2018年01月21日

外発的動機と内発的動機の相違 (芸術家だけでなく,一般の仕事でも悩むー銀行員を例に)


外発的動機と内発的動機の相違

(芸術家だけでなく,一般の仕事でも悩むー銀行員を例に)

成功する芸術家と、成功できない芸術家。その運命をわけるものは?

内発的に動機づけられた画家や彫刻家は、発見の喜びと創造へのやりがいが彼らにとっての報酬にあたり、芸術家のキャリアにつきものの困難な時期――収入がない、なかなか認められないといった苦労の多い時期――を切り抜けられる。

アメとムチの致命的な7つの欠陥】

●内発的動機づけを失わせる。
●かえって成果があがらなくなる。
●創造性を蝕(むしば)む。
●好ましい言動への意欲を失わせる。
●ごまかしや近道、倫理に反する行動を助長する。
●依存性がある。
●短絡的思考を助長する。

芸術でも賞をとることが目的になるのもあるしまた賞でもとらないと文学では社会的に認められることがない,そのため外発的動機が強く作用する
有名になりたいというのもあるし金も欲しいとなる,有名になれば金が入ってくることがあるからだ,ただその時内発的動機が失われる
賞をもらって有名になった人がその後どうなったのか?
何かその道で大成しているのはわずかだろう。

これを考えると別に芸術家の問題だけではない,社会全般の問題である。
そもそも内発的動機で仕事をしているか,内発的動機で仕事を求めているのか?
そういう人はまれなのかもしれない,知っている人で事業に失敗した人はそうした内発動機はほとんどなかった,ただ経営者になり自分が優秀だということを他人に見せたいためだけだったともなる
だから金持ち相手にもうけるんだとか言っていた,そうでなければ田舎では金にならないとか言っていた,何か事業を起すということは回りの人をまきこむものだと思った
一人ではない,その事業に共鳴する人々を作る必要があるのだ

例えは金を出さなくてもでもそうなのである。この人は社会に何をアピールして会社を起こしたのかということである。
それで「はれのひ」成人式の商売を起こしたのだ失敗した
内発動機として人生の一度の「はれのひ」を提供するものだった,ただその事業が失敗した原因は何かはわからない,でもそうして社会に対してみんなに対して共感させて商売することが会社になると必要になるのだ

例えば銀行がなぜ今問題になっているのか?
それはこれまでしてきたような銀行の役割とか使命感みたいなものが喪失した
銀行が創立された動機があった,地銀だと地域経済を発展させることをになうため会社を育てるとかあった,それがなくなり金を投資する先がなくなりどこでもうけようかとなったとき投資信託とか株を客にすすめる
そして証券会社の支社のようになり地銀の役割が喪失した

すると七つの欠陥のようなことが起きてくる

一軒一軒回る人は若い人だとそうした純粋な動機があり入ってくるがそれがなくなった銀行についていけないとやめているというのもわかる

●好ましい言動への意欲を失わせる。
●ごまかしや近道、倫理に反する行動を助長する。
●短絡的思考を助長する

とにかく手数料とるために客をせかす,過剰にもうかるどうかわからないのにいいことを言いすすめる,もうノルマもありそれに追われる,困窮している人は個人でも余裕がなくなる,投資信託でも買ったらまた売らせてその時大きな手数料が入るからそうする
でも証券会社の人自身が投資信託はもうからないと言っていたから分配金は知らずに元金からまた引かれていたのである。
つまり投資信託は何か仕組みが複雑すぎるからわからないから手数料をとるには好都合だとなる

おそらく銀行員のイメージは律儀であり硬い職業であり地域の人にとって信頼できる人だった,銀行員というと公務員という感じでもあった
それは高度成長があって成り立っていたのである。銀行にあずければ利子がつき安心だ,銀行は金を守ってくれるし利子もつけてくれるということに安心感があり銀行員も固い職業として信頼されていた,証券会社の人もいたが別に見ていたのである。
銀行に就職するにはその家のことを詳しく調査されるという,それは金を扱うから信用第一だからそうなっていた,それでこの辺で孫が銀行に就職したとか自慢していたのもわかる,地方では銀行員というとエリートになっていたのである。

投資信託を株をすすめるとなると前の固い銀行員とは違ったものになる
株や投資信託で客にもうけさせるより自分たちがいかに手数料をとるしか頭になくなる
そこにごまかしや倫理に反することも助長するのである。
短絡的にもうけることが頭に先にあり客のことはないがしろにする

そうなるのはやはり銀行がそもそも地銀であるための地域の人々に何か奉仕するというベースが動機が消失したためだともなる
地域の会社でも金を貸してもうける先がないとなればどうしてもうけるのかとなる
マイナス金利になったのも痛かった,これは政府の責任だという人もいる
銀行は遂に預金の通帳をもっいるだけで金をとるとかなる
利子はなくただ預けるだけで金がとられる時代になった
そしたら銀行の役割はなくなったとなる,それでタンス預金が増えた
銀行はただの貸し金庫になる,それで銀行も信用できないからタンス預金になる
この信用できないということは怖い,やがて銀行から金をみんな下ろしたら銀行が倒産するからである。それは信用がないし金をあずけるメリットもない損するだけだとなればそうなる,貸し金庫でもあれば銀行は銀行でなくなる

自分の失敗は大きな金をもったことがないので金がどういう作用をするのかわからなかったことである。大きな金といってもたいした金ではなかった
でも回りに困窮した人がいるとき金があればそういう人達が目の色変えて寄ってくる
金持ちが不孝になるというときそういうことかあった,金が災禍を生むのである。それ相応の金だったらいいのかもしれないが金が常に人間社会で災禍を生むのである。
自分が病気だろうが介護で苦しんでいても関係ない,弱った時がチャンスとなり金をとろうと寄ってくる,そこに金持ちの危険があり現実に家政婦二人を雇うような不動産屋が強盗に殺されたとか普通にある,そういう困窮した人達に狙われやすいのである。
それを狙っていたのが銀行だったということに気づかなかった

そういうことを知ってる人は銀行に金を預けると投資信託をなどすすめられるから預けないとう言っていた,銀行の強みは金があるということを帳簿を見て知っているからであるそして地元の家を一軒一軒回ることか信頼を築く方法だったのである。
地銀では特にそうだった,それが崩れたとき銀行の最大の財産だった信用が失われる
信用金庫とあるように信用が失われる,それで銀行には金をあづけないとまでこれからはなる,前の銀行員の固いイメージとは違ったものとなっていたのである。銀行には金をあづけられないという時銀行の役割もなくなる

人間にとって信用が一番大事なのである。信用がなくなれば商売すらできなくなる
なぜドルが信頼されるのか?紙切れじゃないかともなる,でもカンボジア紙幣などをもっていて何の価値もないのである。
その信用はどこから生まれているのか?アメリカという世界一の大国があり生まれている
でもまたアメリカが信用できないとなるとドルも紙切れにすらなりかねないのである。
信用は一旦失うと回復するのがまたむずかしい,だから地銀の信用も失うときもう地元では仕事ができなくなることもある
預金もしないとかなり倒産することさえありうる,でも切羽詰まってそうなってしまったともなる

posted by 老鶯 at 15:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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