2018年01月17日

仕事したあとに次々に金を要求する大工 (困窮する人達が増えているためか?)


仕事したあとに次々に金を要求する大工

(困窮する人達が増えているためか?)

雨漏りしたから大工さんに頼んだ,その大工は五六回も仕事が終わったあとに金かかったと請求してくる,すでにそれなりに金を払っている
でも最初に見積もりもなくただ雨漏りを直してくれというだげで頼んだ
一二回ならいいそれが何度も後から後から請求されるのである。

何がここで問題になったのか?
この仕事はだいたいいくらかかりますかとか金額提示されないからだった
それで後から後から金を請求される
工事の請け負いでも落札価格があり決める,どのくらいの値段でしてくれるのかで決めるところが素人にはそうした工事していくらという値段がわからないのである。
ただ領収書で材料費にいくらかかったとかはわかる
その人はその領収書も見せないで後か後から金を請求してくる

つまり最初にいくらいくらでするとかおおよその目安を示してそれで契約する
その時多少高くてもそういう契約したのだからそれは双方で納得したことなのである。
契約がうるさいのは後でこうした問題が常に起きているからである。
ただ素人には例えばリホームとかでその値段がわからないのである。

だから仙台から来たユニットバスを作った会社は良心的だった
百万で作ると言って契約してその通りに立派なものを作ったからである。
イワタニではガス屋ではこれは二百万すると言っていた
もし地元の人に頼んだら知り合いの人を通じて頼んだら後から後から要求されて三百万になっていた
その人はいろいろあって大目に見て金を払ってきたのである。

というのは仮設の食堂で働いていて賃金をもらえなかったからである。
その仮設の食堂には自分は通っていたからである。
七〇万もらえないと自分のところに来て訴えるからかわいそうだと思って払ってきた
そこでは皿二三枚洗うのとは違う,かなりの労働だったからである。

要するに雇う人と雇われる人の関係は何なのか?
そこにはなんらか信頼関係がないと成り立たない
別に雨漏りで頼んだ大工さんが多少高くてもしょうがない,それは交渉である
でもあまりに高いと頼めないのはしかたないことである。
慈善事業ではないからだ
ここで問題は契約が大事なのはこうしてのべつもなく後から金を請求されたり困ることが双方に起きるからである。
それで樋も壊れたので頼んでいたが断った
つまり信頼関係がこれで壊れた,仲介した人との関係も悪化したりする
仲介する人の信頼も壊れてゆくこともある
なぜそんな人を頼んだとなるからである。
人と人の信頼関係が壊れてゆく

この前の家で手伝ってもらった人もそうである,家に来て盗むとなると危険となるその人はこの土地に今も住んでいる
するとこの土地にそういう人が住んでいることはこの土地はそういう危険があり信頼できないともなる,狭い田舎だとそうなる,その市町村は住むにも危険だともなるのである。雇うとか雇われるという関係もつくづくめんどうだった
そんなこと自分は経験していないからだ
雇う人雇われる人には問題が起きやすい,それは双方の信頼関係を築くのがいかにむずかしいかを示しているのである。
信頼関係を築くことがいかに人間はむずかしいかを示しているのである。
それは歴史的にもそうである。人間が信頼し合う関係は最高にむずかしいともなっているからだ

ともかく自分の所にくるものはこうして金を奪おうとうする人達が多かった
一人事業に失敗した人であり借金かかえているからただ金を奪おうという気持ちしかないから自分の困ったことがチャンスとなり脅迫のようになった
例えば銀行員などがまともだと思うと今は違う
地方銀行はもうかつての銀行ではない,収入がなく追い詰められて投資信託とか売っているがそれは手数料商売であり顧客がもうかるとはなっていないので手数料とりすぎるので金融庁から諫められたのである。
この前は親の代の親戚で金貸してくれとかきた,何かこの辺ですでに金がなく困窮している人が多いから余裕がないからそういうことをするとなる
自分の所にはそうした困窮している人が来るからこの辺の経済状態は悪い
それよりそれは下流老人と非正規とかフリーターとかニートとかそうした社会が貧困化している日本の問題が顕在化しているのである。

雨漏りの修理をたのんだ大工さんも仙台の方で働いているという,非正規の人は東京に職探しに行った,そういう何か困窮した人達が増えてきたのである。
それは日本全国でそうである。アベノミックスでいいのは株でもうけた人達である。
その株にしても普通の人はもうからない,極一部の人でありトリプルダウンはなかったのである。
もうこの辺はこうして困窮している人が増えてくる
この辺ではいいのは原発の避難民となり多額の補償金をもらった人達である。
それも全部ではない,復興団地に住んでいる人も多いからである。
豪邸を建てた人はやはり多いとは言えない

もう三年でこの辺は復興事業の予算が国からでなくなる,その時さらにこの辺は高齢化が他より一〇パーセント多いとかなり困窮する人達が増えてくる恐怖である。
それは自分のように今は余裕があっても回りが余裕がないのだから田舎では平等を徹底して要求するからのんきにしてはいられないのである。
三年などすぐだしその時もう自分も年で弱ってくる年齢である
するとさらにこの辺で住むことは苦しいことになってゆく
回りに余裕がないと経済的でもそうだが一人だけのんびりはできないのである。

だから今になるとニートとかフリーターとか非正規とかが社会の重荷になり責められるのである。
そういう経済状況でくなったからである
本当は高度成長時のときこそニートとかフリーターがまだ多くても良かったのである。
全体の経済が良かったからである。
でもその時は自分のようにニートとかになっていたのは本のわずかである。
だからそんな人いたのと誰も注意もしないし話題にもならなかったのである。
でもその時こそそういう人がもっといても良かったなと思うのも時代である。
とにかく時代によって人間はあらゆることの価値観から見方から変わって来るのである




posted by 老鶯 at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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