大内村の人の話を聞いて(2)
(文明とは自然に逆らうことであり自然に復讐される)
大内村の人の話を聞いて具体的にどうして袋村がなくなったのかわかった
まず高台に人は昔から住んでいた,平地には住んだ人は新しい人達だったのである。
大内村は地形的にわかりやすい,平地と高台に二分されているからである。
その高台といっても一段高くなっている場所である
その一段高くなっているだけでも津浪ではその差が大きかったのだ
なぜなら平地に住んいる人の家は津浪で流されたからである。
あそこまで津浪が来るとは思っていなかったろう。
ただあそこでは例え大きな津浪が来ていたとしても被害がなかったのである。
一段高い所に住んでいたからである。
だから津浪の被害があったとしても語られないことはあった
でもこの辺では慶長津浪とかの被害が相馬藩政記に二行だけ七〇〇人溺死と記されているだけであとは何も記録がないのである。
その謎も深いなと今でも思う,何か手がかりになるものを探して見つからないのである。
大内村では真野川の河口の度々水害になる土地を田んぼにしたが真野川の氾濫で撤退して袋村は消失したのである。
その土地の人がその場所で語ったとき何か実感として伝わる
なぜならその人は大内村に長く住んでいた人だからである。
この袋村は明暦から開かれて文久まであった、その時ただ人は住んでいなかった
明暦の頃開かれたとき元禄には一三軒の家があった
それだけ古い時から田んぼが開かれていたのである。
そういう土地としては悪い土地でも田んぼにしなければならなかったのが日本の稲作の歴史である。どんな場所でも米がとれれば生活が最低限成り立つということでそうなった
その苦闘の歴史が稲作にはある,八沢浦だって明治以降に武士が開拓したのである。
小高の井田川は大正時代になったからなのである。
日本の歴史と農業の歴史でありそれは戦後十年でもつづいていたのである。
戦争の引揚者がいたるところに入り土地を切り開き農業で生活していたのである。
結局仕事がないからそうなったのである。農業するには土地がないとできない
その土地がないとすると悪い土地でも埋め立ててでも田んぼにする他ないとなった歴史が日本にはある,日本の弱点は広い土地がないことである,だから一時東京で土地バブルになったのもわかる,土地の価値が異常に高くなるのもそのためである。
大内村でも一段高い所があるにしてもそこで田んぼを作るとなると土地がないとなる
すると平地に向かって田んぼを作るほかないのである。
そしてその高台の前を田んぼにしたらまた土地がなくなる,すると分家するにしても土地が必要になる,そこで真野川の河口の最悪の場所を苦労して田んぼにしたとなる
真野川は氾濫しやすい川である,だから二回も自分の家では水害にあってひどいめにあった,土地が低いからそうなった
堤防も整備されていなかったからである。河川改修していなかったからである。
津浪のときすぐ近くまで塩水が川を遡っておしよせてきていたのである。
近くの土手は氾濫していたから危なかった,河川改修したからあふれなかったのである。水害は河川改修すると起こらなくなるのである。その当時はそうした技術もないから袋村は消失したのである。
こうして苦労して干拓して開いた田んぼが今回の津浪で被害にあった
そこはもともと海だった所なのである。だから元の海にもどったともなる
自然側からみれば津浪はあまりにも無情だとなるが非情だとなるが自然側からみれば
ただ自然の作用であり人間を苦しめるために津浪が起きたということでもないのである。自然の作用に悪意はないのである。
ただそうした自然の大きな作用を無視して人間は営々ともともと海だったところを埋め立てて田んぼにしたり住宅地にしたりしたから被害にあった
つまり自然に逆らうことが文明なのである。それがある時自然から復讐されるのである。自然のゆりもどしがくる,それを考慮していない人間が悪いともなる
田んぼでもやはり文明の所産だったからそうなった
原発でも実は自然に逆らう科学技術である。原子核を破壊するということがそうである。本来そんな危険なことをしてはならないものだったのである。
そういうことをしていると自然側から反発があり復讐されるともなる
科学技術にそうした危険性が常につきまとっていたのである。
人間が自然に手を加えること自体がすでに自然を破壊するということに通じていた
ただでは科学技術がすべて悪いのかとなるとそうでもない
なぜなら米の収穫量は同じ面積で今は倍以上になっている
すると土地を広げて収穫量をあげるというより狭くても収穫量を上げることの方がいいとなる,それは技術が進歩すればできたのである。
だからいちがいに科学技術は否定できないということはある
袋村でも今のような河川改修した堤防があれば水害にならなくてすんだともなるからである。それだけの土木技術がなかったからできなかったともなる
それでもやはり今回の津浪の教訓は自然に逆らうことがいかに怖いことになるかということを否応なく示された,津浪は自然の作用でありそれは必ずしも自然にとって悪いばかりのものではない,自然の作用として起きてくるものだからである。
自然の山火事でもそれは新しい森を再生するものでありいちがいに悪いとはならない
津浪でも何か自然の作用であり海をきれいにするということはあったとかなる
つまり人間側から見た自然と自然から見た自然は違っているのである。
ただ自然に逆らうことが文明であり科学技術でありそこに何かしら問題が起きてくる
神話でも火を盗んだプロメテウスが過酷な刑罰にあったのとでもそうである。
神の厳しい罰が与えられたように津浪でも原発事故でもそういう側面はあったのである。
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