2018年01月14日

氷河期世代高齢化社会で日本は共倒れになる危機に (ニート,非正規などと高齢化問題はセットである)


氷河期世代高齢化社会で日本は共倒れになる危機に

(ニート,非正規などと高齢化問題はセットである)

なぜか田舎でも40代あたりでニートがいる,自分はそういう人間と会いやすい,三人くらいあっている,一人は働いていても非正規なのである。
だからこの前も仕事を探して就職したのに今年になって仕事がないと6月まで休むというから驚きである。
それでその母親が自分に困ったとして金を要求してくる
だから自分はできないと言った,その人はこれまで同情すべきことがあったから援助していた,しかし自分一人ではどうにもならない問題である。

低賃金の仕事で生活することや、インフォーマルな仕方で紹介されることが多い職をそもそもみつけることは、家族や家族のように付き合う仲間がいない場合、途端に難しくなるからである。

しかし仕事が流動化し、一生の職と呼べなくなるなかで、仕事によって人を判断することも、まただからこそ仕事に熱意を注ぐことも、意味のないことになりつつある。

この人は自分の労働観とにた意見になっている,現代の労働はその場限りの日払いのような仕事に変わっている,それまで終身雇用とかで一生勤めていた会社員だったけどそういうのは少ない,非正規の数が膨大になっているからだ
だから働くことは何なのか自分のようにすでに団塊の世代でもあったのである。
ただその時は高度成長時代で会社が大きな価値をもっていたからみんな企業戦士となったのである。

非正規だからこうしたことがないとやっていけないとなる,この記事はその非正規の待遇を考慮するべきだと言っている,つまり非正規が増えすぎたからそれを自己責任として押しつけることができなくなっているのである。
自分も半年工事関係で働いて仕事がない,その間援助してくれとなり二回も金を要求された,その額も大きい,そんな金は自分にはもうないのである。
自分には収入として入ってくるものが国民年金しかないからである。

氷河期とかニート,フリーターは40代で人口も多い
その人たちがなぜ大問題になるのか?
それはその親がその負担を負っているからである。
その親が死んだりするともう生活もできなくなる,その数も多いから問題なのである。

つまり氷河期とかニート,フリーターとか非正規とかの問題は高齢化社会と一体化してあった,これは切り離せない問題である。
親があって親の援助で生きている,その親が介護状態とかなる高齢化社会である。
それはちょうど団塊の世代が親なのである。
その団塊の世代は介護時期になるとその氷河期とかニートとか非正規とかの子は親を介護できるのか?それは思った以上深刻な問題である。

それを自分は自ら被害を受けて具体的に知ったのである。自分にその負担がまわってきたからである。他にも親戚で生活保護の女性が東京にいた,それも40代なのである。
この40代世代が大きな問題をはらんでいる,それも数が多いのである。
団塊ジュニアになるからだ,数が多いということはそれだけ問題が社会に顕在化しやすいのである。
例えばニートとかでも数が少なければ問題化しない,団塊の世代で自分のようにニート化したのは極々まれだからである。そんな人いたのとなるからである
でも社会に数が多くなると問題化してどうしようとなる,社会の負担となるからである。少数だったら負担にならないからである。
その人たちがどうにもならなくなり生活保護になったら国自体が負担して国が傾くのである。

高齢化社会はまた団塊の世代のように数が多いことで問題になる,死体を処理する火葬場すらたりなくなり困ると東京などで問題にふでになっている
つまり数が多いということはあらゆることで問題になるのである。
高齢化社会とは数が多いことによって国の負担になり負いきれないとなる
そこでもう老人の価値は昔と違って格段に低下する,老人は邪魔だ,安楽死して始末させろとか毎日のようにネットで若者が叫んでいることでもわかる
昔のように老人をいたわるというとき敬老の精神は数が少ないときありえたのである。
数が多くなったらただ社会全体の負担になり若者の負担になり老人のために人生が犠牲にされるとまでなる
国の税金も老人のために使われて将来の日本をになうものに使われないとなる

そういう不満が全国に充満している,そこでは愛とか慈悲とか成り立たない,数が多すぎるから成り立たなくなる,そんなこと言っていたら国が破綻するとなるからだ
老人は弱者だからいたわりなさいとかならない,老人は障害者でもありでもその障害者が膨大に増えたらそれにいちいちかわいそうだねとか言えなくなる
みんなそんな余裕がなくなる,だから今病院では老人が無理やり生かされているが早く始末してくれともなる,数が多いと人間は物扱いになる,愛とか慈悲が成り立つのは少人数の時なのである。
数が多いといちいちかわいそうだねとかなりえないのである。
それで病院ではそうした老人ばかり診ているからいらだっている
そこで自分も看護師に虐待されたのである。
数が増えすぎた老人はもうその負担に耐えられないとなり社会的に始末しろとまでなる

つまり今までの宗教観とかモラルも通用しなくなる,それは人間が悪くなったからとも言えない,数が多すぎるとそうなってしまうのである。
数が多いこと自体,人間の価値は比例して低下してゆく
一票の価値でも村のような所だと十票の価値があるが東京とかなる一票の価値は格段に低くなるからだ

いづれにしろ氷河期とかニートとか非正規の問題は深刻である。
日本の経済が景気が良くなったというが株だけ上がり逆に物価が上がり苦しくなっている野菜が高騰して鍋物が作れないと嘆いている
実際は賃金も上がらない,そしてニートとか非正規をかかえた親は負担を強いられるがそれもできなくなる,その時あと20年とかなると社会負担になる人が増えてくるのだ
団塊の世代の高齢者もその氷河期とかニートとか非正規の親であり介護状態になる人が多くなる,認知症の患者が800百万人になるという数字も恐怖である。
認知症の介護に全国がふりまわされてパニック状態になるかもしれない
つまりこの深刻な将来を真剣に考えないともう日本は終わるとなる
あと十年とかでその問題は社会に顕在化してゆく,それは本当に恐怖でありリアルなものなのである。



posted by 老鶯 at 11:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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