ぬと骨になり灰になり消えてゆく,実際に20年すぎたら骨壺もないし骨もなくなっいた,そこには骨も他の人と一緒になり混ざり消えた
そこに個人を特定するものはない,抽出するものはなくなった
骨は物質だからいづれは土になるなり消える
死者とは何なのか?骨がなくなっても死者は存在し続ける,では名前なのか?
奇妙なのは母親の名前を墓に刻まない息子がいた,不肖の息子であり金がないから墓に名前を刻まないのである。だから名前がない墓は誰にお参りしているのか?
供養しているのか?これもなんなのだろうとなった
はっきりしていることは人は墓という物にお参りしているのではない,墓が石であり物なのである。では死んだ人は何なのか?死んだ人と人間がどうつきあうのか問われている
自分の家族は全部死んだ,自分では死者とどうつきあっているのか?
それは死者を回顧してこうだったとかああだったとか語る
その時死者と対話している,別に骨がなくても死者と対話しているのである。
だから骨が大事なのではない,骨がなくても対話はできる
現に自分の兄の母を自分の墓の隣に作った,するとそこには骨もないのである。
でも名前を刻み墓として供養すればそこに死者がいるような感覚になるのも不思議であるその墓の前を毎日通っているから余計に身近に親しみやすいともなるのである。
骨もなにもないのだけどそこに死者がいるような感覚になる
だから死者は骨ではない,骨はいづれ土になるなりなんなりして消えるからである。
でも骨がなくなっても死者は存在し続ける
いつまでも死別した人を忘れられないというときその死者はそうして生者の中に存在し続けているのである。つまり思い出として存在し続けているのである。
最後は人間は思いでだけになのだ,思い出が貴重なもの宝物のようになる
特に死んだ人はもう会えないのだから思い出のなかでしか存在しないのだから余計に貴重なものとして浮上してくるのである。
だから離婚して音沙汰がなくなった夫でも遺骨が行き場がなく元の妻に帰って来たとき子供と遊んだ写真をみてなつかしくなり夫を弔ったとあるのもそのためである。
死んだことで昔の楽しい一こまが蘇ったのである。
子煩悩だった人だったとかありそれで死者を思い出して弔ったのである。
要するに死者はもう二度と会えない,ただ思い出の中で会うだけなのである。
自分は家族と60年間一緒にいたから生きていたときはうざいとか思っていた
そういうことはみんなある,家族なんかうざいなとか普通にある
でも一旦死んだりすると全く違ったものとして浮上するのである。
ともかく60年間一緒にいたらなかなかその存在は消えないものとなる
何か以前として近くにいる感じになるのである。
近くで見ている感じになるのである。
だから以前として死んでも交流がつづけられている感じになる
寒いときスト-ブで沸かした湯を湯たんぽに入れていた,その時姉が必ずいたのである。
そんなことなんでもないことである。でもその時寒いが姉のあたたかさがあったなとか今になると感じる,その時は何にも感じていない,今は一人になったから余計に感じるのである。
寒々として一人寝るだけになったからである。
家族がいない家は本当にわびしいとなるからだ,家族がいれば寒くてもあたたかいということがあった,それがないから余計に淋しく寒く感じるのである。
日常のなにげないことが死んでその人がいなくなったとき感じる
それも貴重な一時としてあったが永遠にないとなるからだ
ただ何かそれだけ長くいるといるような感じになるのだ
人間はそんなに死んだ途端にすべてが消えることはないのである。
確かに人間としての物質としての人間は消えても人間は以前として何かを伝いありつづけるのである。
俳句で死者を考えると
埋火や壁には客の影ぼうし 芭蕉
埋火やありとは見えて母の側(そば)
歳時記によっては初めが「埋火の」となっていますが、「埋火があるように感じられたが、母親のそばのぬくもりだった」という意味で・・・
この句も炭の時代だからこそできた句である。今はこういうことはない,エアコンとか部屋をあたたかくしてんるから何か寒々として感覚はなくなった
寒いということがないことは風流もないとなる,ただ寒いを風流と感じるのは体に自信があればそうなる,寒いとしても余裕として感じられるとなるからだ
江戸時代は裸足だったということが驚きである,女性も裸足であり靴下を冬でもはいていないのである。そんな寒い所で良く裸足でいられたと思うのも時代である。
芭蕉の句は埋火(うづび)ではそうした人の余韻を残す,それが絵画的に示されている
それは死者ではないがやはり人が去ったあとで死者ともにている
蕪村の句は本当に死者なのである。母がいつもそこにある,ぽかぽかとあたためるように母があるという感覚になる
自分には複雑な家庭でそういうことはないが母が死んでから何か母がいつも近くにいるという感覚になったのは不思議である。母のことは生きているときそんなに自分は思っていなかったからである。
つまり母が死んでからそうなった,死んでしまうと人間の見方は生前と変わってくることは確かなのである。つまり生きているときでも喧嘩していても長くあっていないと喧嘩した相手でもなつかしくなるのとにているのである。
埋火と死者
死者はなかなか消えない
埋火のように
とろとろと燃えて
消えるようで消えない
消えたと思うとまた現れる
死者はいつも身近にいるのかもしれぬ
とろとろと燃える埋火のように
あたたかく母のようにいるかもしれぬ
それは母だけではない
何かそうして愛すべき
親しい人は死んでもいるのかもしれぬ
死者はもう己を強く主張しない
でも埋火のようにいつまでも燃えている
長い歳月を共に暮らしたゆえに
死んでもやはり何かありつづけるのが死者
死者はただ残された人の心に
面影のみとして写る
その面影はなかなか消えない
埋火のようにいつまでもとろとろと燃えている
今年は特に寒い
だから火が恋しいくてまた死者の面影を偲ぶ
埋火
死者を思う時こういう感覚なのかもしれない,死者自体が埋火のような感覚になる
死者は生きている時のように騒がしいものではなく現れるかもしれない
死者は何か激しく怒ったりはしないだろう。とろとろ消えないで燃えている埋火とにているのだ。埋火のようになかなかその火は強くはないが消えないのである。
炭の時代を子供のときに経験している,それは貴重な経験だったのである。
炭のことを知っている世代はもう団塊の世代のあとはいなくなったからである。
ともかく死者とどうつきあうかとなるとこれも一様ではない,でも現代は死者とのつきあい方は何か変だなと思う,死んでから知り合いでもない人が集まり合葬するとかもそうである。それは時代の反映なのである。
なぜならもともと村を中心に生活していたとき人は村でみんなと生活して死ぬときも一緒だったからである。同じ村の中の共同の墓地に葬られたからだ
それはこの辺ではホトケッポとか呼ばれている,仏方とか地名にもなっいるからだ
現代では村とかの親密なコミニュティはない,だから全然知らない人が集まり一緒に葬られる,死んでからそうなるというのも変なのである。
これも生と死は連続したものとしてあるからそうなっているのだ
死によってこれまで生きていたことが全く断絶することなどありえないからそうなっている,死んでもやはり生前の人を思い出して死者を見ているからである。
死者になったからといって全く別人になったものを見たりできないからである。
いづれにしろ今年は寒い,寒い時また感じるものが違ってくるのである。
NHKクローズアップ現代『あなたの遺骨はどこへ〜広がる“ゼロ葬”の衝撃〜』
この番組は深く追及している考えさせる番組である。こういうのがyoutube に見られるからいい,すると何回も見れるし考えることにもなる,他に墓について考えるものが出ているからいろいろと理解が深まるのである。
それがメデアの変化なのである。
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