2018年02月18日

北海道短歌十首(2)(見直される猪狩満直などの詩人)


北海道短歌十首(2)(見直される猪狩満直などの詩人)


北海道原始のままに飾らずにますぐに太く立ちにし樹かな

高きより滝の落ち来る新緑の巌に映えて層雲峡かも

自由なる旅人一人北海道の郭公の声かなたにひびけり

北海道大地の広くその空に郭公の声ひびきわたれり

底までも澄みにけるかな山上湖原始のままにけがれなきかな

北海道流れの清く蕗の薹芽吹きけるかなその数多しも

アイヌの顔彫りの深しも哀しかなその民滅び和人となりぬ

きれぎれのアイヌの言葉残りしも継ぐ人なくて絶えにるかな

ここにしもアイヌの民の物語深くも尋ぬ人は少なし

ラベンダーの中に揚羽舞い来たりひそみ長くまた飛びたちぬ

ラベンダーの紫つつむ富良野かな鉄路の長くまた旅たちぬ

大いなる挫折にありや大鳥の半ばとびたち墜ちにけるかも



北海道は十回くらい行っている,これだけ旅するには勤めていてはできない
自転車でも何回も行っているからだ,だから北海道はほとんど回っている
一番長い旅は苫小牧から宗谷岬をめぐり稚内に行った時だった
その時六月で稚内に桜が咲いていたのである。

その時はまた郭公がどこまでもひびいていた,その声がひびきわたる大地の広さがいいのである。
北海道の良さはまだ全体的に原始性を残していることなのである。
原始的な清純な自然に触れることなのである。
それは本州とかなるとそこには確かに自然があっても全体としてはどこもないのである。北海道は全体として原始性が残されている,それが魅力なのである。

アイヌも住んでいたからそこに物語も残されているから深く尋ねれば興味深いものとなるただアイヌ語はもう死んだ言葉だし不明となっている
それでも彫り深い顔だちの人がいてその人はアイヌの末裔なのかと見る
その顔はもしかしたら西洋的というか何かそっち系統の顔なのかもしれない
縄文人とつながっているのかどうかは不明である。
言葉の痕跡として動詞が主語によって変化するとかあり英語などに通じるものがある
アイヌ民族の謎は未だに解明されていないのである。
アイヌが存在したということ,それも歴史だったということを日本史の中に記されるべきなことは確かである。

北海道の開墾に入り猪狩満直は挫折した,でもその人を考えるとそれが大いなる挫折だったということである。
その挫折には意味があったなと思う,啄木も挫折したがまた猪狩満直などは違う
啄木は注目されているが猪狩満直などは詩人としては注目されていない
三野混沌などもそうである。
その当時は農業中心の社会でありみんな農業で生活をたてるほかなかった
それは戦後の戦争の引揚者の時代までつづいたのである。
だから戦後の引揚者が入った場所がいたるところにある
この辺でも山には必ずそうした引揚者が入って開墾した場がある
それは全国的に仕事がないからそういう場に入ったのである。
北海道でも農業中心の社会ではそうなったのである。
だからそういう時代だったとなる,時代の犠牲になったともなる
戦争で犠牲になったのと同じである。

ただ挫折したからといって今考えるとそれが無意味だったとはならない
それは大いなる挫折だったのである。北海道の大地に挑み挫折した
それは大いなる挫折でありその残したものが何なのか考察する必要がある
挫折しても大いなる挫折でありそこに未来に残すものがあった

そのことはこの辺で原発事故で前にも書いたがみんな原発にかかわる人が本当にこの辺では多かった,南相馬市でもそうである。この人も原発にかかわったのかと新たにまた知った,それだけ原発の影響はこの辺で大きかったのである。
飯館村の人も原発で働いていた,川内村は近いから三分の一が原発で働いていたのであるそれで実際は村が成り立っていたのである。飯館村はそれほどではなかった
だから一番福島県で低所得だったのである。

そして小高に住んでいた人が子供のとき親から農業だけがするなと殴られたという
それだけ農業は過酷だったから経験でそう子供に言ったのである。
その子供は原発と建築関係で渡り働いたのである。
その原発があったことが事故後は仇となり生活そのものを見直す結果ともなった
でも事故後も補償金でもめたりただ補償金だけが頼りとなり分裂したのである。
水俣でも公害があっても分裂したのは補償金のためだったと書いてある
だから三野混沌とか猪狩満直などの農民詩人が見直したのである。
その人たちの後世に残したメッセージは何だったのかとなる
それは大いなる挫折であり後世にメッセージを残したことに気づいたのである。
それは宮沢賢治でもそうである。農業は過酷でありそこに戦ったのが挫折したのである。その挫折した歴史に教訓があったとなる

ともかく北海道に十回も行ったし北海道にひかれる、だからもう北海道は第二の故郷だともなる,外国旅行しても何か原始の自然に触れることはなかなかできない
やはり歴史とか文化を都市中心に見るからである。
ただネバールには驚いた,犀がいたというのも驚きである,象でジャングルに入り観光する,つまりなぜネバールにジャングルがあるのか驚きだった
あそこには原始的自然がある,人間も高地を裸足で歩いていたのである。
ボールペンをくれというときそこにはそういうものも売っていないのである。
だから原始的な生活があり自然がありヒマラヤの高峰を望む所に生活しているのも驚きである。
そこで現実に生活するとなると過酷だとなる,それは北海道とにているのである。
中国の帰りの船で一緒になった若い人はモンゴルで羊を飼うことを習うために一年間くらい一緒に暮らしたという
冬になると一間回り痩せるという,それは冬の生活がそれだけ厳しいためなのである。
その人は北海道で羊を飼って生活をしている,羊を飼うことを広めたいと言っていた
農業大学出身だった,その人がNHKのテレビでドキュメントして放送していたのである。
その後はどうなったかわからない,でも恋人が一緒に船にいてその後結婚して子供も何人かいて生活が苦しいとテレビで訴えていた

何か自分は東京が大学時代いたけど嫌になった,それから自然志向で北海道に旅したのである。
だから自分は北海道のような所で死にたいとまでなる,東京のような都会で死ぬのも無惨である。北海道のような所に死んだら本望だ気持ちいいとかなる
つまり生きたい場所が死にたい場所なのである。東京などに生きたくないということは死にたくもないということなのである。
ただ自分の場合は遊びだったから猪狩満直のように呪いにはならない,ただ旅した思い出だけだとなる,それで思い出す旅をしているのである。






タグ:北海道短歌
posted by 老鶯 at 11:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 北海道(俳句-短歌-詩)
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