中国の春の旅(2)(俳句連作ー蘇州)
春の日に船入りゆく大河かな
六和塔大河を望み白木蓮
春の日に鉄橋火車行く六和塔
菜の花や一望千里船の行く
菜の花や船に泊まりて一夜明く
長大な中華の河や春の星
広々と大陸開け草萌ゆる
(蘇州)
奇岩の庭塔傾きて春の暮
物売りの老人あわれ蘇州かな
春の日や蘇州を巡る舟あまた
春の日蘇州に古りぬ橋あまた
春の日や河と海と船栄かな
城壁を歩み柳の芽吹くかな
城壁の長しや柳船着場
春愁や中華の美女の艶なりき
興亡や千の城壁春の乱
天馬駆け中国に来る春の夢
大海に船の尽きじや春の夢
海濁り長江尽きて船のいず
中国は広くていろいろあるけどやはり蘇州がいい,海と大河と湖とか自然もあるからだ,北京は何かそれと比べると見るものがなかった
中国に海から船で行くと海が濁ったとき中国に来たとわかる、海まで濁るのが中国の大河なのである。
中国は広大な大陸であり歴史の国である。まず歴史でも地理の感覚がわからないと理解できない,その地理が日本とスケールが違いすぎるからその出発点で理解しがたいものとなる
中国だと歴史が長いから人がいたとしてもそれは繰り返し何度もそこにいたとなる
つまりどこでも人が住まなかった所はなく人の匂いがあり人によって自然もある
アメリカ大陸のようにもう人もいなかった荒野の感覚はないのである。
大陸というとき六和塔とかは見物である。巨大な河口があり鉄橋を火車がわたる光景が絶景だとなる
そういう風景は日本では見れない,日本では河口といっても狭いから船の出入りがない
イギリスでは島国でもテムズ河口は広いからそこが港となり海外に航海に出たのである。港のスケールが日本とは違っているのだ
隅田川がにているが河口でも大陸のように広くないのである。
いづれくにろ外国とか歴史を理解するにはまずその地を踏まない限り理解できない
本で読んでも地図を見てもわからないのである。
そこに世界を理解するむずかしさがある
第一俳句というと極めて日本的なものである。島国に適したものとして最短の詩が生まれたのである。だからとても大陸となると俳句では表現しようがないのである。
ただ中国を旅して高い大きな山を見なかった,そういう場に行かなかったのが残念である自分が行ったときはすでに十五六年前であり中国は貧乏な時だった
汽車には家畜のように流民が積み込まれていたから一般庶民と一緒には乗れない時だった本当に乗客は笞で打たれていた。
それが信じられないのは新幹線のようなものも走っているし十数年くらいで中国は日本の高度成長になったのである。
だから本当に人間社会は外国でも変わりやすいからその対応に失敗するのだと思う
地銀など地元で信用されていたがそれも潰れるとかなるから変化が激しいのである
十年一昔というのは実感である
十年たったら本当に昔になる,介護とか自分の病気に追われて十年たったときこれも一昔になったのである。そこでエネルギーは消失して旅もする気力がなくなったのである。
津浪と原発事故でこの辺りは激変した,荒波にもまれてもう十年はすぎた
その間に家族もみんな死んだりとか激変した
だからあの時海外旅行して良かったなとつくづく思う
つまり退職したらやりたいことをやるとしても計画してもできないことになる
常に一身上でも激変に見舞われる,それでエネルギーが消失するのである。
中国とは漢詩を通じて文化的に深い交流があるし俳句だって漢詩が基になっている
だからそういう文化の点では中国に親しみを感じる
ただ中国の歴史と文化とかを理解するのは日本人にとってむずかしい
その地理的感覚が理解できないのである。
あのようなとてつもないでかい国に住んでいたらどんな気持ちになるのか?
それは日本にいてはまず理解不可能だからである。