2017年12月26日

自分が求めたのは秘境だった (ワーズワ-スと飯館村などのこと(自分の詩)


自分が求めたのは秘境だった

(ワーズワ-スと飯館村などのこと(自分の詩)

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 ワーズワース

 1770年4月7日 - 1850年4月23日

 1830年、やはりスチーブンソンの手によるリバプール・アンド・マンチェスター鉄道が開業した

湖水地方までは鉄道は通っていない,湖水地方は何かまだ孤絶した地域だった,都会でも相当に離れていた,そこで相手にするのは農民とか羊飼いとかであり工業にたずさわっている人などもいない,工場などないからである。
だからこそ純な自然が保全されていた,それを飯館村とかと比べると原発事故以後に残ったのは菊地製作所であり他でも仕事しているのは製作所とか工業関係なのである。
なぜなら工業は土とか水でも放射能に汚染されないから仕事ができているのである。

イギリスの鉄道は相当に古い,イギリスで最初に蒸気機関車が発明されたから当然だとなる,それが今は日本の日立で特急の車両を作り運行しているのだから明治維新から150年でそれだけ変わってしまったのである。
イギリスに行って日本製の車両に乗るのも不思議だとなる

ワーズワースがほめたたえた湖水地方の住人
達が生活を営む場は、集約農法や製造業の発展といった産業形態の変化の
中で失われつつあった。

この時産業も家内工業から工場や会社形態と変わりゆく時代だった,江戸時代から明治時代に変わるのとにている,ここで人間的なものは失われた。
それは世界的に産業化工業化するなかで同じ経過をたどってきたのである。
アメリカでもソローが生まれたように鉄道すら拒否されていたのである。
文明の発展が確実に自然を破壊することは人間の歴史をふりかえればわかる
森林の破壊なのである。木材は船でも炭にしたりエネルギー源になるから伐採されて破壊されるのは古代からはじまっていてレバノン杉の森は喪失したのである。
湖水地方でも自然の多様な樹々が失われ一様な杉のようなものが植えられたことを嘆いているのもそうである。日本だって杉林の前は多様な種類の木がまじる森だったのである

相馬地方の自然の特徴は何か、丸森とか阿武隈高原があり森と海が特徴である。高い山はないが森が意外と深いのである。丸森は名前のごとく森の世界だった
そこで迷い入り出れなくなったときは恐怖だった,それだけ森が深いのである。
原町の高倉からとかでも飯館村に行く道は細い道が一本通じているだけで森におおわれている,一番印象的だったのは飯館村の大倉から坂を越えた所だった
そこに小川が流れていて森におおわれていて細い道が森の中に通じていた
そこはほとんど人が通らないのである。一日一人も通らない道だったのである。
ただそこにも戦後入植した人達があり十軒ほど家があったのである。
それに気づいたのは最近だった,二三軒はあるなと思っていたけど実際は十軒くらいあったのである。「共栄橋」とかありそこは戦後に入植した人達の村だったのである。
それまではそこは森におおわれていて人は住んでいなかったのである。
そういう場所は日本には結構ある,戦後引揚者が働く場所がなくそうした辺鄙な場所に入ってきたからである。それは浪江の津島とかにもあり山の奥地にも多いのである。
飯館村でもここだけではない,入植者が入ってきた所が結構ある。
佐須などとというときそこは山津見神社があり焼き畑の地名であり相当に古いが戦後に入植者も入ってきているからまぎらわしいのである。

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ただ自分が一番神秘的に感じていた手つかずの自然の森につつまれた所は道路になり失われた,それは原発事故前のことであり今はどこでも車が通り自然が破壊されるのである。原発事故の影響はあまりにも大きいものだった,村は荒廃してしまい人が住めなくなった飯館村の不思議は高原でありそこが別世界のようになっていた
何か花でも高山の花のように高山植物のように純なものとして見える不思議があった
そういう原始的な雰囲気が残されてそうなっていたのである。
ただワーズワースが求めていたように羊飼いとか純朴な農民がいるのとも違う
牛の村だったがにているところはあってもまたやはり現代の村だったのである。
ただ違っていたのは一軒一軒の家が広い庭をもって森につつまれてあった
それが他とは違って贅沢に見えたのである。

迷える足のほか踏みしことなき
人住まぬ谷間や奥深き山中を
いと古き代より汚れを知らぬ地域を
思いのままにさまよいる自由こそは
定命もてるかよわき人間にとり
いかばかり神聖なものぞ!

