2018年01月05日

建築から見る歴史(アテネの学堂-詩)


建築から見る歴史(アテネの学堂-詩)

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ピサの斜塔を変形したらこんなふうになった
これも奇妙である。



 気高いア−チ

 Humans are united with their divine ceremonial hall
  with dignity or nobility
 in the majestic solid foundation hall

ア−チよ、力強いア−チよ、気高いア−チよ
その荘重な堅実なる殿堂よ
そは人を高貴ならしめる
自信に満ちたる人の姿よ
その足よ、その胸よ、その頭よ
それは意味あるものを語りつづける
イデ−を探求しつづける眼よ
南の明るい光の中に
馥郁と香る花々のように
真理探求の友はよりそい耳をこらす
その友は対等にして奴隷の弟子にあらじ
その学問の殿堂をともに自立し歩む
人間はその神々しい殿堂と一体となる
ア−チよ、ア−チよ、気高いア−チよ
その石の殿堂の歴史は古りぬ
威厳に満ちた人間は彫刻と化して 
その殿堂の中に揺るがぬ座をしめる 
建築は人間を飾るものにして主体は人間 
光輝ある人間がその主人
尊厳は人間にあり光は人間から発せられる
ア−チよ、力強いア−チよ、気高いア−チよ
その礎は堅く、不朽のごとくア−チは
尊厳なる人間を永久の記念とする

真と美の殿堂

ローマの遺風堂々と
堅固なアーチの堂宇
一同に天才達の集う
自立する哲学者と弟子
一対一の自由なる問答
建築は人間に威厳を付与する
知的な探求はやむなくつづく
そこに清新の気はみなぎる
自由と自立と規律は調和して
大地の実り,職人の技の結集
ギリシャの知と美,ローマの建築
イスラムの知とキリスト教の精神
一つに統合された美と真の殿堂
平和の殿堂をここに築かむ
神の祝福はここに注がれむ

A god of Roman majesty
Strong arch gate
We gather together of genius
Independent philosopher and disciple
One-on-one free question and answer
Architecture grants human dignity
Intellectual quests continue to be continued
There is a spirit of freshness there
Freedom, independence and discipline are in harmony
The fruits of the earth, the mobility of craftsmen
Greek knowledge and beauty, Roman architecture
Muslim intellect and Christian spirit
One integrated beauty and true hall of fame
Build a Hall of Fame here
God's blessing pours here

 晩秋ア−チの駅

旅人はフランクフルトに着きぬ
そのア−チの荘重な駅に
人々の出会いと別れの交差し
秋はまた深まりぬ
その荘重なバンホ−フは
その人々をつつみ古りぬ
駅にすらその建築は威厳を付与し
人々を尊厳あるものにする
駅は単なる雑踏にあらじ
旅人はその駅に着きて
一つの歴史を刻む
まことに我はここに来たりしと
その存在を建築の中に見出し
人間の存在を尊厳ならしめる

 ヨ−ロッパの都市(建築の意味)

シュペングラーの西洋の没落が建築史から見たもものだった,建築のその時代と国の文化や歴史が凝集されているからそうなった
アテネの学堂は傑作である。そこに西欧文明の神髄なるものが表現されているからだ
エジプト文明がピラミッドに象徴されのと同じである

中心にいる人物がソクラテスだといわれる,その周りを様々な人達,天才達がとりかこんでいる,そして師と弟子は対等に並び問答する,つまり師と弟子は上下関係ではないのである。その相違が東洋とは相当に違っているのだ。
自由,博愛,平等というときそれは上下関係ではない,対等のものとして真理を美を善を追及するのである。
宗教は上下関係になりやすい,そこで人間は精神的に奴隷化されるのである。
カルト教団になると教祖が悪魔でもそれに機械のように従うだけであり偶像崇拝になる
そこに人間の自主性も尊厳もないのである。
師の危険は偶像崇拝になることである。

ヨーロッパを旅すると実感するのは建築が文明であり建築によって人間に威厳を与えているのである。それは駅までもそうした荘厳な建築になっている
それは無駄だというのもわかる,日本では駅は機能的なものとしてしかないからそうなる現代の建築には機能的な要素うかないビジネスだけの建築である
ローマのアーチでもそこには精神性が付与されている
だからルネサンスとしてアテネの学堂の中心として形成されたのである。
ルネサンスは西欧文明の精華としてフィレンツに華開いたのである。
そこにはイスラム文化も結合された,そこには宗教の血なまぐさい争いはない
平和的結合された人類の精華だったのである。
政治は常に対立であり闘争であり戦争になる,文化は違っていても互いに刺激しあい結合して一大殿堂を作るのである。

西欧文明というときやはり今の文明の基礎にある,その源がギリシャにありローマにありと中世のキリスト教にありと連続している,継続している
それ故に一大文化の殿堂がルネサンスで生まれたのである。
マヤ文明とかインカ文明は孤立文明となり森に埋もれて発展しなかったが西欧文明は結合して発展したのである。

ヨーロッパでは都市すら一つの建築物であり計画的に作られている設計されているからそうなる,日本の都市のように雑然としてはいないのである。日本の都市は無計画に作られているからそうなる
西欧文明は規律とか計画とか設計とか人工的なものを理性的に作ることが根底にある
日本の文化は自然そのものを庭でも取り入れる,自然ににせたものを取り入れる
でもヨーロッパの庭も計画的に人工的に設計されたものであり日本の庭とは違うのである
ともかく文明は建築から見るとわかりやすい,必ず象徴となる建築を残しているからだ
日本の伊勢家神宮でもそこに日本の文化を見いだした外国人がいるように精神性を示していた,質素とか簡素とかの日本文化の象徴として伊勢神宮があったともなる
それは建築とも言えないにしろやはりそういう日本文化が文明の象徴としてあったともなる

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