自分の失われた金
(カルマの清算のために金は失った)
今貯金を計算したら相当へった,それはこれらの人に使ったからである。
その額は大きい,事業失敗者にも払った
盗難の額が一番大きかった,これは痛手だった
親戚の遺産分配もそれなりに大きかった
困窮者が来て援助するはめになった,これもそれなりに要求されて大きかった
そして地銀もまた同じようにもうけ話をもってきても結果は銀行や証券会社に手数料とかとられるだけだった
結果としてずいぶん減ったと思う,ただ助かったのは介護は手間だったけどそれほど金がかからなかった,それは自分一人でのりきったからである
ただその間に自分が病気になったりして盗難にあったり苦しい目にあった
介護は本当は二人だからもっと金がかかっているのが普通である。
でもここで金がかかっていないから残ったともなるかもしれない
病院に入院して治療代とか安いし自宅で介護していてもベッド代にしても安いから意外と金はかからなっかた,手間はかかったがかからなかった
ここで金を使っていたら残らなかった
介護とか病気とかで金がかかると思っているが意外と保険があるからかからない
ただ保険金を払うことにかかるだけである。
だからそこを心配する人がいるが自分の場合介護医療には意外とかからなかった
ただ私的に介護する人をたのんだら月三〇万とか一千万くらいかかったともなる
つまり自宅介護で自力でできるなら金は意外とかからないのである
ともかく金は要求されて出ていったとなる,それもしかたない面はあるがここでわかることは困窮者が多いからこうなっているのである。
一見銀行が関係しないようでも銀行も地銀などが困窮会社になる
もうけることができない,金を貸さない金貸しがいるのかと揶揄されたことでもわかる
金を貸してもうけるのが銀行だけどそれができないから銀行の役割はなくなり消滅してゆく危機である。
事業失敗者の要求も追い詰められているから余裕がないから介護する自分の家にきても助けることなどできない,ただ重荷となって自分に事業失敗の金をなんとかしてくれとくるだけである。それはだんだん自分が死んだら金が入るのではないかとすら思うようになる保険金殺人のようになるから怖い
人間はみんな金に追い詰められればそうなる
わずかの金でも殺すし借金が犯罪の動機になるのが普通である
なぜ自分がこんなに金で責められたのか?
それはみんな金に余裕がないからである。
差し迫ったものがありそれが強盗のようなものにもなり脅迫めいたものにもなり自分は苦しめられたのである。こういう人は他人に同情する余裕もなにもなくなっているから
そういう人が自分が苦しい時に来ればかえって苦しめるだけだったともなる
ただこうなったのも自分の親のカルマと自分のカルマだったのである。
ふりかえるとカルマの清算を強いられたのである。
必ずカルマの清算時期がある,遺産相続したりすると必ずこうした金のことでもめる
だからカルマの清算は過酷なのである。
必ずそのカルマの清算の時はやってくる
へたすると殺されるということさえカルマが重ければなる
それは自分だけではない,例えば親が金があってもその金がブラックな金だとカルマの清算が強いられる,金があればすべていいとはならない,そのブラックな金のためにカルマがまわってきて苦しめられる
それは人生の法則のようなものである。若いときの過ちもそのままでは終わらない
必ずカルマとなり後年責められる苦しむことになる
ただここで銀行に苦しめられというのは無知だからだろう,銀行に責任があるわけではない,それはただ知識がない経験がないことでのってしまっただけだとなる
ただ銀行も今は困窮者になっているから余裕がないから証券会社化したのである。銀行もまた困窮者だから苦しめる側になったともなる
困窮者になれば明日食べるものがなければ相手を襲ってでも奪っても殺してまで得ようとするだろう。そこまで追い詰められている人間は善悪はなくなるからだ
そういう人に出くわすのもカルマだとなるかもしれない
自分がそうだったとなる,でないとなぜある人がなぜ事件にあい,苦しめられるのか理不尽だとなるからだ,
もう自分は自分の親とか自分でもカルマを清算したとしてくれとなる
これ以上金はもうない,それで許してくれともなる
つまり金をもつことはこうしてカルマになるから気をつけろとなる
金の額にもよるが平均的にしても上回る金だと今は貧困者が多いから責められる
田舎では特にそうである。田舎では大金持ちなどは住めない
なぜあいつは金をもっているんだとなるからだ
ともかく金というのはどこまでもついてまわる,そして地獄の沙汰も金しだいになる
金の恐ろしさがわかる,金をめぐって人生も変転する
だから人間は金から解放されたいと心底願うようになる
そして強欲資本主義とか金融資本主義がやがては成り立たなくなる,そして別なシステムが生まれるのか?そういう時代が来ることを願うほかない
ただ天に宝を積めというときこの世に積んだ宝も金もそれは腐れる,死ぬときは結局そんなものは意味がなくなる,天国ではこの世の金で生きるのではない
天に積んだ宝で生きる,金にふりまわされることはもうないのである。
カルマの精算期にきたら
本当にこういうことがある,もうこれは法則のようなものである。
人はカルマから逃れられないのである。ただ苦しみがないと自覚できないのである。
なんらか苦しみがともなうときカルマを自覚するのである
自分はカルマ消すことをしてきた,だからもう金ではめんどう起さないでくれとなる
金のカルマから解放されたいとなる
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