冬の日にワ−ズワ−スを読む

こういう場所がそこにはあった,ワーズワースが求めたものは何か?それは自分と共通したものがある,自然と人間の精神のモラルの一致でありアイディンティティ化することである,自然こそ真の聖堂であり教会とかの建物に神は存在しない,神は大自然の中にこそ存在する,森は神殿でありそれを模したものがゴシック建築となった

この辺はそれほど純な自然というものが目立たない,それは高い山がないし温泉などもないから外から見ると平凡なのである。
でも平凡に見えるところでも実際はどこでも知られざる秘境はまだ存在している
原町の高倉から森に分け入り飯館村に行く所や鹿島でも水無川をたどって上流の大古林道などに知られざる岩がある
それから丸森の川を上った所にも秘境があった,他にもまだあるがそれは道のない道を分け入ればある
自分のテーマは石であり岩であった

隠された大岩

深い森の影なす一すじの道
それが隠された村に通じていた
その山陰の森の道を一日誰通らない
大きな岩がどっしりとある
その岩の回りに春になると
キクザキイチゲが残る雪のように咲く
それを見た者はいない
そこはまだ開かれていない
分厚い本のいち一ページである。
自分一人のみがそのページを開いて見た
そして閉じていたのである
清らかな流れがひびき
夕べ聞こえるのは小鳥の鳴く声
神秘の蝶がそこに羽根を休める
そこはなぜか日影になりやすい場である。
木暗い場でありしんとして夕ぐるる場である
その大岩は村の人さえ知らないもの
しかしその大岩は今はない
ただ私ははその大岩のように眠りたい
患いもなく千歳眠りたい
その眠りを覚ましてくれるな
ああ 災いの地となってしまった
でも私の心にその森と大岩がある
そしてもう一すじの森の径は消えた
そこに行くことはもうできない
ただ騒乱の日を過ぎ去ることを願う
そして再びそこに千歳の大岩として
私はありて休らぎたい
そこは再び深い森におおわれる
樹々は風のさやぎ森は鎮まる
耳をすませばただ小鳥の呼び合う声が聞こえ
平和なる山鳩はその森に眠る

失われた森の聖域

そは久しくも隠されてありぬ
卑しき人の眼に触れざる所
千歳の岩は威厳を保ちぬ
その岩を飾るは可憐な花なり
清らかに小川は流れ花はうなだれ咲きぬ
さえづる純真な小鳥の声はここにひびき
そのソロの音色に酔わしめぬ
天然の歌人はここに養われぬ
純白の木の花は天に向かい咲き
神のみぞ天より見るのみ
森は深く影なしおおわれぬ
花を探し求めて追いて疲れし
一羽の揚羽蝶舞いきて羽を休めぬ
家々は森につつまれ隠されありぬ
ここに家ありとも知らじ
石はただ黙して千歳動かじ
卑しき人の眼に触れざる所
人の踏み入らざる所
あらかじめ神の定めし座に岩のあれ
純なる自然の聖なる神域にこそあれ
森は黒々としてつつみかくしぬ

the fixed rock is a deep seated place of my homeland

人間の座はどこにあるのか?それはもともと自然の中にありそこで安らぎとその場を得て安定する、自然に育まれて精神もモラルも一体化して養われる
そういう場がなくなったとき精神もモラルも荒廃したとなる
displacementが疎外でありまさにそのfundamentalな場所を失ったからこそ人間の存在が消失してただ統計的数字のようになってしまったのである。

ワーズワースの詩よりヘルダリーンの詩が思想的には深いと今読んで気づいた
彼の詩はライン川ときってもきれずに結びついている

雪の峰は大地にそそぐ
この上もなく清い水を 生まれながらに
あなたが純一なのは そのためなのだ
根源の近くに住む者は その場を離れない

しかしラインは夢に忘れない おのれの出自を
かりにも彼が 根源を忘れ
若き日の純粋な声を忘れようものなら
住む家も消え,掟も消え
人間たちの生きる日は
異形の幻に帰するに違いない

