2018年02月07日

時代時代の苦しみを人は負う (70年周期で時代が大きく変わる)


時代時代の苦しみを人は負う

(70年周期で時代が大きく変わる)

時代が変わる時人は苦しみ負う
江戸時代には飢饉の苦しみを負う
越中などの移民が苦労して働く
明治になると侍の世は終わり
北海道に開拓に入る農民となり
いろいろな職につく
慣れない職につく
侍は苦しみを負った
戦前は貧乏で苦しむ
女性は紡績工場で過酷な労働に苦しむ
戦争の時は戦争の苦しみを負った
多くの人が戦場で苦しみ死んだ
戦争が終わり引揚者は
不便な所に開墾に入った
その苦しみを負った
団塊の世代でも中卒で集団就職
その人たちは苦しみを負った
常に時代の苦しみを負い
時代が変わると苦しみを負わされる
それが人間の歴史だ
それぞれの時代を生きるのは宿命
今また大きく時代が変わる
原発事故で避難して苦しみを負う
人は生きる限り苦しみを負う
時代時代の苦しみを負う
そうして積み重ねられたのが歴史
国々の歴史も苦しみの歴史
今の時代は苦しみつ作られてきた
人間は苦しみから逃れることができない
時代時代に苦しみがある
苦しみを逃れる者は後の世に残す物がない
苦しみによって作られてきたものだから
それが尊いのだ
楽した親を金持ちの親を直接子供は世話しない
金で他人が世話する老人ホームにあづける
苦労した親を見ていたら世話する
苦労して育てたから親がありがたいと・・・
そこに育てられた価値が生まれる
苦しみを負うことによって価値は生まれる
ただ血のつながりの父母は父母ではない
苦しみつつ作られたものを残したもの
それが父母であり先祖となる
苦しみが人間を作り歴史を作る
だから苦しみから逃れてはいけない
そうすると後世に残す物がない
そういう人は先祖として尊ばれないだろう
苦しむ者よ,その人は尊い
苦しみ耐える者が後の世を作る

相馬藩だと越中からなどの移民があり飢饉から立ち直れた,その時越中などの移民は相当に苦しんだ,土地でもいい土地は与えられなかったのである。それで加賀泣きとかが伝えられている,この土地で新参者として苦しんだのである。
その苦しみと涙があって相馬藩は飢饉で三分の一に人口が減ったが立ち直ったのである。そしてこの地の先祖となったのである。

時代が自然にそれぞれの時代があるのか?時代は例えば明治時代だと外からの圧力で開国して明治維新になったがそれも自然と生まれた時代ではない
そこで時代を作った人達がいた,それはその時代を生きた若者だったのである。
そうした混乱と変革の時代を生きて命を落した人達がいる,でもそういう人達が新しい時代を作ったのである,その人たちは時代の犠牲だったとなる
江戸時代から明治時代に変わる時産みの苦しみがあって犠牲になった

明治になったとき侍は特権を失った,それで北海道に開墾に入った,伊達藩などでも侍が一体となり伊達町を築いたのである。そこに苦労があったがその時苦しみ時代を築いたのである。つまり時代は自然と生まれるのではない,人の苦労によって作られるのである。
ともかく歴史を見れば必ず時代の苦しみがある,戦国時代なら戦争の苦しみがあったし太平洋戦争でも戦争の苦しみがあった,常に時代の苦しみがある
でもその苦しみ故に新しい時代が作られる,時代は自然発生的に生まれていないのである時代はその時々時代に生きる人達が作り上げたものなのである。
戦後の引揚者もまたいたるところにいて不便な所に入り苦労したのである。
そういう場所が本当にいたるところにある,この辺では津島とかでもそうだし飯館村でもそうだし鹿島の小池にも引揚者が働く場がなくて開墾に入ったのである。
戦後そういう苦しみを負ったのである。

