2018年03月21日

ボランティアと正規の仕事の相違 (金をもらえば義務と責任が生まれる)


ボランティアと正規の仕事の相違

(金をもらえば義務と責任が生まれる)


ボランティアしてみてわかったことはボランティアには義務とか責任がないことである。それが課せられていない,では一般の仕事はどうかとなると必ず義務と責任が課せられている,自転車屋でも安全に自転車に乗るようにして買うものに与えたり修理したりする
鉄道でもそうである。安全に時刻通りに走らせることに対して義務と責任が生じている
医者でもなんでも仕事は金をもらうしそこに義務と責任が生じる
金をもらうということは義務と責任が生じることなのである。

ではボランティアというとその義務と責任がない,時刻表を駅に置いたとしてなぜJRでは断ったのかというとその時刻表について文句が言われる,責任をおしつけられるからである。
そういうことがあるのかとわかった,確かに時間が間違ってたりすると駅に置いたのだからJRの責任が問われることにもなる,つまり苦情が来るとなる
たから駅に置くものはJRの許可がないと置けないルールになっている
でもパンフレットの類が責任はJRにはないのである。
それは観光案内でありその連絡は発行した商工会などにある
でも相馬市のレストラン案内のパンフレットも撤去されていたのである。
JRの許可がないと置けないということを知らなかったのである。

ボランティアの問題は何か?それは社会にも法的にも守られないし認められていないことである。
自分がしたことは誰も認めなかった,ただ道案内したときありがとうとか言われたからそのことで感謝されたから役に立ったとはなっている
でもこれをJRとか地元の人でも認めていない,ただありがとうと言ってくれたのだからそれが役に立つものとして認めたのである。
そういうことを言われたことがないので気分良くしたということは確かである。
JRでは駅でボランティアしようが一言も言わない,こいつうるさいなとかしか見ていないのである。それは他の人にもそう言っているからである。

ともかくボランティアの問題は義務と責任がないことである。
別に金をもらっていないのだから適当でいいし何かをしなければならないという義務もない,仕事だと定時に出勤しなければならないがボランティアは適当なのである。
金ももらっていないのだから真剣にやる必要もないし義務も責任もないのである。
そこにボランティアが認められない問題があったことに気づいた

まずどんな仕事でも義務と責任がある,それは金をもらい金を動かしているからである。銀行が投資信託をすすめるのはいい,でもその説明もあやふやでありもともと仕組みがむずかしくてわからない,それをいいことに手数料とる商売にはいいとなる
でも金を扱うということ顧客から金をあづかりそれを運用するとなると責任が生まれる
ただ株とか投資信託でも市場の相場に左右されるからどうにもならなといえばそれまでである
結局自己責任だとなる,知らないからあづけたのでありお前が悪いで結局は終わる
それは自己責任だから銀行にまかせたものが悪いのであり銀行は悪いとはならない
責任は全部自分になるとなっている

そうなるとするとよほど慎重にしなければならない,事前の知識も必要である。
経験者にも聞いたりといろいす調べてからしないといけない
なぜなら銀行にまかせたらまかせた方が悪いとなるからだ
だからそうして何も知らないでまかせる方が悪いとなるのだから慎重にすべきだとなる
一方で銀行で投資信託がどういうものかしっていて客にすすめる
そこにもやはり責任が生じていたのである。
なぜならわざわざ株をやりたいとか投資信託したいと銀行までゆく人はまれだからであるそうして一軒一軒回ってすすめることはやはり責任がともなっているのである。
そんなにもうかるものなのですか?銀行自体で投資信託をしていないとういことも聞いているからである。そういうものを客にすすめるのは詐欺的だとなるからだ

金とは何か?金から一秒も離れられない社会である。
たとえ仕事しなくても金をもつということはすでにそこに責任を課せられている
百万もてば百万の責任が課せられ、一千万もてば一千万の責任が課せられている
別に遺産としてもらったからどう使うとも勝手だとはならない
そうしている人もいるが社会から良くは思われないのである。
金とは社会的責任なのである。だからその社会的責任を果たせる者なら金をもってもいいとなる
そうでないものは日々の生活にかかるものはいいとしてもそれ以上の金をもたせるべきでないともなる
社会的責任として仕事があり金があるからだ