根源を忘れるというとき原発事故でもそういうことがあったのかもしれない
根源の地を失ったからである。根源に生きることからはずれて生きるようになり原発事故になり根源の地に住めなくなったともなる

いづれにしろ芸術の霊感の源は自然でありそこから離れて芸術も宗教も哲学もありえないのである。都会ではだから経済とか工業とか商業はあっても宗教とか芸術とか哲学とかありえていのである。
富岡八幡神社とかカルト宗教団体の巣窟になっているのである。
ただそこでは膨大な人が集まり金が集まる,賽銭が集まるのである。
それで繁華な所だから人が集まる所だからそうなっている
でも本来の宗教とは全く無縁な場所となっていたのである。
神道だって本来は日本の純な自然の中から生まれたものだからである。

then last wish
My last and favourite aspiration!then
I yearn towards soma philosophic Song
Of Truth that cherishes our daily life
With meditaitions passhinate from deep
Recesses in man,s heart ,inmmortal varse
Thoughtfully fitted to the Orephean lyre

かくして最後の望み
我が愛するいやはての熱望!
われが日々の生をいたわる真理を語る
哲理の歌を憧れるなり
人の心の深き奥よりいずる
幾たびの熱情的瞑想を含み
オルペウスの竪琴に思慮深く合わせたる
不滅の詩句を綴らむ
(ワーズワース)

philosophic Song,Thoughtfully とかはdeep Recessesから起きてくる

隠れ場所,隠遁いんとん所;((recesses)) 人けのない奥まった所,奥地,隠所,奥底,隅;(心の)奥;(学問などの)奥義

これは秘境のことなのである。

要するにワーズワースとかでも追及したのは自然との一体化でありそれは詩だけではない哲理であり宗教までにもなる、自然の事物を人間の精神とアイディンティティ化して一体化して表現することだったのである。
ただ今は田舎でも素朴な人間はいない,金,金,金に追われているだけなのである。
だからこそ飯館村でも原発で働いていたことは意外だったのである。
自分にしてもエアコンの部屋でこの文を書いていることも矛盾しているのである。
囲炉裏とかであたたまり書いていればいいが現代ではそうはありえないのである。
石油も使っているからである

ただワーズワースの時代は日本の江戸時代であり街とはかけ離れた場所にあった
そこは確かに風光明媚でも辺鄙な場所でありそこに住むことは今田舎に住んでいる感覚とは違う,今は田舎ではみんな車をもっているし都会と生活そのものが変わりないからである。田舎の人でもどれだけ金を贅沢を求めているかそれは都会より欲深くなっているともなる,純朴な羊飼いなどありえない世界である。
ただワーズワースの時代のような羊飼いがギリシャの山奥でスパルタの方に行ったとき山岳地帯で見た,そこの山の岩場にそういう羊飼いがいたしモンゴルなどにも今でもいるし中国の草原地帯にもいるしまだそういう人はいる
ただヘシオドスのように人間の暮らしが生活が隠されていたというとき人間を意識しないときそこは自然につつまれて理想郷のように桃源郷のようになっていたのである。
どんなところでも人間が住んでいれば必ず汚れるし嫌なものとなるのである。飯館村でも別に自分は人間とは交わらないから良かったともなる,今や飯館村原発事故後に南相馬市と同じく村が補償金とかで分断されたからである。

往来する旅人の顔というものを一度も知らぬ
あの隠者の家の戸口には・・・・(ワーズワース)

その丘の岩場に羊飼いが休み
去り行くも人影の見ず
雲は淋しく流れてゆく
湖水は山の影を写して
風は岩に鳴り
人の跡をとどめざらむとす
・・・・・・・・

なんかこんなふうに人が踏みいらない,旅人すら来ない場所であり時代だった
別に自分の住んでいる場所はそんな淋しい場所ではない,鉄道も通っている知らない人も頻繁に来ている場所なのである。現代では世界中で旅人の来ない所もないから車も通っているからそういう場所は探すのがむずかしいとなる






posted by 天華 at 11:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村
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