2018年01月19日

南相馬市長選挙を前回の渡辺氏との政策の相違で考える (自民系と左(共産系)とかの戦いのなか?)


南相馬市長選挙を前回の渡辺氏との政策の相違で考える

(自民系と左(共産系)とかの戦いのなか?)


南相馬市の復興を考える

A 帰還困難区域については移住費用を支援。帰還困難区域以外は「戻る」選択には賠償追加で支援。帰還困難区域以外で「戻らない」選択には支援しない。 
B 除染一辺倒から、除染・インフラ整備・汚染水対策・廃炉を「大きな公共事業」とし、税金を投入する。

自動車関連企業、成長産業である医療機器やロボット産業とは、グローバル経済に対応し、規模が大きく、成長を追求する産業だ。それらの企業は、言うまでもなく、東京に本社を置くグローバル企業、あるいは海外に拠点を置く多国籍企業だ。そして収益の最大化を目的にしている。地域で生み出した利益の大半は本社のある東京や海外に移転し、企業内に留保される。地域にはほんの一部しか循環しない。

交通インフラの整備とは、企業誘致を当て込んで、道路などの基盤整備を行うということだ。しかし、住民の生活再建が依然として進んでいないのに、企業誘致のための道路建設に復興資金を使うことに住民が納得するだろうか。 
 また、その公共事業を受注するのが被災地外のゼネコンであれば、被災地の企業に回るお金は限られ、被災地の企業の復興は進まない。しかも、公共事業は一回限りの投資で、持続性はない。

 隣りの宮城県では、農業への新規参入を積極的に進めている。野村ホールディングス、サイゼリア、カゴメ、IBM、GEなど、外食産業ばかりか農業に無縁と思われるグローバル企業が、農業生産法人を設立し、植物工場などを始めている。 
 これも、企業誘致のところで見た通り、外国や東京に本社を置く企業が、地域の契約農家を組織し、生産物の加工工場をつくり、それらを販売する店舗を設置するということをやったとしても、その利益は、ことごとく東京や外国の本社に流出し、地域には一部しか循環しない。

 火発も原発も、東京・首都圏への集中・集積やグローバル企業の収益には貢献するが、地域への分配はわずか。住民が受け取る所得は非常に小さい。電力会社の本社は、東京電力は東京に、東北電力は仙台にあり、その所得はこの地域の外に出て行く。むしろ長期的には地域の衰退を促進するものでしかない。 
 これは、脱原発ということで、再生可能エネルギーを導入したとしても問題は同じだ。被災地外の企業が発電設備を運営すればその利益は地域には残らない。

 横山、渡辺両氏らには、<福島の原子力災害問題はもう終わりにして、開発政策に舵を切りたい>という意志がはっきりとあって、それを進める上で邪魔になっていた桜井市長を落とそうとして動いていた

 汚染を引き起こした加害者が、加害責任を問われていない。それどころか、彼ら自身、加害者だという自覚が全くない。

 福島が受けた原子力災害とは何だったのか。それは、中央や公共事業や大企業に依存したら、何かしらの恩恵が地方にもあるのではないかという幻想の行き着いた果てだった。それを再び繰り返すのだろうか。そうではなく、その犠牲と教訓から、破産した政策を総括し、社会や経済や政治のあり方を根本的に見直すということではないだろうか。


帰還困難区域以外は「戻る」選択には賠償追加で支援。帰還困難区域以外で「戻らない」選択には支援しない。

これは前から自分も言っていた,補償金でいち早く原町であり鹿島であれ相馬市や新地でも家を建てた人がいた,そういう人に金を支払ったらもうもどらない人なのだから復興はありえないのである。でも現実はそういう人が多かったのである。
そして浪江町の人でも南相馬市とかに「浪江町」を作るとか構想があり二本松でもあったとういがそれは無理である。そしたら南相馬市民との軋轢が生まれるからである。

そもそも復興する主体が誰なのか?

