2018年02月28日

最上川、日本海沿いの旅情の秋の短歌連作


最上川、日本海沿いの旅情の秋の短歌連作




最上川流るる水に春日かな

松江にて茶町とあわれ秋柳


石の橋かかりてあわれ遠きかな左沢(あてらさわ)の町春の灯ともりぬ

最上川流れくねりて滔々と春日輝き写りけるかな


最上川流れくねりて滔々と流れゆくかな春の日写りぬ

虫の音や旅人の影ここにあれはるか流るる最上川かな

幽遠に白糸の滝下る川紅葉に映えて夕べ淋しも

最上川船着場かな大石田実り豊かに昔栄いぬ

最上川下りて酒田や秋のくれ栄し昔しのび泊まりぬ

酒田なれ灯ともりあわれ旅の宿木の灯台や秋の夕暮

佐渡島遠くもあわれ岩あらわ雨に打たるる野菊の花かな

波の音の心にしみぬ古き岩月のいでにつあわれ深まる

月まるく海にい出にき夕日没る湊々のもの寂びあわれ

船とまる小さき漁港日本海家々あわれ秋の陽没りぬ

佐渡島遠くもあわれ岩あらわ雨に打たるる野菊の花かな

佐渡島流される人の跡とあれ枯野に海やあわれ深まる

船泊まる小さき漁港日本海家々あわれ秋の陽没りぬ

旅人の遠く来たりぬ秋の雨山越え暮れぬ関所をあとに

旅人のいづこさまよふ山越えて関所のあれや秋の夕ぐれ

隠岐の島ここより遠き松江かな我は行かじも秋の夕ぐれ

旅終えて我が影なおもさまようや今宵いづこに泊まる宿かな

陽炎のゆらめく中に山頭火埃の道を歩む影見ゆ

松江と常夜塔

また最近旅をふりかえる,印象に残るのはやはり自転車で旅したことである。電車で旅したさともありそれも思い出してこの短歌連作になった
思い出す旅も不思議なのである。
この思い出す旅をするにはやはり歩くとか自転車とかでないとできない
電車の旅ではできない,峠を越えたとか何かそうした体に記憶できないのである。
風でも雨でも感じないとまず旅にはならないからだ,車は風でも雨でも自然をシャットアウトするから旅にならないのである。
だから現代から旅は消えたし旅人もいないのである。
旅人が存在したのは山頭火までだったのである。

最上川は水量が日本で一番豊かだろう,だから船運があった,日本ではあれだけの水が豊かに流れている川はない,必ず浅瀬になり船でゆくことはむずかしい
でも最上川でもそういう場所があり船を曳くところがありそれを仕事にしていた村があった,最上川で気持ちがいいのはあれだけの水が流れていることなのである。
中国でもヨーロッパでも大河があり船の運行があったし今でもある
日本にはあっても短い距離である,最上川は長い距離だから日本ではそういう川はほとんどないのである。

最上川から日本海に出る,日本海は太平洋側とは全然違った趣になる
海から太陽が出て海に沈むからまるで変わった感覚になる

初めに生んだのが淡路島、
次に生んだのが四国、
三番目に生んだのが隠岐。
そして九州、壱岐、対馬、佐渡と生み、
ついに本州を生みました。
この八つの島を大八島国といいます

なぜ島がこれほど入っているのか?隠岐も入り佐渡島も入っている,ということ海人族が日本本土に島伝いに渡ってきたことを示唆している
佐渡島まで入っているのは日本海は航海しやすいからである。日本海側の歴史が古いのである。そうでなければこれだけの島を神話に記さないだろう。
本州が一番最後に生んだというのもそうである。

いづれにしろ旅をふりかえると不思議である。何かまださまよっている感覚になる
それだけ旅をしたということもある,記憶に残るのは自転車の旅だった
さまよっている感覚になるというときやはりそれは歩くか自転車の旅である
電車の旅ではさまよっているとはならないからである。
そして記憶が定かでないからそのさまよった場所があいまいとなるのである。

