2018年04月06日

人間は生まれつきではない後天的に作られる (体も知能もモラルでも後天的に作られる)


人間は生まれつきではない後天的に作られる

(体も知能もモラルでも後天的に作られる)

人間の現在は時計の振り子の今のように無になってしまうことは絶対ない
それは心にも組織にも血液にも同時に記憶されている
人間は一生の出来事をすべて、器官にもまた体液にも精神にも刻みつけ
それをいだいて生きつづけているのである。
(「人間この未知なるもの」アレキシス、カレル)

この本はいい本である。人間は何でも先天的なもので作られるものではない,もちろん素質はある,だから天才は例外としなければならない、それは普通の人はまねることができないからである。
ただ普通の人でも精進してゆけば一角のものになれるということを目指す必要がある
それは体力と知能は別々のものではない,

器官にもまた体液にも精神にも刻みつけそれをいだいて生きつづけている

その人の一生が体に刻みつけられているというのである。
実際は体すら長い人生の中で作られてゆく,生まれつきのものはある
体力がある人とない人の差も大きいのである。
自分は体力がない,そのことが学校でうまくいかないことになった
体力と知力も関係しているからそうなる

その後なんとか体力をつけようと大学で体育会で武道を一年間したことで自信がついた,何か他の人にとっては楽なようでも自分の20代は苦しかった
それで30ころすでに60歳のようになり老成していたから老人になってもその風貌が変わらないのである。
なんらか自分は二十代でそれだけエネルギーを消耗したのである。

それから30以後は三食昼寝つきというか何の苦労もしていない,本当に楽な生活だったのである。その生活がエネルギーを回復させたのである。
例えば自分は体力がないから山に登ったがその後死ぬように疲れた,それで一週間とか眠りつづけるような状態になった,登山はそれだけ体力が必要なのである。
だから登山はあまりせず自転車旅行に切り換えたのである。

人間は一生の出来事をすべて体でも記憶しているというとき人間は生まれつきもあっても何かいろいろな経験をしてその出来事の中で会得してゆく
それは知識でも本からだけは得ることができない,実感というのは海外旅行でもそうだが実際に海外に行ってその地を踏まない限り理解できないのである。
百聞一見にしかずになる,そういう体験の結果として理解を深める

それから人生の行動でもそうである。一番経験するのが30まででありその間の経験で人間の方向と基礎が定まる,だからこの時期は本当は一番大事である
だからいろいろ人間がいても素質があっても環境に恵まれても金持ちの家に生まれても
青春時代を放蕩とかに費やしたらすべてだいなしになる
それが意外と怖いことでありのちのちまでそのことが尾をひくから怖いのである。

でも青春時代となると江戸時代でも人間のしていることは同じだったなとなる
旗本の若者が放蕩するとういか女をもてあそぶことなど良く映画になっているが
それが慶応大学でも東大でも一流大学でも同じことをしていた
女性をもてあそんでいたのである。レイプしたりしていた
そしてその親は社会の有力者だから金で解決したとか言われるのもにている
ただ侍の場合はモラルが厳しい,切腹させられることがある
そこが今とは違っていたのである。
人間していることは時代が変わっても変わらないのである。

ビジネスしている人でもチャンスは一回だけだとか言うとき人間の一生でそんなにチャンスは与えられない,一回のチャンスで決まることもある,長い人生だから一回くらい失敗してもどうってことないということもないと思う
でもチャンスはそんなに与えられないのである。
一つの出来事によって人間が決められる、そういう出来事は青春時代に起こる
30までに起こる,だから若い時神を求めよとなる,求道でも若い内しなかったらできないのである。
一番血気盛んなときにしないとできない,老人が求める宗教はまた別なのである。
慰めみたいなものだからである。

いづれにしろ体でも人によって相当な差がある,うらやましいのは生まれつき体力がある人になる,その差も大きい,知力にしてもそうである。
ただそれで全部人間が決まるのかというとそうでもない
体もその一生の間の生活で作られてゆく,できあがったものとして変わらないものでもない,いくら体力あるひとでも暴飲暴食ばかりしていたらだめになる
体の弱いひとでも節制して運動しているとそれなりに激しい運動はできなくても丈夫な体になりうる

何かわからないのだがなぜ自分は今になると若く見えるというのも不思議である。
それは自転車旅行をしたりしていたからである。それが習慣になり体が弱いのだが筋肉がついたりしていたのかもしれない,確かに今になると弱ってはいる
自分はどうしても長くは生きられない体に思っていた
ではなぜここまで生きられたのか?それは無理しなかったことなのである。
無理する生活をする必要がなかった,会社で無理に働かされることなどなかったからである。

なぜ今まで日本人でも長生きできなかったのかそれは相当に体力的にも無理していたし栄養もとれなかった,結果として早く死んでいたのである。
それは環境とか栄養とか病気を直せないとか様々な要因があり長生きできなかった
今になるとこれだけ世界的人生百年とかなっているのはそうした環境が改善されたからなのである。
百歳生きた自分の母は長生きの秘訣はなんですかと聞かれたら無理をしないことですと言っていた,自分の母親は本当に家から一歩も出ないで同じことの繰り返しの生活をしていた、無理はしないのである。
人間は無理をすると体に負担になりそれで早死にすることは確かである。
ただこうして30年間楽した結果として介護とかのカルマを背負うことになって苦しんだのである。
介護はエネルギーを消耗させるなとつくづく思った,何か旅行すらしたくないとか消耗したのである。

才能でも人間はいろいろな素質と才能をもってい生まれてくるがそれを活かしきれないのないのである。まず環境がそうである。
例えば音楽でも家にピアノがあり習える環境とそうでない環境では雲泥の差があるからだ音楽を追及するには音楽的環境が必要なのである。
それがものになるならないにしろピアノが家にあり常に触れている人とそうでない人の差はその環境で決まる,才能の前に環境だったともなる
楽器一つにしても覚えるのに手間だし時間がかかりすぎるのである。
そのうちに時間が消えてゆく飛んでゆきもう覚えられないとなるのである。

自分のしているパソコンのソフトの抽象画も不思議である。自分は本当に絵の才能が全くないのである。でも絵を描ければなと思っていた
それがパソコンの抽象画でそれなりに絵が創作できるということで開眼した
もちろんこれの評価はたいしたことはないともなる
でもアメリカ人の人が中心に30人くらい見ているかもしれない
ということはそれなりの評価がある,でなければ見ないだろ
抽象画大量に生産できるから,そうしてアクセスがつづいているのである。
これができたのはまさにart(技術)に左右されていたからである。
新しい技術が生まれて自分のような絵の才能がないのでも絵を描けたとなる
それはパソコンのソフトの習熟の結果できるものであり才能とは違うからである。
ただこれもパソコンが発明されないならできないことだったのである。

体も日頃の習慣で作られる

知能も日頃の鍛練で作られる

人生も体験で変わり作られる

人間は確かに謎である。運命も謎である。でもその運命も生まれつきがすべてではない
その謎はまた人間には神が関与するということもある
いくら才能があっても資質があっても天才でもそれが活かせる環境に時代に生まれなければ活かせないのである。
つまりそういうふうに才能でも資質でもなんでも活かせるのはまれだとなる
なぜなら戦争をとってもどれだけの有為な青年が無惨に大量に死んだかでもわかる
そういうふうに時代によってどうにもならないからである。
だから戦後は才能や資質を活かせる時代になっているが団塊の世代でも貧乏からはじまっているから自分のように恵まれて生きた人はそれほどないだろう。
だから環境が生まれつきより大事だともなるのである。


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