2018年03月27日

春霞(故郷の春の俳句十句)


春霞(故郷の春の俳句十句)

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老木に紅梅映えて農家かな

春うらら孫と畑や里の山

春の日や畑を前に語りあう

春光の川面にきらめき朝の里

春の川流れのはやし子供の声

鳥飛びて流れのはやし草萌ゆる

鳥とまり川面光りて芽吹きかな

川の岸子供あそぶや猫柳

山脈のつづきて遠く春霞

春霞家々離れ隠されぬ


今日は春霞だった,湿り気がでてきて霞になる,のどかな日だった,あそこの老木は記念物に指定されるような木である。紅梅が映えているのもいい
老木は何か田舎的なのである。

孫と畑を耕やしている,それはのどかな風景である。でもその近くの知っている人の畑には延々と問題が起きている,それでその負担を自分がさせられている
今度は小屋に置いた道具が盗まれたとまた負担させられる,今月だけで額も大きい
金だけが費やされるのが現実なのである。
畑を趣味でしていたらかえって相当な金がかかってしまうのである。

流れが早い,そこに鳥が飛び,子供の遊ぶ声がする,それが何かめずらしいともなる
第一今は子供も川で遊んでいないし見かけないからだ
見かけるのは老人だけなのである。
避難区域にった小高とかでも30パーセントが帰っても老人がほとんどなのである。
そういう街になると異常だともなる
老木があって紅梅があって犬ふぐりとかたんぽぽとか花が咲く
それは人間でも子供から老人と世代でも平均して住んでいるのが調和しているのである。老木ばかりだったらそういう世界は自然にもないのである。

故郷とはこうしてやはりこういう景色がある所である。四季があるところである。
季節の変化がありそれで感じるものがある
真野川の岸辺は散歩するのには一番いい場所である。
そういう場所は田舎ではどこでもある,原町だって大きくても新田川がある
ただ相馬市の宇多川は細い,川でも何かもうひとつものたりないのである。
新田川はそれなりに浅瀬でも瀬音がして気持ちいい川なのである。
浪江では川が二つあるからもっといいのである。
あそこの岸にも桜が咲く,それで人がそこに住んでいないのは悲しいとなる

つまり人が住んでいないとなるとそこはどうなるのか?
自然も死んでしまうともなる,人が住んでいて自然も映える,人が住んで生活する中に自然も息づくということがある
それが人が住んでいないとなると何か自然でも空洞のようになる
孫と畑を耕しているのをみればわかる,その時自然と人間は調和しているのである。





タグ:春霞 春の川
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