外部の人がいろいろ言ってもそこに住んでいた人のはずだがその人たち故郷を捨てているのである。その町を捨てる人に補償金を払っているのだからますます帰らない
もう自分たちはここに住む他ないとなれば覚悟ができて復興ができるかもしれない
それよりいかに荒廃した町から脱出するからが課題になってしまった
何か町を再生したいという町への故郷への思いがあまり見えないのである。
ただ離散分裂してなんとか一体になり復興しようとする気持ちが感じられないのである。
要するにこの辺でも言っていたが土地が安い時家を建てた人は賢かった
それは小高の人だったのである。
いち早く見切りをつけた人が勝ち組だったとなっている
つまり故郷の人のつながりなどは現代ではない,田舎でもない,金が支配するというとき金があったらどこに住んでもいいならそんな荒廃した町に帰る必要はないとなった
それは現代社会が広域化グローバル化したからである。
一つの土地に執着する必要はない,金さえあればいい場所にどこでも住んでいいのだという社会である。そういう社会は危難にもろく一挙にコミニュティも崩壊したのである。

自動車関連企業、成長産業である医療機器やロボット産業とは、グローバル経済に対応し、規模が大きく、成長を追求する産業だ。それらの企業は、言うまでもなく、東京に本社を置くグローバル企業、あるいは海外に拠点を置く多国籍企業だ。そして収益の最大化を目的にしている。地域で生み出した利益の大半は本社のある東京や海外に移転し、企業内に留保される。地域にはほんの一部しか循環しない。

この辺はロボットとかドローンの工場基地ができる,ではその収益はどこにゆくのか?
東京に本社があるグローバル企業にゆく,この辺の会社の社長は東京に住んでいる
地元に住んでいないのである。それで社員が駅に社長を迎えに来る
東北サッシでもそうだし友伸エンジニアでもそうである。
つまりその収益は地元に有効に回るとはならないともなる,地元に社長が住んでいればまた別である。
そもそも東電とか東北電力でもそうだというときそれは世界的傾向である

多国籍企業の力は絶大でありそれに逆らうことは不可能になっている
それは国より強力なのである。国すらどうにもならないのである。
地域に金が回らないというとき証券会社がもってきたのは地銀を通してもってきたのはこうしたロボットとか人工知能などのファンドである,だからこういう会社に投資してもうけようとすればそこに投資する
それがグローバル経済なのである。地域に金はおりないというとき矛盾しているけどこういうファンドに投資するほかないのである。地域というのこえてグローバル経済になっているということはそういうことなのである。


このことを感じたのは地銀もそうなっていたのである。東京の証券会社の人が地銀の銀行員を連れて投資信託をすすめる,そういうことができるのは地銀で地元で培った対面的な営業の信頼関係で顧客があるからだ,そうした継続として地銀は信用できるものとして地元で仕事していたのである。
それが東京の証券会社の下請けとなりその出向した証券会社の指示で動いているのであるすると証券会社の支社が地銀なのか?実質はもうそうなっているのである。
地銀はもう地元に貢献するものとしてありえなくなったから合併したり消滅すると言われるようになったのである。
ただ地銀ではつくづく金融商品が本当に少ない,そろえることができない
老人用の保険などが安全なものが作られているからだ
ここだけは田舎は不利だった,東京と田舎の差はここでは歴然としていたのである。
地銀もグローバル化して巨大証券会社の一支店のようにされる
その収入は東京に吸い上げられるともなる,そのおこぼれを地銀が受けるとかなってしまう。

宮城県では、農業への新規参入を積極的に進めている。野村ホールディングス、サイゼリア、カゴメ、IBM、GEなど、外食産業ばかりか農業に無縁と思われるグローバル企業が、農業生産法人を設立し、植物工場などを始めている

これも収入は地元にはわずかで東京にある会社に吸収される,それはイオンがそうである地元の商店街が壊滅してイオンだけが郊外に繁栄する,その収益は地元にはわずかだともなる,それが資本主義社会だとなればこういうことは世界中に起きているのである。
するとそもそもが資本主義とか反グローバルにならないと解決しえない問題である。
でもそれに対抗できるものがあるのか?
この巨大な怪物と化した大企業とかグローバル多国籍企業に対抗できるものがあるのか?
そもそもが東電の原発は何も強制的に国とか企業がおしつけたものではない

