2008年08月23日

飯館村の魅力

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飯館村の魅力

●地形的要因

その土地の魅力はいろいろある。飯館村に関しては地形的要因が一番魅力を形成しているのだ。なぜなら浜通りは平坦であり仙台までも平坦だから地形的魅力にともしいからだ。平坦なところになると変化がないから旅しても単調になり飽きてしまう。満州がそうだった。大きな山もあるわけではない、川はあったとしてもただ延々と平坦な大地がつづくだけだった。どこまで行ってもあとはトウモロコシ畑である。モンゴルのような遊牧民の平原でもない、ただ平坦な大地がつづくだけなのである。変化がないからあきあきしてしまった。日本は狭いけど地形が変化に富んでいるから旅するにはかえって魅力がある。秀麗な高い山も多い、坂が多いのも変化がある。ただ坂は自転車などで旅行するには鬼門である。平坦なら自転車でも楽だが坂が多すぎて日本では苦しくなる。

飯館村の魅力はまず地形的な要因が第一にあるのだがこれもやはり全体の中で魅力を形成する。川俣方面から来るのと相馬方面から来るのでは感じがかなり違ってくる。川俣から来るのにも水境を越えてくるのだから変化はある。でも相馬から来るのとでは相当違っている。相馬と飯館村の標高差は大きいのだ。八木沢峠を越えるのは容易ではない、その標高差がかえって大きな地形的変化をもたらし飯館村の魅力となっているのだ。急峻な長い長い峠を越えたとき飯館村にようやくつくからである。そこは別世界の感じになるのだ。旅でもアプロ−チの仕方で感じがかなり違ってくる。飛行機だと旅にならないのは移動だけになってしまうのは目的地に着くまでの過程が省かれてしまっいるからだ。飯館村は相馬から行くとき一番地形的には魅力を感じるのだ。

●飯館と相馬のつながりの魅力(塩の道)

飯館村と相馬の結びつきは経済的には塩の道にある。塩の道は各地にある。塩なくして人間は生きられない、だからすでに縄文時代から相馬と飯館は塩を通じて結ばれていた。長野県の日本海から松本までの塩の道は遠大であり古くは縄文時代からあり黒曜石と塩を交換していたとかある。黒曜石は石器時代は石斧などの材料として不可欠だった。それが長野県の和田峠辺りが産地だったことは有名である。それほど古いものとして塩の道はあった。そして飯館が早い時期からなぜ相馬の支配下になったか?相馬氏の前にすでに岩松氏の時代に相馬に属していたのだ。地形的要因からすると一体化しにくい、でもそうなったのは塩の道があり経済的要因だった。飯館で塩を必要としたように相馬でも飯館は塩を出す拠点の地として必要だった。つまり相馬から塩を出すにしても飯館を自国の領内にしていないと他藩が支配していたら通行税をとられて自国の利益にならないからだ。ライン川では川沿いに多くの城がありその城を治める領主に通行税を払わねばならないから川での交通は便利でもその負担は大変なものになった。飯館を確保していれば塩を独占して販売できたのである。だから伊達氏との争いが飯館村で熾烈になったのだ。武田信玄と謙信の戦いで謙信が塩を送るということで有名になったがこれはまさに日本海側でとれる塩が山国の武田では不可欠だったことを意味していた。塩は砂漠地域では金と交換されているところもあった。塩の道はライフラインだった。今の石油と同じであり石油の資源を巡って戦争になると同じように重要だったのである。だから飯樋(いいとい)に塩を管理する陣屋があり60人も働いていた。塩の積み出しの重要な場だからそうなった。その当時塩がいかに重要な働きをしていたか忘れられている。飯館は塩の道の経済的要所として重要だから相馬とは地理的に不便でも確保しておく必要があった。だから飢饉のときも相馬藩内から小高や中之郷(原町)北郷(鹿島)宇多郷から塩であれ味噌であれ米も援助したのである。

●相馬藩の境としての飯館村

相馬藩は海沿いは地形的には平坦だから一体化しやすいが飯館は地形的に一体化しにくかった。それで最後に山中郷として相馬藩の一部になり野馬追いにも参加するようになった。相馬藩から新郷士として移住した。もともと葛尾は松本姓が多く一字をとって松と書かれた新しい野馬追いの旗も山中郷で作られたのである。飯館は相当に広い地域である。佐須も大倉もあり広い、回りを山が囲みやはり自然の境界となっていた。伊達氏が攻めてくるのにも山にはばまれる。明治に草野と大倉を合併しようとしたが地理的隔絶されているので中止された。。草野と大倉はまた相当標高差があり七曲がりの峠を越えないと飯館に入れないのだ。大倉はむしろ真野川を通して鹿島区に近いのである。

