津浪は人間が自然を改造し破壊したことが原因
(自然に悪意はない)
津浪の被害はあまりにも大きかった,それでどう解釈していいかわからなかった
それで自然でも海でも天でも被害にあった人は呪ったのである。
でも自然には悪意があるだろうか?
悪意というとき人間にのみ悪意がありこの悪意が一番怖いのである。
投資関係でも投資自体は公平だとしても悪意をもって接触してくる人は危険である。
投資でだまされやすいのは投資の世界がわからないからである。
悪意というとき自分たちだけもうければいいという考えの人も実は危険だった
それが銀行にも今はなっていたのは経営的に追い詰められていたからそうなった
人間は借金でもなんでも追い詰められると危険になる
自然に悪意がないというときそのことこそ自然と人間の一番の相違である。
石や花でも木でも動物でも本来は悪意はない,蛇などは嫌だとなるが何か全般的に悪意をもっていない,だからこそその無垢なる状態に感嘆する
人間社会は虚偽の世界であり常に偽りの中に生きている,嘘つかない人がいないことでもわかる
その自然がどうして人間社会に対して悪意をもって災害を起すのか?
自然災害が起きるのはなぜなのか?
ノアの洪水とか確かにあったけどそこに神の意志が働いていたとなる,だから自然に神の意志が働くことはある,聖書は神の意志が働いた記録である。
だからモーゼが海を割ったとか太陽が止まったとかいろいろある
自然をも左右するのが神だとなればそうなる
ただその後は自然と神はきりはなされ科学的に自然を見るようになった
なぜ自然災害が起きるのか?それは自然を人間が改造して破壊して住んだことに根本的な原因があった
今回の津浪で甚大な被害あった所は自然を無視して住んだ場所である。
本来住むべきではない所が甚大な被害にあった
石巻は被害が大きかったけどあそこは家が密集していたのである。
だからこんなに海に近くてこんなに家が密集しているのは不自然だなと見ていた
そこが根こそぎ津浪で破壊されたのである。
そもそもなぜ海側にこれほど家が密集したのか?その原因は便利だからである。
漁業するに便利だから海側に人家が集中した
磯部などでもあんなに家が集中してそこが根こそぎ失われた
でも高台がありそこは無傷だったのである
あれを見れば高台に住んでいれば助かったのにとつくづく思う
でもそこは不便な場所なのである。
日本は国土が狭いから海側に開拓して米作りをした,その田んぼにしたところが津浪の被害があった
そして縄文時代の海が再現したのには驚いた
どこでも縄文時代に海だったところは海になったのである。
要するに自然が元の自然にもどったのである。
つまり人間はもともと海だった所を開拓して住むようになった
もしそういうことをしなかったら自然災害があったとしてもこんな甚大な被害にはあっていない
江戸の安政地震で被害にあったのは埋め立てて作った深川とかが死者が多かった
そこは海であった所を埋め立てて住んだから地盤が悪いし液状化が起きたとも推測している
人間は文明が発達するに連れて自然にそって住んでいない,不自然に住んでいる
東京という大都会を見ればわかる,そういうところで大地震が起きれば当然大被害になる神戸でもそうである。大都会とかは自然にそって作られていない
異常な密集状態になり不自然なのである。
だからこそ大きな自然災害があると被害が大きくなる
それは自然が悪意をもって人間を苦しめるために災害が起きているのではない
文明とは自然を改造して破壊した結果として自然災害が起きている
例えば極端になるが家が二階になると危険が増す,それよりもし弥生時代のような掘っ建て小屋のようなものにに住んでいれば地震が来ても壊れてもまたすぐ建てられるともなる
倒れるものがないから安全だともなる
つまり家すら文明が発達すると高度なものになり便利なものになるが危険も増していたのである。都市は便利なものとして人間が作り出したものである。
でも人間が密集して住めば便利なのだけど危険にもなる
人間はまず便利なものを追及する,それが自然災害には弱いものとして危険なものになっていたのである。
大都会は地震か自然災害で甚大な被害を出すのは自然ではない不自然に人間が便利さのために密集して住んでいるからなのである。
自然が別に悪意をもって人間を苦しめるために災害を起こしているのではない
人間がそもそも災害を作りだすものを便利さを追及して作り出していたのである。
それは原発だってそうである。科学技術は便利さを追及してきたからである。
でもその結果として自然災害に弱い社会が生まれたのである。
不思議なのは四倉とかでも前は広く砂浜がある場所は被害があったが大きな被害にはならなかった,あそこだって海に面しているから相当な被害になり街ごと消失するようにもなっていた,でも街全体がなくなるようなことはなかった
それは前に広い砂浜がありそこが緩衝地帯になっていたためである。
それは自然な状態がそこに残されていたからである。
砂浜もなく直接海に面していた磐城の漁港などは豊間などは被害が大きかったのである。九十九里浜でもあういう緩衝地帯があると津浪を弱めるのである。
文明が発達するとそうした緩衝地帯は海側になくなり漁港が便利さのために作られそこに人が密集して住んだ結果被害が甚大なものとなった
文明とは便利さを追及することである。その便利さが人間に仇にあだ)になるということがあった
便利さを追及することが誰も悪いものとは思わないからこそこれだけ便利な社会になったでもその便利さは自然に逆らうもの改造して破壊するものとして働くものでもあったことを津浪で思い知らされたのである。
なぜなら縄文時代のような一番不便な生活をしていたなら被害も最小限にくい止められたからである。海であったところに縄文人は住んでいないからである。
新地の山から手を伸ばして貝を食べていたという手長の巨人伝説でも貝塚が高台にあり高台で縄文人は生活していた,海側にあんなに接近して住んでいなかったのである。
江戸幕府以前の江戸
現在の皇居の 富士見櫓 のある場所に作られました。 道灌は、この櫓から富士山や海の素晴らし眺望を楽しんでいたのです。 道灌が精勝軒で詠んだつぎのような句があります。
わが庵は 松原つづき 海近く 富士の高嶺を 軒端にぞ見る
これは実際の景色を詠んでいたのである。江戸というのはベネチアのように美しい街だったのである。江戸なら今の東京と違い住んでみたいとなる
江戸城の前まで海だったというときそれだけでも景色が良かったことがイメージできる
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