だから地区の協議会で地区の振興するというとき市から金をもらったら義務と責任が生じる,何をしたとか何に使ったとか報告する必要もあるし成果も出す必要がある
そうしないとしたらその金は市から出るとしても市民の税金とか国の金も使っていることになるからだ
国の金というときそれは国民の税金なのである。
それで生活保護はうるさくなるのである。

金とはなにか?義務と責任をもたされるのが金である。
だから途方もない金を資本主義の中でもうけたのもはそれだけの義務と責任が課せられているのだ,それをただ私益に贅沢に使うことは本来できないのである。
だから石の貨幣があるとしてそんな大きな石は流通もしないの貨幣だった
その貨幣は威信とかと関係していた,社会的威信として石の貨幣があった
別に流通しないがその石の貨幣をもっていることでその人は社会的威信をもつことができたのである。金だけが社会にとって価値あるものとはならない
その社会の中で何か認められるものがあればその人は価値ある人となる
現代はただ金をどれだけとるかもっているかで評価されるが社会的評価はそれだけではない,ただ金は具体的に人に義務と責任を課すのである。
それを果たせないとすると金は与えられないし与えるべきではないのである。

だからボランティアがいかにも人助けでいいようでもそこに問題があった
ボランティアなど義務も責任もない適当なものだ
だから重要な仕事はまかせられないとかなる
また仕事している人からすると鉄道会社でも義務と責任を課せられているから邪魔だとまでなってしまうのである。
それは自分が経験したことである。
仕事とは何かとなればいろいろあっても義務と責任が課せられたものである。
それは金をもらう報酬をもらうということでそうなっている
ただボランティアが何も与えられないかというとありがとうと言われることが報酬であるでもそれは仕事としてではない,JRの職員だったら給料をもらっているから義務と責任がありそれでクレームが言われるのが嫌だとなり駅に時刻表を置かせなかったのである

まず人間は仕事しないと社会のことはわからない,それで自分は社会性がなく社会のことがわからないとなる,こういうことは実際に仕事にたずさわらないとわからないからである
まず学問だけではわからない,現実の社会の場で実感しないとわからないのである。
ただ別に仕事しなくても義務と責任が社会に対してある。
それは国家に対しても自治体に対してもあるし家族に対してもある
日本国民であること国籍をもつことはすでに日本国に対して義務と責任がありパスポートでも付与されているのである。
ただ国家というと大きいから意識しにくい,でも戦争のときのように命までささげなければならなくなるときもある,その時国家の義務と責任を痛切に感じさせられるのである。
人間は義務と責任から逃れられない存在である。親と子でもお互いにすでに義務と責任がある,結婚でも義務と責任がある,金をもらえば責任が生まれる
でもその金でもいい金と悪い金がある,でも金をもらえば義務と責任がやはり生じる
金をもらったから義務があり責任があるからと悪いことでもしなくてはならなくる
報道関係とかなると大会社から宣伝費をもらうからそのスポンサーの悪口は言えない
そうして原発の「安全神話」は作られてきたからである。
金をもらうにしてもそれによって義務と責任がおしつけられるのである。
そういうことも世の中に多い,金でもなんでもいい面と悪い面に働くのが人間社会なのである。

だから別に金をもらわないから適当でもいいとはならない,出版とかになるとそこにいろいろな圧力がかかる,出版社は売れるものを書けとかなり自由な発言が規制される
ネットだと無料だから自由にみんな発言しているのである。
それは金がかからないからである。金がかかれば逆に今度はその金を払った人達,会社でも義務と責任が生まれる
だから無料だからといって義務と責任がないとはいえない
ただボランティアに関しては金をもらわないのだから適当にやっていればいいとなる
責任は問われないとなるからだ,でも報道関係でネットでも適当にフェクニュースでも流していればいいとはならない,報道するものの責任があるともなる
第一報道しているとしても自分の場合はボランティアでありネットで金をもらっている人は本当に少ないのである。そこにも問題があるが現実はそうなっている
ただ宣伝が全然なされていないかというとグーグルとかでネットでしているしネットが盛んになればグーグルがもうかるようになっているのである。


posted by 老鶯 at 08:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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