町(街)作りは土地の特性を活かすこと
(相馬地方にも多様な土地の特性がある)
実はドイツにも「まちづくり」のような使い勝手のよい言葉はある。「立地要因」「立地特性」などと訳される”Standortfaktor”がそうだ
市町村でどうして特徴を出した町作りができるか?
ドイツでは町作りという概念がないという
「立地要因」「立地特性」というのがある
これは興味深い言葉である。立地要因とはその土地の特性このである。
相馬地方でも立地特性というときどういうことなのか?
原町の深野のことを例にあげたがそれは地理的特性と歴史的特性とがある
まず地理的特性から人間の住む場所が決められる
だから地理的特性の影響は大きいのである。
海側と山側に住むものは感覚的に相当違ってくるのである。
職業でも漁業にたずさわるものと農業にたずさわるものでは感覚的相当違っている
浜通りにはこの二つの特性がある,常に海に面して山に面しているからである。
ただ山は高くないからどちらかというと森につつまれているともなる
飯館村は森の村だったからである。70パーセントが森だったからである。
相馬地方の立地特性としては海側と山側に分かれるからである。
松川浦があり八沢浦があり津浪の前は右田浜の松原があったが消失して風力発電の風車の風景になった,あとはソーラーパネルになったから土地の特性を失ったのである。
必ず土地の特性はある,新田川とういう浅い川であり瀬音がするから広瀬川とにている
それで青葉城恋歌ができたりする,それは土地の特性と結びついていたのである。
その土地の特性を活かすことが町づくりの基本としてある,松川浦がありそこに海の幸があり特性を活かせる,ただ津浪で松原とかアサリ取りがなくなり打撃が大きかった
その特性を活かせなくなったからである。
松川浦でとれた魚を出せないとしたら魅力がなくなるからだ
その土地の特性が津浪とか原発事故で失われたことは痛手だった
ただ海でも山でも川でもなくなったわけではない,だから高瀬川は景勝の地としてある
そこに相馬焼きの大堀の窯元があった,ふさわしい風光明媚な場所にあって特性を活かしていたのである。
だからどういう町作りをするのか?南相馬市長選挙があり課題となる
そういうことは別に争点にはならないがその土地の特性を活かすことが町作りになる
深野のことを書いたがあそこにユッサがあり温泉が一応あることはその土地とマッチして特性を活かしたものだったのである。
自分は深野というとき何か魅力を感じる,そこは何も変哲のない場所なのである。
その理由はわからない,ふこうのという地名の名もいいのか?
歴史としても中世からあり古いのである。大原より古いのである。
それは歴史的特性としてある,その歴史的特性を活かすことも町作りである。
相馬氏では公共の建物を入母屋作りにして統一しているからそれも街作りになる
そこには相馬の六万石の城跡があるからそこを基点に城下町風の街作りをしている
それはある程度評価するがそんな建物ばかりに金をかけるなという批判もある
何か自分は異常に景観にこだわるから評価している
景観を壊すものソーラーパネルでも過剰になると嫌だとなる
最近は深野でも土がえぐりとられてむき出しになっている所が多いので嫌だとなる
でもそういう景観は金にならないから普通は無頓着なのである。
自分は全国でも旅したからその土地の特性を地理からみる,相馬地方でもそうである。
狭い地域でも実は土地の風土の特性と地勢の特性と歴史的特性がある
これを町作りに活かすことなのである。相馬地方が海と山と森があるから平凡なようで多様な土地の特性がある,それを自分は詩にしてきた
少子高齢化でコンパクトシティが言われるが自分としては村が消失することはその土地の多様性が失われることだから問題があるとみる
街の中心にすべてがあること,病院でもスーパーでも何でもそこで用を足せるから車が無くても暮らせるようにするというのもわかる
鉄道の駅を中心にするというのもそうである。鉄道の場合は老人が車を運転できなくなるからである。
駅で会った元は小高に住んでいた女性も車を運転しなくなったので電車を利用してきた
でも電車の乗り方がわからないといっていた,そういう人も車社会では多いのである。
だから車社会は高齢化社会にはそぐわないものとなる
そのためには小高では乗合タクシーを市の方に何度も陳情して利用できるにしていた
その女性もかかわって何度も要求してできたのだといっていた
ところが鹿島ではそういうことをしないから原発事故の前は小高の方が何かと役所でも立派なものが建ったり高校ができたりと良かったのである。
それはやはりこうして運動する人がいたからだと思った
南相馬市の市長選挙でこうした町(街)作りのビジョンを建てているのか?
そういうものが見えない,何か政策も似たりよったりである。だからどっちに票を入れていいかまたわからないのである。
際だって違うものがないのである。脱原発だけが相違というのでは何かもう一つ地方選挙では目立たないのである。
ただ実務となると自分のように詩的な観点からは見ない,自分はどうしても景観とか詩的美的観点から見ているのである。
だから八沢浦が入江に一時になったとき奇跡だとして感動していたのである。
でもそこで死んだ人がいて幼児でも泥のなから掘り出しているという人がいて叱責されたのは当然だったのである。
一般的には美的観点から見る人はまれだからである。
ただその土地の特性を活かすときそこに安らぎが生まれる,その土地にそぐわないものがあると安らぎが失われる,ソーラーパネルなどはそうなるが経済的には土地を活かすために容認せざるをえないのである。
ともかく津浪原発事故後の町づくりは変わってしまった,すでに変わっている右田は風力発電となり景観がまるで変わってしまった,あそこに植樹して森を作っても森は映えない風力発電の方に圧倒されるしそこからの騒音があるかもしれない,つまりそこがかつての右田の松原のように憩える場ではなくなったのである。
だから50年後でもそこに森が生まれてもそうだろう。自然は活かせないのである。
なんらか人工的なものは自然を破壊して景観を乱すのである。
深野の秋の詩
その家は石神にありて古しも
昔紙漉きをしたる家と
深野より嫁ぎし女は語る
新田川、水無川の清き水に
寒き冬に紙漉きの生業ありぬ
押釜村には一六軒もありぬれ
今日石神村の八坂神社をたずねぬ
団栗の石段に落ちて我が上り
その木々の古りしと秋の日さしぬ
その謂れは何や社も古りしも
石神より深野に来たりて
百井の姓と深野の姓の家や何か語る
その細道行きて土地の人と話しぬ
豪倉という地名は村の米倉
今この一村にも実りのあれ
飢饉の時の備えなりと地名に残りぬ
樹々の根づきて屋敷を囲む
松に蔵ある家や秋の日のさし
落ち着く暮らし継ぎにしも
ここに誠の日と美しき日々のあれ
深野は大原より古き村なり
山陰に墓のもの寂びてあり
新田川の岸辺に芒なびきて
流れに光まぶしく反射しぬ
ここに太陽も喜び輝き沈む
国見山仰ぎて深野の秋の日暮れむ
この詩でも詩とか芸術は深くその土地の地勢とか歴史的特性から生まれているのである。
八坂神社は日本に多い,この辺では相馬市にもある,いたるところにある
もともとは渡来系である,秦氏関係だという
京都の八坂神社が本殿である。でもなぜ全国にあるのか?
そしてなぜ石神にありいつ建てられたのか?
神社の場合,なぜそこにいつ建てられたのか?
それが不明なのが多いのである。
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