双葉とか大熊とか出稼ぎ者が多く地元で働きたいということで地元の人が積極的に誘致したものなのである。
もしその時貧乏でも別な志向が働いていれば今日のようにはなっていないのである。
そして現実に東電の原発依存の経済になっていたのである。
それで経済が成り立ってしまったからもうそれ以外のことは考えられなくなったのであるふりかえると本当は原発を誘致するときこそ地元の人が重大の判断と決断をしなければならないときだったのである。
でもほとんどそうした真剣な議論もない,将来の世代のことも考えない
ともかく金だとなり何の抵抗もなく原発は建てられたのである。
その後も原発の安全神話が作られてきた,地元で原発が危険だというと危険人物にされて住めなくすらなっていたのである。

福島が受けた原子力災害とは何だったのか。それは、中央や公共事業や大企業に依存したら、何かしらの恩恵が地方にもあるのではないかという幻想の行き着いた果てだった。

これは左でも同調する,ただではこうした大企業とかグローバル多国籍企業とかに対抗するものが地域にあるのか?
何をもって地域の経済を成り立たせるのか,漁業では金にならない,農業はだめだ,林業はだめだとなり一体何をもって地域の経済を成り立たせて復興がありえるのか?
それが問われた,何かその対抗策があれば納得するがない
そこに左系統の言い分に同調してもみんなの賛成が得られないからこそ原発でも企業の工場でも誘致されているのである。むしろ積極的に自治体が誘致しているのである。
働く場所がないからそうなる,漁業,農業,林業では成り立たない社会になっているからである。
ただそうしたグローバル多国籍企業とかの影響で今回のような悲惨なことにここがなったことは確かである。

その公共事業を受注するのが被災地外のゼネコンであれば、被災地の企業に回るお金は限られ、被災地の企業の復興は進まない。しかも、公共事業は一回限りの投資で、持続性はない。

その金をもし地元の復興に使えばもっと有効なものとなった,補償金にだってあてることができて小高とか鹿島とかが憎みあうこともなかったのである。
除染に何兆円もつぎこんでもその金はゼネコンに流れて地元に恩恵がなかったのである。

そもそも右は原発賛成である。左は反対である。そしてそれはそこで二分されてどっちかの陣営につかねばならない,それで武田邦彦氏は原発反対なのだが右であり左の人とはうまくいかないとなる,自分は心情は右である。国の文化と地域の風土とかに根ざした経済とか文化の町作りを推進する方である。
また原発は反対である。第一これだけの被害を受けて脱原発になるのがこの辺では普通である。それが自民系にはないのかとなる
それは党派の問題でもない,地域は党派越えたものがあるからだ
中央の政治の争いをもちこみにくい場でもある,だから無所属の方がいいとなる
今回の門馬氏は明かに自民公明だから保守系として出ているから渡辺氏と同じになるのか?
門馬氏の主張はアピールは何なのかわかりにくい,何が争点なのか?
脱原発になるとそれはこの辺では当たり前なのである。
そのことで勝敗が決まるのか?それも納得いかないのである。
復興の進め方なのか?そこに門馬氏と桜井市で相違があるのか?
右は自民の政権は除染は終わり帰還して普通の暮らしにもどるべきとしている
左はそうではない,除染は必要でありもっと放射能対策を継続すべきだとなる

横山、渡辺両氏らには、<福島の原子力災害問題はもう終わりにして、開発政策に舵を切りたい>という意志がはっきりとあって、それを進める上で邪魔になっていた桜井市長を落とそうとして動いていた

門馬氏は自民党だから渡辺氏とかと共通しているのか?
今回の選挙も自民と左系統の政党の争いが地方でも行われるのか?
これもどこに判断基準を置くのかむずかしい
ただ門馬氏の主張はもう一つはっきりしないから自民から出た渡辺氏の主張とダブルことがあるのかと検討したのである。





posted by 天華 at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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