2018年04月09日

今年の桜の短歌など十首 (寒さの中で咲いた桜)


今年の桜の短歌など十首

(寒さの中で咲いた桜)

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イワヒバにエゾムラキツツジ散る
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若き人住みて春の灯ともるかな

薄物(羅)のカーテン越しに春の月

我が歩む廊下の広く春の月


北風に盛りの花やなお咲きぬ寒さもどりぬ遠くに行かじ

風強く盛りの花をゆすりけりなおし散らじもふるさとに見ゆ

花咲くも東風(こち)吹きはやも散りにけり惜しむまもなき花の命は

ふるさとに咲きにし花の盛りなり遠く行かじも花は咲くなり

残る人老人ばかりふるさとに盛りの花を見つ死なむとす

ふるさとに桜の木の根を我が見つつ盛りとなるや二代住みにき

いづこにも花は咲くべしすみつきて花となるべし時を待つべし

大坂城桜を見しはいつの日や季(とき)の移りははやかりしかも

イワヒバにムラサキツツジの花散りぬ季(とき)の移りに思わぬことあり

冬の日に石にイワヒバ我が庭に長くも見しもムラサキツツジ映ゆ

石の陰冬の貴婦人四五輪の咲きてひそけし今日も見ゆかな

我が庭に苔むす石やこの庭を作り年へぬ六年ほどかな

畑作る人のいいけり寒ければ土あたたまらず仕事遅れぬと

注-ムラサキツツジはエゾムラサキツツジです


今年はまた寒くなった,東風と北風が交互に吹くが昨日も今日も北風が吹きつけて寒い
だから自転車で出かけられない,冷たいし風に自転車は弱いからである。
だから今年は外に桜を見に行かない,ただ家にいるだけである。
介護はじめてから故郷から家から遠くへ出ない日がつづいた,そのつづきでもある

桜は別にどこでも咲いている,いつでもテレビなどでは同じ所を花見山とか写しているが桜は別にどこでも咲いているが紹介しないだけなのである。
このプログのインターネットの強みは紹介するのがテレビだけではなくなったことである実際は誰でも放送できるのである。
テレビで放送しないものは小さな地域でもどこでも無数にある
鹿島駅をテーマにして放送しているのもそうである。

他でも実はこうして定点観測して報告できるのがインターネットなのである。
ただ多くの人には見られないというだけなのである。
鹿島では真野川沿いの桜がいい,ただ成長した桜が見れるのは十本くらいである
あとはまだまだ成長していないからものたりないのである。
あれが成長したら真野川沿いの桜は見物である。
それを見るのはもう老人は見れないかもしれない,ただあと二〇年も生きれば見れるかもしれないとはなる
それだけ木の成長は遅いのである。

桜というとき花というときふるさとだと根を見て花を見るというのも違う,外では根まで見ていない,ただ桜の花だけを見ているのである。
自分はいつもそこを通るから根も見ているのである。
遠くに行かなくても本当は地元の花を見いだして見るべきだともなる
花を咲かせるべきだともなる,地元に花の盛りを見るべきだともなる
その花の盛りとはやはり住んでいる場所が栄えることだともなる
それが避難区域でも桜が咲いているがそれを見ているのは老人ばかりだとなる
春の灯がともるというときそこに若い人が住み着くと華やかにもなる
それがない原発の避難区域は淋しいとなる
世代が連続していないと社会が成り立たないのである。

冬の間は地味なイワヒバとか石ばかり見ていた
そこにエゾムラサキが咲いて散ったのもめずらしい
一時華やかな花で飾られた,この花は良く根付いて咲いたと思う
何かここは土地が悪いから根付かないし花が咲かないのである。
七年以上すぎるとやはり石も苔むしていた
それが時の移りである,何か石も時間とともに根付いて行く感じになる
それも人が住んでいなければどうにもならない
空家の庭は死んでいるのである。

ともかくまだ桜は盛りであり咲いているがまもなく散るだろう。

花咲くも東風(こち)吹きはやも散りにけり惜しむまもなき花の命は

この歌は戦死した若者を思うのにはいい,惜しむ暇もなく散ってしまったからである。
東風は海から吹くから特攻隊となり海に散ったともなる
今年の桜は寒さの中で咲いた桜だったとなる
この寒さは畑にも影響している,土の温度というのが大事なのである。畑とか田んぼでも土の温度とか水の温度も影響するのである。



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