2018年03月23日

大きな時代の変わり目 (銀行であれ大きな会社であれつぶれてゆく時代)


大きな時代の変わり目

(銀行であれ大きな会社であれつぶれてゆく時代)

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文藝春秋(4月号)

時代が変わるとき今までの規制のものが崩壊してゆく
その象徴が銀行だった,銀行などつぶれない安定したものだと思っていた
地方で銀行と公務員と農協職員はエリートであり安定の象徴だったのである。
そういうものが不安定になるということは時代が大きく変化しているからである。

紙幣を金を流通させることは手間がかかりそこに膨大な費用がかかる
それをスマートホンとかで決裁すれば電子情報として金が流通する
すると手間も費用も大幅に削減される
つまり紙幣と金貨は過去のものとなってしまう
そういう時代にすでになりつつあるし中国では実現している
紙幣を使うことは前時代的になる
それも大きな変化であり銀行が無用化する大きな原因である。

自分はスマホは使っていない,そこで遅れるということはある
60代以降はスマホを使わない人が多い
そこに世代間の格差が生まれる
スマホが紙幣の金の代わりになるときスマホをもたないと買い物もできなくなる
中国ではすでに小さな商店でもスマホが紙幣の代わりになっている

銀行にはただ預金だけが増えてその資本を貯えてもそれを活かすことができない
利子もつけられない,ただ金だけが貯えられてもそこで富が産み出せない
それでどうするのかとなり投資信託などを顧客にすすめる
それは銀行にとっては手数料を稼げるものだが顧客にとってはもうからないものである
なぜなら手数料は確実にとれるが客がもうからないものだからである。
そういうものを投資のことを知らない老人にすすめている
でももうからない事がわかれば銀行を信用しなくなる
銀行から客も離れてゆく,自分も銀行の見方が変わったからである。

銀行が窮地にたたされているのは大きな時代の変化のためである。
技術革新があり社会の変化のためである。
金融というときそれが情報時代に最も情報化しやすいものだった
銀行は情報産業だったのである。
一面そうだからこそ情報化しやすいからこそ情報社会で無用化されるようになったのである。

時代の変革期には今まであったものが消失して新しいものが生まれる
その時必ず痛みが生じる,それを今銀行が負っている
大規模なリストラとか合併とか投資信託とか株への移行とか起きている
それは一時的なしのぎのようにもなっている
銀行が生き延びるのはどういうものになるのか見えないのである。

銀行は本当に店舗がありそこに人員を配置して対面的信頼関係を地元で築いてきた,
それが機能したのは高度成長時代だったのである。
それから銀行は貸し渋りとか企業に一般の預金する人にも利子がつかないのでただの貸し金庫のようになってしまったのである。
その放題な金融資産も活かせない,かえって預金してもらうと困るともなって金をあづければ事務費をもらうとまでなってしまった
そして預金がある人は目をつけられ詐欺的な投資信託をすすめられるのである。

もう銀行というシステム自体崩壊しつつある,デジタル化情報化社会に適応できないのである。店舗型経営というとき通販とかもあって書店が消えるように物として管理するものは機能しなくなる,本は情報でありこれも電子化しやすいし例えは絵画とか音楽でも映画でも情報化しやすいのである。
だから別にこれは電子化しても問題ないのである。
ただ対面的なものとして人間しかできないことは残る,AI化しても人間にしかできないことがある
それは愛情とかいたわりとかやさしさとか何か機械ではAIではできないことである。
医者とか看護師とか介護とかにはそういうものが求められるがAIではロボットではできないのである。
物理的な移動とか物をもちあげるとか機械でできるものは機械化されるがどうしても機械化ロボット化AI化できないものがありそれが人間的な労働となり価値を産むようになる

銀行は何か金を扱うのだが数量化しやすいし数値化情報化しやすい,電子化しやすいのである。仕事の性質が何か電子化しやすいものだった,だから情報化デジタル化電子化の技術の変化を一番受けているともなる
株式でも何か電子化しやすいのである。もう人間だけではとてもグローバルした株式市場とか情報化社会のデーターを処理できないのである。

これからの銀行はどうあるべきなのか?
そう考えている余裕もなく時代が進行している,否応なく銀行は時代の変化によって淘汰されてゆく
そういう変化にあることを自分も知らないから銀行で投資信託などすすめられてのったのが失敗だったとなる

一番不要になるのは預金、為替などのテラー業務。 
いわゆる一般職のおねーちゃん達。 
銀行でも渉外や融資管理、債権回収などはむしろ人手不足なんだわ 
銀行総論ではこれから人手余剰だけど、内部では人員足りない部門が厳然としてある 
おねーちゃん達に今更そのへんを教育、再配置する時間がない 
県二番手以下の零細地銀とかは会社丸ごと不要、淘汰だけど

銀行員として本当に相手の人格や事業可能性を見て金貸ししていたならまだしも 
日本の銀行員なんて土地しか見てこなかったからな

銀行は本業だめだから手数料が高い保険とか投信の販売で 
稼ごうとしているが、そんなの証券会社の猿真似でしかない。 
証券会社で以前問題視された投信の回転売買を今頃真似して儲けようとするとかアホの極み。 
銀行としての本来の業務を正常化させないと株が取り扱えない劣化証券会社に成り下がる。

早々に口座解約しようかな 
この人たちは身を切るってことを知らないのかな 
自分たちの給与ボーナスは維持して 
しわ寄せを客に押し付けるつもりか? 
利息もほとんどつかないし
公務員よりも害悪じゃないか

銀行は今まで特別楽だったのである。公務員と変わりなかった,マイナス金利になり金が国から入ってこなくなり窮地にたたされている
やはり楽しすぎると後で人間は苦しいことがやってくる
それは自分もそうだった,社会的に訓練していれば苦しい目にあっていればこうはならなかった
楽しすぎることは後で必ず苦労するのである,銀行は国から資金が出てつぶれなかったりと公務員並だったからである。
なにかこの世で安定しているものがないのかもしれない
津浪や原発事故でも公務員は今生き残るために四苦八苦している
もうやめたいというのもわかる,住民がいない町が成り立つのかとなる
銀行はどう生き残ってゆくのか,そこには相当な痛みが生まれる
その痛みを負わされたのが投資信託をすすめられて損した客でもあった自分にも負わされたのである。だから銀行は何なのだと身内のことのように考えるようになったのである。

タグ:銀行の危機
posted by 天華 at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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