団塊の世代は評判悪い,楽した世代だというとき評判が悪いのはそのためなのである。
何か苦しんで作り出したものがない,楽した世代だと常に言われるからである。
そういう時代に生まれたのもまた時代だったとなる

いづれにしろこれから生きる人はどうなるのか?
資本主義が終わるとか銀行がなくなるとか激変の時代になる
でもこれからの時代もまたこれから生きる人々が作るのである
時代は自然に生まれるのではない,次に生きるものが作り上げるのである。
それが人間の歴史でありただ何もしないで新しい時代は生まれないのである。
確かに団塊の世代は楽だった,これからは激変して日本は苦しくなる
それぞれの場でも苦しくなる,苦しみを背負うことになる
それは次の時代を作るための苦しみだとなる
そういうことは歴史で常にあったからである。

歴史は決められたものではない,ふりかえれば歴史は固定化している,過去をふりかえればそうなる,でも歴史は固定していない,未来は固定していない,絶えず作り上げられるものとしてあるから固定していない,次代が未来がわからないのは過去と違って固定していないからである,それと今から生きる人達が作り上げるものだから固定しないしわからないのである。

津浪や原発事故でもそうである,この辺は苦しみを背負わされたのである。
ただそれを担うのを嫌い故郷は捨てられたともなる
そこには確かにもう住みたくないというのはわかる
でも何かそういう苦しみの場であってもやはりそれを担うことがあれば未来が開かれるかもしれない,もうただ故郷を捨てて他で住めばいいとなった
でもそこで苦しみを背負い生きればやはり未来が開かれるかもしれない
そういうことは過去にも歴史としてあったしそれが歴史だったからである。
そして故郷の未来はなくなったともなる
子供がいないとか若い人がいないということ自体がすでにその地域の未来がくなっているのだ,老人だけではもう死ぬだけであり何もできないからである。

ただ未来という時,それはこの世だけではない,来世こそ未来なのである
そこに神の約束された理想世界がある,その未来こそ本当の未来である。
だから若い時に求道してその未来を確信することが大事なのである。
その未来なくしてこの世をいくら変えようとしても絶望になるのである。
未来は神によって約束されている,そういう確信のもとに生きない限りこの世を克服できない,結局絶望挫折に終わる

未来はどこにあるのか?例えばカルト教団にいるような人はもう未来がないしすでにこの世の悪に染まったような人も未来はない,でもこの世がそうした悪に満ちているとき悪に染まる,やがてそれを感じなくなる,これはおかしいのじゃないかと思ってもそういう場で惰性でいたりして悪に染まってゆく
その時決然としてそういう場から離脱することが必要になる
そうしないとそこで未来はないとなる
若い時にそうした方向が決まるから大事だとなる
ただここの事情は違ってくる,同じ事情の人はいない,だから人の真似をしてもだめである。境遇とかがみんな違っているからその運命も違ってくるのである。
そういう時,お前は楽だったといえば楽だったがまたそれも宿命だったのである。
その楽があって自分は体力がなのにこれまで生きてこられた,そうでなかった死んでいたのである。過酷な生活を強いられて死んだ人が過去に多いからである。
その楽なことから自分の病気とか介護で苦しんだことを書いてきたのである。
人間は楽に終わることはないのである。どこかで苦しむようになっている
それが人生なのである。金持ちの家に生まれたとしても一生楽に終わることはないのである

いづれにしろ明治維新から太平洋戦争から戦後70年で大きく時代が変わる
津浪原発はそういう時代の変革の時に起きたのである。
そしてこれから若い人は相当に苦しむ,日本の経済は衰退してゆく,もう東南アジアであれ中国であれ物価もさほど変わらなくなっている
中国など10数年前とまるで変わってしまった,物価が10倍差があったが今は日本とさほど変わらないのである。タイでも富裕層がいて日本人より金持ちの人が多くなっているのだ日本人の底辺層の人達の方が貧乏になっている時代なのである。
これも時代であり逃れようがない,そして時代の産みの苦しみを担わされるのである。

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