現代はいろいろなものを得たのだが旅はなくなり旅人はいない
それで皮肉なのは今ほど旅をしている時代はないとなっている
でもその旅は観光旅行とかグルメ旅行とかなっていて本当の旅ではない
旅人はいないのである。時々確かに国道を歩いて旅している人がいても
それが外から見て旅人に見えないのである
その姿は車の喧騒に消されて旅人は旅人でありえないのである。
江戸時代は庶民でも普通に旅人にもなっていたのである。
それは歩いていたから自ずと旅人となっていたのである。

ともかくずいぶん自分も旅したけどそれも10年間はしていない,つまり旅は終わったともなる,それだけの気力もなくなったとなる
でも自分の人生をふりかえると旅だったともなる
仕事もしていないし残ったのは旅の記憶だとなる

人生というものは60以降になり必ずふりかえりその人生が何であったのかわかる
会社に一生勤めた人はそれが人生だったのである。
それが何であれそうである。だからもう一度病気になった人は仲間と一緒に働きたいと思ったのはわかる,その人は倉庫係とかで働いていたのである。
たから常々に言っているけど何であれそれが外から見た無益であれ無駄であれ何に時間を費やしたかが人生だったとなる
人生も最後になればただ記憶をたどることが生きることにもなるからだ
そして最後に人間は最も印象に残ったことを記憶を語りつづける
戦争を経験した人は認知症になって千回もそのことを語りつづけた
それで嫌になったがそれが人生で一番印象に残っていたからそうなったのである。

あしなたは最後に何を語るのか?

その語ったことが人生だったともなる

陽炎のゆらめく中に山頭火埃の道を歩む影見ゆ

山頭火は最後の旅人だった,あそこまで旅できるエネルギーがあったことは驚きである。旅に憑かれた人だったのである。ただ作品的には俳句でも深いものがない
その時々のものを簡単に俳句にしたという感じである。
でもあれだけの旅をした旅人であった最後の人だったとなる
芭蕉は旅を深い哲学的な人生論にまで昇華した,それと比べると山頭火はそうはなっていないが最後の旅人だったのてある。なぜならまだ歩いて旅していたからである。

ある時社会の光景から消えてゆくものがある,江戸時代から明治時代になったときそうである。鉄道ができればどうしても歩く旅自体が消えてゆく,でも明治から戦前までは歩いて旅していた人が結構いる,文人でもいる
戦後はその旅人が消えたのである。車時代になったらもう旅人である余地もなくなったのである。
観光旅行している人は無数にいる,でも旅人ではない,旅人はいないのである。
バイクでも車でも旅していてもその人たちが旅人には見えないのである。
何か通過してゆく物体ののように見えてしまうのである。
だから一見文明化して便利になったとしても実際はいろいろな今まであったものを失っているのである。
それは人間として生きることをつまらなくしているのである。
旅人など無用のものでありそんなものいなくてもいいともいえる
でも何かそれが社会でも人間としてつまらないものにしている
ただ現代で旅しようとする時,かなりの演出をしなければならない,労力もかかるのである。江戸時代なら歩いているのだから何も演出しなくても旅していたのである。

ふりかえると自分は以前として旅していて全国をさまよっているという感覚になる
でも十年とか二十年とか三十年とか過ぎる記憶も定かでなくなっくる
でも何かまださまよい旅しているのである。
人間は様々な場所に住んでいる,旅をしてその様々な場所を思い出す
左沢(あてらさわ)というのは印象に残っている
あの石の橋とか何か遠い場所に思えた,それが記憶の中に浮かんでくる
山形県ではあそこが印象に残っている、あそこには電車で行ったのである。
そこは秋ではなく春だったのである。
でも前に書いていたからその記録から記憶をたどる旅をしているのである。


東北-新潟県(旅の思い出)
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