2018年03月11日

帰還しない原発避難者 (老人だけが取り残される)


帰還しない原発避難者

(老人だけが取り残される)

なぜ原発避難者が帰還しないのか?それにはいろいろ理由がある
7年過ぎた結果移った先で家建てたり子供も7年過ぎたらその移った先で別な暮らしになった,故郷のことを知らないという子供すらでてきている
津浪のことを知らない子供すらいる
それから放射能が怖いということもある
放射能は実際はどういう危険があるのかわからないものだからである。
もし心配すればきりなくなる,なぜなら遺伝子にどういう影響与えるのかもわからないからである。何世代も見ていないとわからないとしたら長く時間がかかる
それよりそんな長い時間を生きている人は考慮できないのである。

とにかく家を外に建てた人は帰らない,家建てた人は多いのである。
浪江の人でも老夫婦でも原町に家を建てたとか聞いた
そういう人も帰らないのである。
帰った人でも小高で30パーセント帰ったとなると多いがその中味はほとんど老人なのである。
それで困っているのが病院と老人ホームで介護士などで働く人がいないということであるそれはどこでもそうだが老人ホームが人手がなくて運営できないのである。
それは若い世代が流出したからなのである。
でもおばあちゃんとかおじいちゃんとかが住んでいる
すると家族として町を考えるとそういう若い世代が世話するのが責任がある
でもこの際,姑と一緒に暮らすのが嫌だから外に出たという話も聞くのである
そして取り残されたの老人だったとなる
そうした老人の町が成り立つのか?それでもう町は存続できないとみている人が70パーセントとかいるのもわかる
少子高齢化の影響とかが極端なものとしてこの辺では影響している

それはここだけではない,宮城県でも岩手県でも被害にあった人達は65歳以上の高齢者が多いのである。津浪の被害で死んだ人達も高齢者が多いなというときもともと65歳以上の人達が住んで多かったからそうなったのである。
若い人は少ないというときそれだけ少子高齢化であり地方は農業でも漁業でも跡継ぎがいないとやめる人が多かったのである。
大原の農家の人はそうだった,5町の田んぼをもっていても一人で農業していて息子は跡を継がない,公務員になっていて街内に住んでいたからである。
そして今は空家となっている
漁業の場合は事故前から原発の補償金をもらっていたからそれで生活も成り立っていた
事故後も補償金がもらえるから生活には困らないのである。
そうでなければ農業のように廃業する人が多くなっていた

それはここだけではない女川でも原発再稼働してくれとなっている
それだけ原発頼りの町になっているからである。漁業では暮らしていけないからそうなる
また復興できないというとき時代も影響している
復興というときそのレベルが高いのである。病院も必要だ,買い物のためにのスーパーも必要だ,介護施設も必要だ,・・・今まであったものが当然あるべきだとなるからだ
戦後の焼け野原から復興したとき何もない,でも若い人が戦地から帰ってきた不便な所に開墾に入った,そういう所で苦労した人はそこに特別の愛着があるというのもわかる
本当にそうして開墾に入った場所が多いのである。
その時なぜそういう過酷でもそこで生活したかというとそれしか方法がない,職がない
もともと戦争で生きる死ぬかを経験して来た人達だから苦労をいとわないということがあった
今は違う,生活レベルが高く設定されている,元のような町でなければ用意しなければ帰還しないとなっている
そこで自分たちは一からやり直すようなことはしないのである。
それなら外で便利な場所がいくらでもあるのだから移った方がいいとなる
老人はその土地に長く住んだから愛着があるから帰りたいとか帰っているのである。

何かこの問題は津浪でも原発事故があったからというよりその前にそういう問題をかかえていた、それが津浪原発で致命的になったともなる
限界集落とか少子高齢化とかがすでにありそれに津浪原発事故が拍車をかけた
そして立ち直れなくなったともなる
そしてこの辺では補償金をもらった結果,それが頼りになりもっと死ぬまで補償してくれともなる,現実に特別国民年金では足りないからと小高の人達は要求した
それより老人が多いけど補償金を打ち切られれば生活保護にしてくれとなる
そういうことを要求しやすいのである。
それは宮城県でも岩手県でも所得の低い人達とか国から援助されて金を借りたが返せないからその期限を延期してほしいというのも同じである。
それは事業している人達でも利益を上げられないから借りた金を返せないとなっているのと同じである。

それで今までの発想を変えてコンパクトタウン化する縮小経済になる,その規模に見合ったものにして再建を計るというのもわかる
今までのような規模でも経済を維持することは不可能だからである。
それは少子高齢化ではそういうことが全国的に言われた
それがまたどういうものか明確にはわからない、ただ今までのような市町村は維持できなくなる,だから発想を変える必要が生まれているのである。
今までと同じような市町村の復興はありえないということである。

ただ女川でも新しい街並みを作ったが商売にならない,地元の人達ではなく外から来た人を相手にしているとかなり原発再稼働してくれとなっているからいかにいくら発想を変えて新しい街作りしてもうまくいかないこともあるなと思った
つくづくそれだけ復興が困難なのである。
それは日本という国自体が衰退の方向に向かっていてそれも津浪や原発事故で拍車をかけたともなる
でも何かしら希望がある,その希望とは何なのか?
その希望があればそこにみんなで向かっていける
では戦後の焼け野原のときみんなどんな希望をもっていたのか?
不便な地域に開墾した人達も希望があって入ってきた,そしてそこで暮らしが成り立ったということもある,その後高度成長時代になり日本は世界に誇る経済大国になるという希望があったとなる,それは一時的なものとしてもあった
そういう時代を生きたのが団塊の世代だったともなる

ともかく後三年で国からの援助も切れるとなるとさらに厳しいものになる
外部からの工事関係者もいなくなる,今も減少しているのである。
飲食関係でも外部から来た人を相手にしていたところが多くなっていたからである。
それで仙台からユニットバスの会社がこの辺まで仕事を求めてきていたのである。
それは百万だから安かった,普通は二百万する仕事だったのである。
知っている人の40代の息子も除染していたが東京に仕事を求め帰らないという

こうして何か避難区域に残されたのは老人だけというがそうでないところも老人だけが増えてくるのである。
東京辺りから帰って移り住む人も増えているがその人達も老人なのである。
この問題はここだけではない少子高齢化の影響は全国的だからである。
だから市町村のダウンサイズ化,縮小化,コンパクト化を考える
またそうせざるをえなくなる,そうしないとインフラとか百倍もかかるとかなるからだ
そういう限界集落的な所はもう維持できない,それも税金になるので都会からそんなところに税金を使うなとなるからである。
自分としてはそうした地域の中の小さな地域でも人の暮らしがあり継続されてきたからあるべきだとなる,双葉町でも地区ごとに神楽がありその面が違っていたということでもわかるそういう狭い地域でも文化があり歴史が継続されてきたからである。
コンパクトタウンとかなるとそうした地域の中の地域性も失われるから多様性が失われるから文化的な面ではいいものではないのである。
ただ経済効率を考慮するとどうしてもコンパクト縮小化の街作りになってしまうのである




posted by 老鶯 at 11:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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