2018年01月27日

青年に与える詩 (未来を担う若者よ(詩)


青年に与える詩

(未来を担う若者よ(詩)

若者は竹のように真っ直ぐに伸び
柔軟に風にしなりゆれて伸びる
青々と竹は空に伸びようとしている
老木はその地に深く根を張り
その土地のことを語り朽ちようとしている
様々なものが交じり生きる
子供も若者も老いも老若男女が
若者よ,素直に伸びよこの大地に
その未来を築くは若者なり
汝のすることを省みて正せ
その成すことの良しや
ただ唯々諾々と上の者に従うや
欲にまみれ世知にたけた保身者に
時に雷雲となり電光となり
この世に睥睨する者を震撼ならしめよ
若き力は未来に向かって噴出する
老人は過去を語り死んでゆく
若者はこの地の未来をにない生きる
しかしたちまち若者は老いる
若者よ,悔いなきを生きよ
汝らが未来を築く者にして
今上にあるものにあらじ
この地をいつくしめ
汝らが生きる地をいつくしめ
金のみならず誠と美のある地
今苦しくも若者は未来を担う
その苦しみはやがて喜びになるらむ

森には老木あり多様な樹の種類がある,森は杉だったら杉だけの森はなかったのである。杉林になったのは家の材料などとして使うのに良かったから杉という人工林にしたのである。
松でも海岸の松原は稲作で潮風から防ぐものだった,これも人工林だったのである。
それで津浪で根こそぎ流された,松は根を強く張らないものだったのである。
津浪には弱かったのである。竹の方が強かった
それは人工林になっていたから根こそぎ津浪で流された

森に老木がある,それもまた人間社会とにている,若い樹だけではない,老木も森にあるそしてそれは何かを語るのである。その老木も森に朽ちてゆき森に還る
人間の一生をふりかえると若いときは大事だった
ここをきりぬけないとその後もうまくいかない,つまり若いときはその後の人生の方向を決めてしまうからである。
人生は長いといったけ実は30までで人生は決まってしまう
仕事している人でも20代で身につかなければ仕事をできる人にならないというのもわかるそれからチャンスなど何度でも人生が長いから来ると思っているが実際は一回だとなる
一回のチャンスで人生が決まる

だから青春時代をどう生きるかで人生は決まるともなる,その後の人生は余祿みたくなってしまう。
ただ一方で若いとのエネルギーは無益に消耗しやすいのである。
ありあまるエネルギーがあってもそれが欲望も大きくなるからそれに費やされてしまう。そのうちエネルギーが消失してしまうのである。
まず若い内に宗教だったら求道しなければあとはできない,老人になって求道はできないその時はすでに時遅しになっている

その時大事なことは不純な動機をもたないことである。若い内は一途に求める
それもそこに打算とかそうしたものがない,まっしぐらに突き進む
確かにそこは汚れた場でもそうした真っ直ぐな心をもっていれば汚されない
つまり人間は動機が大事なのである。宗教になれば特にそうである。

この世は暗黒の世界である。それは今だけではない,常にそうだったのである。
この世は変わらないというとき人間は変わらないからである。
確かに技術的に進歩したとしても人間そのものは変わっていない,だからこそ諺が未だに生きていることでもわかる,金の切れ目が縁の切れ目というとき全く今と変わりないからである。進歩したからといって人間の欲が消えるわけではない,それで電子空間でも犯罪が起きてくる,技術が進歩しても戦争はなくならなかった,弱肉強食の世界は変わらなかったのである。

若いときどうせ世の中とはこんなものだと悪に染まっても平気になることである。
銀行員でも何か投資信託などをすすめるのが客にとっていいものなのか?
そういう疑問をもつ,それはいろんな場でそういう疑問をもつ
カルト教団などに入ってもこれが宗教なのか?そういう疑問は若いとき必ずもつ
でもそんなものだと悪があっても正さないし染まってゆく
そうなるともうそこで人生は曲がり曲がった方向に向かってゆく
そこで時間はたちまち過ぎてすぐに老人になって後悔するだけだとなる

まず人間で一番無駄にしているのは時間である。時間などいくらでもあると思ったがたちまちなくなる,何してもなくなる,後は死だけが残されるとなる
もし老人の視点からふりかえれば時間を無駄にしなければ何者かになっていたなとみんな思う,時間の使い方が悪かったから何も意義あるものを残せなかったとなる
何か研究するにしてもそうである。時間がなくて成果があげられないで終わる
みんな金,金,金だけど時間をの大切を感じている人は少ないのである。
そして過ぎ去った時間は取り戻せないのである。

これからは日本は苦しい立場になる,それにしても人間はその時代時代を生きるのでありそれは宿命である。戦争の時代は若くても死ぬほかなかった
江戸時代は江戸時代を生きた,貧乏でもその時代を生きた
戦争が終わり高度成長時代の団塊の世代は恵まれたと言われるのも時代なのである。
この辺が津浪や原発事故で苦難を強いられたのも時代だったとなる
それをになってこれからの人は生きる他ないのである。
ただそれがすべて悪い方向に行くかどうかはわからないのである。
なぜならこれからの若い人が地域を国を担い生きるからである。
その若い人たちが作ってゆくものだからである。
今は苦しくてもその苦しみを担うことで未来が開けるかもしれない
それで原発事故で町や村から避難した人達でもそこに残った若者はそういう苦難を強いられてもそこで踏ん張れば未来を作るものとなるかもしれない
それができるのも若い者であり老人にはできないのである。
老人は昔を語るだけだとなるがそれも後の者に教訓を残してゆく
そういう繰り返しが人生であり歴史だったともなる

タグ:青春時代
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