風についての考察
(自然や風を感じなくなった現代人,文明人)
北風の吹くとき山を思いしも東風(こち)吹くときに海を思いぬ
山側の方まで東風が吹いてきたときは春を感じる,この辺では東風は海を意識する
でも阿武隈高原を越えると中通りになるがそこで東風が吹いている
でもその東風に海を意識するかとなるとしにくい
回りが山に囲まれているからだ
でも川俣の峠を越えた辺りでもビュビュー東風が吹いていた
これは福島市まで吹いて原発事故で放射性物質を運んで意識させられたのである。
まず福島市は盆地であり海を意識できない
この風は春になると吹く,3月11日にこの風が吹いたから不運だったのである。
つまりいくら科学時代でも技術が発達しても人間は自然の影響から逃れられないのである津波自体が自然にとっては定期的に起こるものなのである。
ただそのことを忘れていただけなのである。
おそらく科学技術が発達したことで人間は自然のことを実感として知らなくなったこともある
風の影響を受けずに船でも車でも飛行機でも動くからである。
山があればトンネルをほるし自然が障害にならないのである。
そこで自然に無感覚になる,人工的空間で生きることになる
そこに思わぬ落とし穴が待っているのである。
風土というとき風のことである。風が土地によって違ってくる
海側だと海から吹いてくる風が東風があり海を意識するが山だと意識しにくい
菅原道真の歌「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花、主(あるじ)なしとて春を忘るな」
京都は盆地であるが東風が吹いたとき春を意識した,東山がありそこは海を意識するよりは朝日が上る方向として意識された,海は意識されないのである。
風を一番意識するのは船を操る漁師だったというのは当然である。風の影響をもろに受けるからである。それでいろいろな土地の風の名前が生まれた
伊勢で カウヤマ 吉田で ナライ
尾張 北ブキや いつも吹く
同じ風でも土地によって呼び名が違ってくる、カウヤマとは小山であり神山と柳田国男はしている,山から吹いてくる風としてとらいている,ナライとはナラスであり平地から吹いてくる風としての意識なのか?
お伊勢さがるは北のよの西よ,こちゃいなさはもどりの風
桑名四日市から神宮に参る海路は,北の様,すなわち北によった西風を帆に受けて大湊か神社(かみやひろ)の諸港に向かい、帰路は帰路は東風かイナサ風によったのである。
イナサは東南風でありそれは太平洋沿岸伝いに同じ呼び名だというのもやはり海洋民族として言葉を伝えた,それは同じ風が吹くからである。
日本海の風はまた違っているから別な呼び名になっている
ともかく船は風の影響が大きい,風を知らないと航海できないから風について敏感になる
風吹きて進まぬ自転車いづこかな我が旅路を思い出すかな
自転車は風に弱い,すすまなかなる,電動自転車だと風にも強い,その時は電動自転車はなかった、それで峠とか風には苦しんだのである。
今でも風吹くと自転車は出れなくなる
あいが吹かぬ荷が無うて来ぬか,ただしや新潟の川留めか
これもいかに風によって交通も妨げられたかを伝えるものである。川留めでもそうであるこの辺では津浪で新地から一部高架橋になった結果風の影響を受けるようになった
北風が毎日吹く季節がある,相馬の空っ風として有名である。
それで毎日のように電車が風で遅れて困る,一日運休にもなる
それを駅で見ていて経験しているから風の影響は電車でも受ける
電車は本当に風の影響を受けやすくなったのである。
ただバスはまだ原町から仙台まで出ている,バスは風の日も運行しているのである。
風はこうして生活の障害になるのだがまた風を感じることは自然を感じることなのである車では風をさえぎるから風を感じない,ということは自然を感じないのである。
すると旅しても風土を感じないから記憶にも残らないともなる
ともかく現代人は文明人は自然を感じる力がかえって減退している,それは科学技術にみな頼っているからである。みんな機械で計測しているからである。
風をじかに自然をじかに感じることが少ないのである。
旅をすれば方向が気になる,方向感覚がわからなくなる,それは近くでも飯館の山を越えてさまよったときもそうだった,山に入ると盆地だとどこでも山であり太陽が昇るのも山であり沈むのも山だからである。
海側に住んでいれば太陽が昇るのは東であり山側に西に太陽は没するからである。
だから地名の基本が方角地名、東西南北にある,方向がわからないとまず行く先もわからないからだ
航海民は草原とか砂漠で暮らす人達も方向が一番大事であり方向を見失うと死ぬことになる,それで北斗七星信仰が生まれた,それは妙見様であり野馬追いでも相馬藩でも信仰の対象になった,それは大陸からもたらされたものなのである。
自分は旅ばかりしてたから何か航海民とかに興味をもった,移動する民に興味をもった
ただ今になると旅することはしていない,何か体力的にできなくなったのである。
ただ思い出の旅をしているのである。
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