葛尾村でも山を境にしているし塩の道も山木屋に出るところも山で境を接している。川俣も水境で境を峠で接している。飯館村は飯樋などで平地が広がっているが三春や伊達氏と山で境になっている。日本は峠が境になり峠を越えると別世界になる、新しい世界が開ける地形になっている。水境を越えると川俣になりそこに安達太良の大きな山稜が望まれる。別世界というとき安達太良山を望むことができるからだとなる。阿武隈山地は高い大きな山がないことで魅力に欠けている。会津は2千メ−トル級の山が連なるから山によって魅力が形成される。その山を知ることはむずかしい。山は重なっていてわかりにくいからだ。飯館村はそれでも三春や川俣などより平地がかなり広がっている。だから耕作地として適していたのである。米の生産が結構あったかもしれない、ただ寒冷地だから飢饉にもなったのである。飯館村の魅力というとき地形的なものではあるのだが文化的には見つからない、ただ文化はその土地と密接に結びついて作られるからこれから文化が作られることがある。飯館村の紋章となると緑深い緑を象徴したものとなる。

峠越え安達太良望む秋の夕道端に吾も農夫も休みぬ

都路は山のかなたや久しくも訪ねゆかじも冬に入るかな

飯館へ峠を越えむいくたびや秋の蝉鳴き我が年古りぬ


山のかなたに幸いのあり・・・とういときまさに飯館村もそうだった。山のかなたに都路がある都があるというのも名前だけなのだが不思議は山のかなたには別世界の都があるような感じになるから人間は名前に左右される、イメ−ジに左右されのだ。相馬藩の領域と三春や伊達の領域は山が壁となってさえぎっている。これは相馬から見てそうなのであり川俣の方から入ってくるとまた見方が違ってくるのだ。飯館に住んでいる人にととっては相馬の海の方に下ってゆくのが地形的変化となるのである。いづれにしろ相馬藩という歴史に培われたものと地形を知らないとその土地の魅力はわかりにくいのだ。だから外部のものが旅をしても印象が浅薄になる、まず何度もその地を踏まない限り地理や地形がわかることがむずかしいからである。相馬藩内でも歩いたり自転車で行ったら結構広いのである。でも相馬藩内なら当時でも歩いても馬で行くにしても約一日くらいで行ける範囲内にある。地理的に把握するには適当な規模であり今でも自転車で一日で行ける距離なのである。

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posted by 老鶯 at 15:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 相馬郷土史関連
この記事へのコメント
初めまして。
広島市に住んでいる者です。
今、福島県浜通りの民話を勉強しています。

一反淵物語の中に、山中郷という地名がありますが、現在の飯館村でしょうか。
相馬の殿様が来られて、馬を飼うように命じられたとあるのは、相馬重胤様が千葉より、領地がえで来られたときのことでしょうか。
やはり、飯館村は、伊達からの侵略に対して、要衝の地であり、今も続いている相馬野馬追と関係があるのでしょうか。
江戸時代までは祭りに参加していたようですが。

飯館村が、相馬市に合併しなかった歴史的な背景には、農地改革で、大農家は無くなったけれども、大林業家はなくならず、山里の方が豊かになったから、一律に課税されるのに抵抗があったからでしょうか。

もし、ご教授いただけたら、とても助かります。
Posted by 河合 利美 at 2012年01月15日 17:30

>一反淵物語の中に、山中郷という地名があり>ますが、現在の飯館村でしょうか

広島の方が飯館村に興味をもったというのは
やはり被曝体験からそうなったのでしょうか?

山中郷というのは飯館村のことです
飯館村はあとから相馬藩に編入された
山だから秣(まぐさ)などが豊富であり
野馬追いに出す馬も飼われた

飯館村はまた相馬市の松川浦から塩を運ぶ通り道となっていた、塩の道にあった
それで伊達藩とその利権で争うということがあった

山中郷として江戸時代は野馬追いにも馬がでていたました、明治以降はでていないみたいです。
山中郷の名の通り秣や森林資源が豊かだから
薪などの供給源になっていた

>飯館村が、相馬市に合併しなかった歴史的な>背景には、農地改革で、大農家は無くなった>けれども、

飯館村がもともと相馬藩だったけど
南相馬市として合併しなかったのはそういう理由ではないでしょう
山の村として独自性を保ちたかっただけでしょう、財政的には苦しいことは覚悟の上だったみたいです、林業などが今は盛んでないですから、主に今は肉牛で有名でした
林業は今はどこもそんなに盛んではないでしょう、

ともかく原発事故で飯館村は有名になりましたね、本当にあそこは静かな山の村でいいところでしたのであんなふうになって残念です
し今人が住んでいないことが信じられないです
残った家はまだ廃屋のように荒れていませんし出入り自由だからまだ人が住んでいる感じなんですよ

広島で原爆を体験した人が飯館村にも来ていました、広島は遠いので関心もたなかったですが・・・

一反淵物語というのは知らなかったですね


Posted by プログ主(小林) at 2012年01月16日 16:53
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