老人は消費能力が減退する
(景気が良くならないのはそのためもある)
何かこれまで消費してきたしてきたことの延長として老人もある
これまでしてきたことを継続してする
新しいことをはじめるのはむずかしい
それで登山したなとリュックを通販で買った,ところが登山する力がなくなった
自転車でまた遠く行こうかと思いいい長距離用の電動自転車を買おうかと思ったが
それも体力的に無理になったとか,旅行するからスマホとタブレットをもってプログで報告しようとか考えた
だけどそれもめんどうになった,金銭的問題ではない,手間だなと思うようになった
旅行するのもめんどうになった,なんか外人が多くて落ち着かないなホテルはとれるのかなとかなる
それはすでに介護十年で旅はしていないこともあった,何か気力が失われた
これをしてきたから何かしようとして買おうとしてもそれが消費できない,何か活用できないのである。それは金の問題ではない,消費するというとただ金を無駄にするというのではなく何か買っても金を使うにしても活用できないのである。
何かそれが年取ることなのかと思った
それで今度買ったのが近間を回る電動自転車だった
今の大きいのと重いからである。現実に自分は近間を回っているだけだからである。
それで昨日いいロードに乗っている若い女性をコンビニでみかけた
それはアメリカ製でspecilaizedという会社であり相当にいいものだった
カーボン制だから軽い,カーボンになると相当に高くなる,8キロだという
自転車は軽いのがいいのである。
その人は靴もペダルから離れない競走用のものを使っていた
目を防備するために眼鏡をかけていた,それは目が悪いからではない
だから本格的なのである。
そして坂がきついから自分は電動自転車にしたというと
私は坂を上るのが好きなんです
本当にロードに乗る人はそういうことで乗っている,若い人ならそうである。
その女性は二十代である、その人は近くに住んでいる女性だった
ただここに前から住んでいる人には見えない,なぜならこの辺は外から入って来た人が多くなっているからだ
ただ前にも相馬市の人がフランス製のロードに乗っていた,そんな外国製の自転車を買えるのかと思った,ここでの一軒の自転車屋では外国製は買えないからだ
この女性を見ればわかるようにろうしたいい自転車にのり坂でも上ることをかえって自転車に乗る醍醐味にしている
一方自分は若いときでも40代から自転車をはじめたが坂が嫌で嫌でしょうがなかった
だから歩いて上っていたのである。
つまり消費する活用するというとき物を買ってもできないなと思うようになった
なにかレジャーでもそれは一見遊びのようでも消費する活用するエネルギーがないとできないのである。
それで老人は消費能力がないことに気づいたのである
消費するというとき知っている人はしっょちゅう病院通いでありそういうことに一番消費されているのである。医療関係とか介護関係に老人は消費している
ではレジャーとかに暇と時間があればしているのかとなるとしている人もいるが老人が消費するのはどっちかというと定着的であり動的なものには消費しない傾向がある
意外と老人は食にはこだわる,自分は今まで食にはこだわらない,腹を満たせばいいとかなっていた,それより三色用意されていたから何を食べるかなど考えたことはない
一人でなんでもするようになって何を食べるか選択するようになり考えるようになった
でも簡単にすませるのがいいと最近は野菜でも多くて時間がたち腐らすので冷凍食品がいいと今になり気づいた,要するに一人は何を料理するのかではない,何を買うかがいろいろありわからないのである。
冷凍食品は簡単にするには便利だと今になってきづいたのである。
老人はいろいろでも比較的あまり動かない,家にいる時間が長くなる
すると家が住みやすいように環境を整えるということになる
内装とかにこる人もいるだろう
庭作りとか近くで畑で野菜を作るとかに励むのが向いている
家庭菜園などもそうである。そういう方面でも老人の消費するものは変わるなと思った
あとはテレビでも時代劇が面白いなと良く見ている
BSで今度は桃太郎とか毎日やっている,この前は暖簾分けとかいろいろ江戸時代のことを放送している,江戸時代のことをもっと知りたいと自分は思っている
長屋があるとしてそこではプライバシーがないのだが家族のようにもなっていた
部屋を空けるにしても他の人が見ているから心配ないのである。
長屋が家族のようになっていた,それは仮設暮らしがみんなひどいと思う人がいたがそこでは長屋のようになって毎日顔合わせて親しくなって女性の人は楽しいと言っていたのである。補償金ももらえるし悪いものではなかったのである。
手に入らない大金を手にした人も多いのである。
思うに現代と江戸時代を対比するとき,江戸時代にも隠居文化みたいのが盛んになった
盆栽とか花を楽しむとかあった,それは共通している,これだけ高齢化社会になると新しい隠居文化が生まれるかもしれない,パークゴルフなどはそうである。
ただ江戸時代と現代は違うからでは隠居文化とはなにになるのか?
プログでその人の人生経験を語るとかもそうかもしれない,老人は今何か語る場がないからである。会社人間から地域人間になりえないというより地域のコミニュティなど存在しなくなったからである。
何か自分と書くことは得意である。だから対話もなく延々と自分の興味あること経験したことを書いているのである。
もう一つは抽象画が新しく開発した分野である,これも本当に不思議だなと思う
これはまさに新しい芸術だなと我ながら思う,なぜなら膨大な写真とか絵がインターネット上に無限にある,するとそれを変化させることも無限にある
その写真や絵があるからこそ変化させるのも無限だとなる不思議である。
現代はとにかく写真の時代でありデジタル化して膨大な写真が簡単に見れるようになり撮れるようになった時代である。それはやはり一つの時代を象徴している
写真や絵が言葉以上に情報化した時代だとなる
とにかく何かを売ろうとするとき老人向きなものが売れることはある
電動自転車が売れているのは老人向きということもある
時代劇をもともと好む人がいたが老人向きでもある,それより江戸時代は隠居文化があったように江戸時代を知ることは何か心を豊かにするのである。
だから長屋で暮らしていたとかその当時の暮らしを知りたいとなる
それもそんなところでどうして暮らしていたのかと不思議になる
人生百年を生きるとしたら何かそういうふうに老人の消費というものがどうなるか知らなければ売れないともなる
若者向きだった消費でも老人向きの消費となると会社でもあまり考えていないからである。
隠居のつとめ
隠居文化というとき武家の文化人のことだとここでは書いている
そういう人達はもともとそういう素養がありだからこそ隠居文化を自然と作り上げた
町人とかでも農民でも急に文化人にはなれない,武家でもそういう人達は屋敷で使用人を雇っていたのである。
だから隠居文化もそうして金銭的にも余裕がないとできない
ただ現代は老人も貧困者が多いが恵まれている人もいる
そういう中から何か隠居文化のようなものが生まれる可能性はある
ただ浪費されるういこともある,何か文化の時代になっていることは確かなのである。
物質的繁栄の後には文化の時代になる
そもそも情報化時代とは文化の時代であり物質だけを追及するものではないからである。
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