銀行の役割の喪失
(地方で安定した就職先がなくなるのも問題)
銀行はなになのか?これも歴史が古いから人間生活にとってはなくてはならないものとしてありつづけた
銀行は江戸時代だったら金貸しであり質屋である,りょうがいなのどもそうである。
地銀は江戸時代の頼母子講などからはじまったとある
金を出し合って相互扶助の助け合う講だった
銀行は必ずしも銀行として独立していない時があった
絹織物でもうかった家がその中に銀行を開いていた
銀行は何かでもうけて金がたまると資本となりそれで銀行にもなっていた
銀行というと何かむずかしいけど実は金持ちは自ずと資本家になり金貸しになりそれが大きくなると銀行になる
金持ちになるど必ず金を貸してくれという人が来るからである。
ただそれを組織化したものだから頼母子講などから発展したとなる
だから銀行が金を貸さないでどうする,必要なくなるとまで政府から言われた
銀行は金貸しなのである。それが金を貸してもうける先がなくなっている
バブル時期に銀行でも金を貸さない銀行が生き残ったとかあり金を貸すことにその時期から慎重になるようになった
日本はバブルから20年成長しないし停滞した
その時銀行も金を貸すことしなくなった,貸し渋りとかなった
でも日銀に国債をあずけて利子をもらっているとかでやりくりしていた
それがマイナス金利になったとき追い詰められていたのである。
銀行は地方の就職先ではエリートだった,それは公務員と同じように見られていたのである。まず地方では田舎では公務員とか銀行とか農協とかが有力な就職先でありその他あまりないのである。
そこが安定している,それで地方の有力者の就職先になっていたという。
それで融資先もあったとかいう。そうしたコネで就職できたということがある。
それで孫が銀行に就職したということで自慢している人もいた
銀行はそれだけ信用がないと就職できない所だったのである。
地方の問題は就職先が限られていることである。田舎に住んでみるとわかるが田舎では資産がないと住みにくいのである。土地と家があり何代も同じ土地で住んでいる人が多い
だから田舎では家がないとか賃貸の住宅に住んでいると貧乏な人だとなる
ある人は4000円で部屋が三つある一軒家に住んでいる
これは都会と比べると贅沢だなと見た
ただ田舎ではそうした所に住んでいる人は貧乏だとなる
それで仮設がこの辺でできたとき狭い所に住んでいる窮屈さを知ればいいという人がいた
田舎で安定的に暮らせるのは土地と家があり恒産がある人である。
農家中心の生活のときは土地をもっている人だったのである。
だから小作となると不安定になる,貧乏になる
自分の家は最初は貧乏だった,戦後はみなんそうだったがその時農家の方が食料でも恵まれていた,なぜなら納豆まで作っていたし鶏も飼っていたから食べ物は町で暮らしているより良かったのである。
その後経済成長になり店をはじめて繁盛した,その時どこでも小さな工場でも繁盛した
何か小規模の事業をはじめても成功した人が多いのである。
それは経済成長の時代だったからである。その時銀行も貸す先があり利子をとれたから預金に利子が7パーセントにもなっていたのである。
それだけの収益を銀行は金を貸して出していたのである。
今になると夢のような世界だったとなる
正直田舎で暮らすには恒産があって恒心ありとなる,だからある程度の財産かないと余裕があって生活できないのである。
土地と家があり金融資産もありとかならないと余裕ある生活ができない
だからかえって田舎では貧乏になるとみじめになる,そして目立つのである。
そして田舎の安定した就職先が公務員と銀行と農協だったのである。
自分の家族の一人も公務員だったから知っている,公務員は何かと得するのである。
公務員などたいした仕事していないのに高給取りだと常に批判している若い人がいるのもわかる
ただ田舎で公務員とか銀行とか農協とかの勤め口がないと安定して暮らせない
田舎で安定して暮らせることのメリットは精神的に安定するから自然と融合する生活ができる,そこにcultivate(耕す)ことでcultureが生まれる
自分はそういうことをしてきたのである。
別にそういう場所に就職したのではないが家に余裕があるからできたのである。
地方は田舎は今はいろいろなことで窮地に追い込まれている
そういう中で地銀とかがなくなると就職先がないとういことで田舎に定着できないとういことも起きてくる,それも問題なのである。
そうはいっても社会に必要でないものを養う余力はもう日本にはないのである。
田舎で地方でそうした安定した就職先がないと若い人は都会に東京にでてゆく
だから知っている人の息子は40代なのに東京に出た,建築関係の仕事がなくなったからである。
自分が学問とか芸術とか追及できたのは安定した家があり家族がいたからだとつくづく思う,そうでなければ田舎では暮らせないからである。
ただ我ながらこんな生活をできたものだとふりかえる
今はめずらしくないけど高度成長時代となると団塊の世代ではこんな暮らしをした人は極少数である。それは社会からはずれたアウトサイダーだったのである。
いづれにひろ銀行がこんな窮地にあるとは思わなかった
銀行についてはyoutubeでいろいろ語られていたのである。
ともかく自分は介護になって親が家族が死んで大変な目にあった
その時自分も病気でもあったが一切同情はなく金だけを要求されて大金も失った
それが銀行までに投資信託とかで金をとられのかということは田舎が地方の経済が窮迫しているためであった
直接そういう人達に接しなければ今まではしていないからわからないだけだったのである生活に困る人,事業に失敗した人,飲食業に勤めて賃金をもらえなかった人,または勝者金融から金を借りていた人とかそういう金に窮している人たちが家にきた
その人たちは自分を襲ってきたとも言える
地方は田舎は経済的にこれからもさらにおいつめられてゆく,この辺では原発事故の援助が金銭的にされるのはあと三年しかない,その後は自治体の運営でも苦しくなる
例えば小高でも帰ったのはほとんど老人であり人手不足で介護施設が運営できない
そこに市立病院を運営するにも市の財政負担になる
でも小高ではそれを要求している,そのことは南相馬市全体の問題なのである。
だからこそ小高の人は自立してやってくれとなるがそれを言うとまた反発される
補償金のことでもめたからである。
でも銀行が必要なくなるようにそれを維持したくてもできない,財政的にできない
すると切り捨てるほかなくなる,そんな余裕がなくなってくるからだ
少子高齢化や日本の経済の衰退とかで田舎は地方は窮地に追い込まれる
だから高度成長時代こそ自分のような今で言うフリーターであれニートなどでも
もっといても良かったのである。
その時はみんながむしゃに働いた,企業戦士となっていたのである。
その人達が団塊の世代の人達が退職して今度はその人たちが社会の負担にお荷物となってしまったのである。
キレル老人とかでもそうであり財政的負担も大きすぎるのである。
病院に通う老人も多い,医療や保険や生活保護の負担が増えるばかりなのである。
田舎で安定的に生活するのは生活保護になるほかないとまでなっているのだ
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